ロシアがウクライナへの侵攻を始めて、この原稿を書いている時点ですでに3週間近くがたっている。
全般的な戦況としては、ウクライナの首都キーウをロシア軍が包囲しはじめていることが注目される。また国際的な英雄となった同国のゼレンスキー大統領率いる政府をどこまでロシアが追い詰めるか、に関心が集まりがちであり、この点においてプーチン大統領率いるロシア側の作戦はまだ「成功」しているとは言い難い。
ところがロシア軍はウクライナ南部の沿岸部において着実に戦果を挙げつつあり、2014年から実効支配しているクリミア半島から北の主要都市ヘルソンを中心としたウクライナ領内へと支配地を広げている。
マリウポリで激化する「無差別攻撃」
ロシアは地政学的に重要な黒海の「入り江」となっているアゾフ海をほぼ閉鎖して「内海化」しており、いよいよウクライナ最大の港湾都市であるオデッサも手に入れようかという事態だ。
そのような中で、国際的に注目されているのが、そのアゾフ海の沿岸に位置するウクライナ南東部の港町、マリウポリをめぐる攻防だ。ロシアはこの都市の確保の重要性を認識しているためか、都市を囲んで空爆や砲撃などによる「無差別攻撃」をとりわけ激しい勢いで行っているのである。
もちろんこのような行為は、人道的にとうてい許される行為ではない。だが、ロシアは国際的な非難にもかかわらず、これを行っている。特に非難されているのが、病院だけでなく産科婦人科病院、さらには避難場所となっている劇場などへの砲撃だ。
これは明確な戦争犯罪である。
「戦争犯罪」でも「無差別攻撃」に及ぶ理由
日本ではこの種の残忍な戦闘行為の現実を知り、新たな衝撃を受けている方々も多いと思う。日本の大手メディアではあまり報じられることはなかったために、理解に苦しむ向きも多いだろう。
ところがロシアのこのようなやり方は、安全保障や戦略研究の分野では半ば「常識」となっている基本知識である。ロシアがこのような無慈悲な攻撃をするのかといえば、それが単純に「効く」からである。
実に不快な事実であるが、以下でロシアが戦争犯罪だとわかっていてもそれを使う理由を簡潔に説明してみたい。
チェチェン紛争で得た「成功体験」
チェチェン共和国といえば、現在のジョージア(グルジア)のすぐ北にあり、冷戦後の混乱の中で誕生したロシア連邦に属する共和国であった。
ここが94年頃から、イスラム過激派たちを巻き込むテロ行為を伴った分離独立運動を始めており、当時のエリツィン大統領は、ロシア政府として断固として介入することを決意した。戦いは96年に一度終わっており、支配権は一時的に現地の分離独立派の手にわたっている。これが「第一次チェチェン紛争」である。
ところがエリツィン大統領に後継者として期待される中、1999年8月に首相に就任したプーチンは、一気に攻勢に出る。隣国のダゲスタン共和国に反乱が広まったり、モスクワでアパートが連続して爆破されるテロ事件が発生し、「チェチェンの独立派が起こしたテロだ」とみなしたのだ(しかも爆破はロシアの自作自演だという説も根強い)。
しかも以前のように主に歩兵と戦車で都市に乗り込み、市街地戦を展開してゲリラの掃討作戦を行うのではなく、まず都市周辺を囲んでひたすら空爆と砲撃を繰り返し、圧倒的な火力で建物を破壊し尽くしたところで、機甲科部隊を中心に侵攻する手法を取った。
当然だが、反乱勢力側は何も抵抗できずに敗走・降参することになる。
これが2009年に最終的に終わった「第二次チェチェン紛争」であり、実際の戦闘は2000年の5月には終了している。つまり圧倒的な火力でプーチンは勝ってしまったのだ。
「無差別爆撃は効く」という不都合な真実
驚いたことに、このプーチンの「成果」は、学術的にも裏付けがなされている。ダートマス大学(「アイビーリーグ」というアメリカの最優秀大学のうちの一つで、東部ニューハンプシャー州にある)の若い研究者、ジェイソン・ライアルが2009年に書いた論文(「Does Indiscriminate Violence Incite Insurgent Attacks? Evidence from Chechnya」)が、この「チェチェンの教訓」を実証してしまっている。
具体的には、チェチェンにおけるロシアの砲撃案件(2000〜2005年)をそれぞれ検証し、砲撃を受けた村と受けていない村を比較しつつ、この無差別攻撃がその後の反乱軍の攻撃パターンにどのような影響を与えたのかを計測したものだ。
すると、砲撃された村は、されていなかった村に比べて、そこで発生する反乱軍攻撃の数の平均が、24%減少したという結果が出た。つまり圧倒的な火力による無差別攻撃によって民間人を含めて爆撃することにより、そこでの反乱活動やテロ活動を明確に減らせたのだ。
この論文を書くために調査を行った本人も、「私の出した結果は決して無差別攻撃を政策として奨励するものではない」と戸惑いを隠せない様子だった。もちろん、このような攻撃は現地住民に怒りや妬みを残すため、短期的な効果ではある。だが実際に「不都合な結果」は出てしまっている。
シリアでも降らせた空爆と砲撃の雨
ロシアはこれと同じ手法を、中東のシリアで再び使っている。
2015年にプーチン率いるロシア軍は、内戦で苦しみ弱体化したシリアのアサド政権を助けるために、ソ連消滅以来初めて、域外での軍事介入を開始している。その時に焦点になったのが、2016年後半にシリア第2の都市で反政府側の拠点にもなっていたアレッポであった。
ロシア軍はこの目標を叩くために、第二次チェチェン紛争の首都グロズヌイ攻略の時と同じように、街を包囲して空爆と砲撃を繰り返して建物の徹底破壊にいそしんだのだ。
当然ながら、今回のマリウポリと同様に、病院なども計画的に爆撃している。そこに人道性など存在せず、ひたすら火力を使って住民と反乱勢力を追い出すのだ(参考:「Putin Is Playing by Grozny Rules in Aleppo」)。
これは、ロシア側から見れば「一定の合理性」があることになる。それは、ロシア兵の人命を徹底して守り、テロリスト(とロシア側が呼ぶ勢力)側の命は無視するという姿勢だ。
世界の趨勢に反するロシアの手法
ちなみに一つ興味深い視点がある。アメリカは精密誘導兵器(PGMという)をベトナム戦争の頃から開発しているのだが、その狙いはミサイルを正確に誘導させて爆撃させ、人的被害を最小化することによって民間人の被害を抑えること、つまり副次的被害(コラテラル・ダメージ)を抑えることにあった。
ところがロシアは同じPGMを使って、被害を最大化させようとしている。同じ精密誘導兵器のようなテクノロジーも、使うプレイヤーが違うと、その目的が被害を抑えるためではなく、大量破壊のために使われるということだ。
もちろん国際社会は、当時シリアのアレッポで行われていたロシアの蛮行について、現在のウクライナほど問題にせずに半ば「スルー」している。こうしたアレッポの悲劇が日本であまり知られていない事実こそが問われなければならない。ロシアはまさにチェチェンやシリアで行ったのと同じことを、今度は世界が注目する隣国のウクライナで実行しているだけなのだ。
まだそれほど攻撃が苛烈になっていないのは、砲や弾薬が足りていないだけであると考えることもできる(参考:「次の10日が戦争の趨勢を決める」)。
「ロシア擁護」派は戦争犯罪を許すのか
結果として、苛烈な戦い方は本当に成功することがある。
もしくは、「少なくともプーチン大統領やロシア軍のトップたちは、自分の経験からその犯罪的な戦い方が『効く』と考えていることが推測される」という方が正確であろう。
無論、だからと言ってこれは現在の国際社会では決して認められるものではないことは重ねて強調しておきたい。
現在、日本のごく一部では、大手メディアを嫌うがあまり、もしくはエッジの効いた意見を言いたいがために、逆張りして「ロシアにも言い分がある」とする意見もあるようだ。
だがSNS時代のリアルタイムで虐殺的な被害が見え始めたいま、このような戦争犯罪を公然と行っているロシアのプーチン大統領の行為は、どう考えても倫理的に「言い分がある」と言えるものではない。