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岸田政権の3%賃上げ要求に応えるのか? 日本クルマ界2022春闘「自動車メーカーの給料が上がれば日本経済は上向く……!?」

 2月23日に始まったトヨタの2022年の第1回労使交渉で豊田章男社長は、「賃金・賞与について会社と組合の間に認識の相違はない」と異例の事実上の満額回答を表明した。

 豊田章男社長は日本自動車工業会(自工会)の会長でもあり、自工会の会見で今年の重点テーマの1つとして「成長と分配」について述べている。近年の自動車産業の平均賃上げ率は約2.5%と全産業トップの水準であり、従業員だけでなく取引先や株主などに持続的に還元を行ってきていると述べた。そしてこれをさらに広げ好循環を生み出すためには成長が必要だと語る。

 今のところ成長を続けている自動車業界だが、これが続けば日本経済に上向き好循環が訪れるのだろうか? 経済ジャーナリストの福田俊之氏が考察する。

文/福田俊之、写真/トヨタ、AdobeStock

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■3月16日の一斉回答に向け、ヤマ場を迎える

2月23日にトヨタの労使交渉が始まった。日本のメディアはベアで景気を占おうとするが、日本の社会全体で組合に所属しているのは2割にすぎない

 貧しい国ニッポン――近年、こんなフレーズがよく使われるようになっている。労働者の収入はバブル崩壊から30年間ほとんど横ばい。一方、支出のほうは増税に加え、教育費や高齢者のケア費などはかさみ、消費に回らない。経済活性化のために日本はさまざまな手を打ってきたが、一番大事な需要増、すなわち所得アップについては今日までほぼ放置してきた。

 その状況を打破しようと岸田政権が打ち出したのが令和版「所得倍増計画」。儲かっている企業には「3%以上の賃上げよろしく」というものだ。もちろん、掛け声だけでは企業の人件費抑制マインドが変わらないことは百も承知で、賃上げに応じた企業には法人税の優遇策も講じている。

 果たして令和版倍増計画はうまくいくのかどうか。大手企業の労働組合が賃上げや処遇改善を求める要求書を経営側に提出し、2022年の労使交渉が3月16日の一斉回答に向けてヤマ場を迎えているが、このうち自動車関連の労組では、ホンダとマツダ、三菱自動車が2年ぶりに基本給を底上げするベースアップ(ベア)要求を復活。

 また、トヨタ自動車の労組はベアを要求したかどうかも含めて非公表だが、要求は職種・職位により月額1600円から4900円の昇給にボーナスは前年回答を0.9ヵ月上回る6.9ヵ月としている。

■トヨタは早くも満額回答の決定か!?

 トヨタは社内向けメディア「トヨタイムズ」でその労使との交渉の様子をつぶさに報じているが、それによると、豊田章男社長は初回交渉の場でいきなり「賃金・賞与について会社と組合の間に認識の相違はないことを、このタイミングではっきりお伝えしたい」と発言したという。

初回の労使交渉で事実上の満額回答を表明したトヨタの豊田章男社長。「賃金・賞与について会社と組合の間に認識の相違はない、この発言により良い風が吹くことを期待する」と発言した

 事実上の満額回答である。春闘は3回の交渉を経て最終的な回答が示されるのが通例で、一部のメディアもこの判断を「早くも異例の満額回答」とアピールした。

 前年度のトヨタ組合員(管理職を除く一般社員)の平均賃金は858万円だったが、これによって自動車業界としては初めて900万円を突破する公算が強い。

 トヨタのこの満額回答には目算もある。岸田政権が唱える「成長と分配の好循環」では大企業の場合、賃上げが4%を超えると法人税で25%の控除を得られる。労組の要求がその4%をギリギリ攻める水準だったこと、賃上げの大半が将来の状況が変動した時に調節しやすいボーナスであることなどから、水面下では事前に労使間で相当の調整が行われていたであろうことがうかがえる。

■賃上げが景気にプラスに作用して好循環を期待する豊田社長

 とはいえ、低い賃金となる工場労働者の比率が高い自動車業界でヒラ社員の平均年収が900万円というのはずいぶん威勢のいい話だ。豊田社長は「この発言で550万人の自動車に関わるすべての働く仲間たちにいい風が吹くことを期待したい」とも語っている。

 550万人とは自動車メーカーと部品メーカー、鉄鋼業などの資材メーカー、さらに非製造業では自動車販売にガソリンスタンド、さらに人手不足や長時間労働の問題を抱える運送や整備など、クルマに関わる業種すべてを合算したもので、日本の労働人口の約1割を占めるという。そこの景気がよくなれば日本経済への波及効果も大きいというのが豊田社長の思いでもある。

 つまり、賃上げが景気にプラスに作用するには、所得が増えた分が消費に回る必要がある。しかしながら「給料が増えても将来が不安だから貯金しよう」というのでは元も子もなく、いわゆる「好循環」は期待できない。

■自動車業界の賃上げだけで景気の好循環は生まれるのか

 「若者のクルマ離れ」と言われて久しい日本の自動車市場だが、今やクルマを買わない風潮は若者にかぎらず全世代に広がっている。車検業務の外郭団体である日本検査登録情報協会の調べによれば、新車登録されてから抹消されるまでの平均使用年数は13.87年。さらに一時的な登録抹消を差し引いた廃車までの平均寿命は15年を超えているそうだ。

 懐具合がさみしいからクルマを買わないのは当然だと思われるかもしれない。ところが、トヨタをはじめ給与水準が我が国の平均よりずっと高い自動車メーカーの社員でも、マイカーを持たない社員も少なくない。

 取材の際に興味本位でどんなクルマに乗っているのかを聞くと、ペーパードライバーの若手社員のほか、マイカーを所有している 「高給取り」の管理職クラスでも古い年式のクルマを所有していることが多いのには驚かされる。

 「正直、我々が積極的に買わないのだから新車販売が頭打ちなのは致し方ないと思っています。日々の仕事でも質素倹約を叩き込まれているからなのか、性能もよく、まだ走る愛車を手放すのはもったいないと考える風潮が強く、自動車税が上がる新車登録後の13年が買い換える目安とも……」(大手自動車メーカー幹部)

 仮に給料やボーナスが上がってもそれが貯金に回ってしまうのでは、賃上げによる景気浮揚は文字どおり絵に描いた餅。社会保障の充実と安定化が前提なのは当然だが、「金は天下の回りもの」であり、まずは使うためにあるという意識改革を図っていくことも必要だろう。

収入が上がっても将来や老後の不安から貯金に回ってしまう。景気の好循環を作るにはまず日本社会に蔓延する将来への不安を取り除く必要がある(guy2men@AdobeStock)

 しかも、波及効果という観点から自動車メーカーが従業員に気前よく賃金を払うだけでは限定的なものになる。例えば、自動車メーカーの社員ですらクルマを買っていないということは、身内の自動車ディーラーにとっては大きな痛手。さらにネックとなっているのは個人消費だけでなく、企業間取引にも問題がある。

■クルマのコスト削減で下請け企業まで行き届かない利潤

 自動車メーカーは部品や素材メーカーから部材を購入して組み立てる商売だが、その相手企業に対してはコストダウン要求を繰り返してきた。その要求は二次、三次の下請メーカーに連鎖していく仕組みになっているが、つい先日トヨタが国内工場すべてを稼働停止にしたことで話題になったサイバーセキュリティ対策も不完全な末端では賃金を3%引き上げる余力のないところも多く、親企業との格差は開くばかりである。

自動車メーカーはヒエラルキーの頂上でありその下には多数の下請け会社が存在する。一次メーカーが利潤を上げるためのコストダウンは末端の利益を無にしている(denis_pc@AdobeStock)

 そこにお金を行き渡らせるには、自動車メーカーが下請けの会社に対し、より多くの代金を支払うしか方法がない。が、そこにはグローバルで展開されているコスト競争という現実も横たわっており、一時的な部品価格の上乗せでは焼け石に水でもある。

 日本の自動車メーカーは日本がまだ新興国だった高度経済成長時代にコスト低減で大きな利益を上げてきたという成功体験があり、これからもそれで儲けようという意識が強い。が、50年も続けてきたビジネスモデルでこれからも乗り切ろうというのは無理があるだろう。

 トヨタにかぎった話ではないが、1台あたりの付加価値の高さを追求するようなモノづくりのポリシーを転換し、部品メーカーもより付加価値の高い、言い換えれば高く売れるものが主流になるようにしていかなければ、末端まで潤うということは難しい。

■自動車メーカーの賃上げだけでは日本経済はよくならない

 岸田政権の「成長と分配の好循環」は衰退する日本経済を活性化させるためのほんの小さなトリガーにすぎない。50年ぶりの水準まで低下した円安の恩恵を受けて自動車メーカーの労働組合が、この水準での満額回答で喜んでいるようでは社会に横たわっている経済停滞の原因をかえって見えにくくし、社会改革を遅らせることにもつながりかねない。

 社会を変革する技術のトップランナーを目指す前に、最終的な目標を付加価値の絶対的な増大に置き、完成車、部品、関連業界などのヒエラルキーを壊してほかを犠牲にせず、巨額の利益を得られるようになってこそ、ようやく自動車業界が日本経済にいい波及効果をもたらすことができるようになるというものだ。残念だが、現時点ではまだ、その意欲、覚悟が自動車メーカーにあるとは思えない。

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