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ここ2、3週間のあいだに沖縄政界には大きな出来事がふたつあった。ひとつは、7月に行われる参院選沖縄選挙区の自民党公認候補が決まったことだ。もうひとつは、この秋に行われる那覇市長選に、無所属の若手新人が名乗りをあげたことだ。

「たかが候補の話じゃないか」というなかれ。当落の帰趨とは別に、このふたつの出来事は沖縄政治に新しい潮流を生みだす可能性を秘めた「事件」であるというのが、筆者の認識である。今回はまず、参院選沖縄選挙区の自民党公認候補について考えてみたいと思う。

沖縄の選挙風景。2018年知事選では保革両陣営が遭遇の珍しいシーンも

自民の連敗が続く参院選

参院選沖縄選挙区は、2013年の第23回参院通常選挙以来、自民党は負け続きである。2013年は国政野党系(後のオール沖縄系)の糸数慶子氏が3回目の当選を決め、2016年(第24回)には、オール沖縄系の新人・伊波洋一氏(元宜野湾市長)が初当選を果たし、2019年(第25回)には、やはりオール沖縄系の新人・高良鉄美氏(琉球大学教授)が初当選を決めている。奇数回と偶数回を併せると2名の参院議員がいるが、現在は2議席ともオール沖縄系が占める。

古謝玄太氏(自民沖縄県連HPより)

7月25日までに行われる参院選(第26回)では、オール沖縄系からは70歳現職の伊波氏が再選を狙う予定だが、自民党の候補は最近まで決まっていなかった。候補には県議や市長など政治家経験者の名が挙がっていたが、自民党沖縄県連の候補者選考委員会において最終的に白羽の矢が立ったのは、中央官庁(総務省)出身ながら無名の新人である古謝(こじゃ)玄太氏(38歳)だった(3月10日公認発表)。

メディアも驚く意外な人選の狙い

正直いってこの人選には驚いた。これまでの参院選沖縄選挙区の自民党候補は、比較的知名度の高い人物が選ばれてきたからである。2013年には、沖縄戦後史に名を残す安里積千代氏(元八重山群島知事・衆院議員)の孫である安里正晃氏、2016年には現職の島尻安伊子氏(当時沖縄担当国務大臣)、2019年には有力企業グループであるシンバネットワークの総帥で地元テレビ番組のナビゲーターも務めていた安里繁信氏が公認候補だった。

今回も、知名度のある現職県議や首長経験者から候補が選ばれると予想されていたが、霞ヶ関出身の若手新人が突如選ばれたのだから、沖縄のメディアもびっくりしたようだ。

古謝氏は1983年10月生まれ、那覇市出身。浦添市の昭和薬科大学附属高校を経て東京大学薬学部を卒業後(薬剤師を取得)、総務省に入省。長崎県財政課長や復興庁参事官補佐などを務め、現在はNTTデータ経営研究所に勤務し、地域活性化・地方創生分野におけるプロジェクトを担当しているという。

自民党県連関係者のなかには、「人選の経過が不透明だ。民主的に選ばれていないのではないか」「知名度が乏しい。選挙には不安がつきまとう」という声がある一方、「復帰50年を皮切りに新しい人材を我々は発掘して、次の強い沖縄を作るためにはこのような人物が一番必要」(島袋大県連幹事長・県議)と大きく期待する声もある。

実は、霞が関の官僚経験者が沖縄県内の首長選挙や国政選挙に立候補して政治家となった事例はほとんどないといってよい。最近では、経産省(旧通産省)出身の仲井眞弘多氏が県知事に当選した例はあるが(2006年〜14年)、仲井眞氏の場合、官僚から直接政治家に転身したのではなく、退官してから知事になるまでのあいだ、沖縄電力の経営にも携わっていた(その間、大田昌秀知事の下で副知事も歴任)。古謝氏のような若手キャリア官僚経験者が出馬するのはきわめて異例のことだ。

が、筆者は古謝氏の出馬は画期的な出来事であると評価している。

鎌倉時代のような?沖縄の政治風土

沖縄社会には、過去の遺物のような古い体質が今でも残っているが、それを象徴するのが政治風土である。古参の政治家や時流に鈍感な組織のリーダーが政界を牛耳り、若手の政治家をコントロールしようとする伝統があり、それが今でも続いている。市議、県議レベルでは有能な政治家が育っているにもかかわらず、彼らを市民生活・県民生活の改善に十分生かし切れないような体質が今も根強く残っている。

翁長雄志前知事(官邸サイト)

本土にもそうした体質はあるが、沖縄の場合は、よりはっきりしたかたちで温存されている。2018年に知事在職中に死去した翁長雄志氏が、そうした政治風土の中心にいた。政治の役割は「既得権益の調整と利権の獲得」であるといわんばかりの古めかしい行動規範が尊重され、「鎌倉時代か?」と疑いたくなるような論功行賞が平然と罷り通っていた。自民党を出て辺野古移設反対運動のリーダーに収まったおかげで、翁長氏は進歩的な首長または「正義の人」と見なされているが、基本的には旧体制のリーダーだったのである。

そんな翁長氏が自民党と袂を分かつ事態になってから、自民県連は迷走を続けてきた。選挙にめっぽう弱くなってしまったのだ。翁長氏のもうひとつの特徴は「選挙に強い」ことだったが、翁長氏不在の自民県連は国政選挙と知事選で敗北を続けた。翁長氏が自陣営から消え、敵方のオール沖縄に乗り替えたからである。2018年にオール沖縄陣営は翁長氏を失ったが、そのおかげもあって自民県連は昨年の総選挙で失地回復。

しかしながら、まだまだ盤石とはいえない。翁長氏らが作りあげた旧体制のルールが沖縄にはまだ生きているからである。各県議・各市議の後援会名簿をもとに電話作戦を展開すると同時に、既得権の保持や利権の獲得をにおわせながら組織や団体をテコ入れするような選挙のやり方では、もはや県民の心は掴みきれない。

県民を幻惑する「戦争か平和か」の二者択一

弱体化したとはいえオール沖縄(反自公勢力)の壁は簡単には切り崩せない。彼らの主要な支持母体である労組や基地反対運動は、いまだ選挙のさいに大きな力を発揮する。

翁長氏は「辺野古移設反対」を県民の矜恃にまで磨きあげ、社民党や共産党などともに「戦争のための基地を選ぶのか、それとも沖縄の心(平和の心)を選ぶのか」という異次元の二者択一を県民・市民に突きつける手法を選んだが、「戦争がいいのか、それとも平和がいいのか」と問われれば、多くの県民は「平和」を選ぶに決まっている。選挙の度に、「沖縄県民は平和の守護者」というイメージが膨らみ、それが功を奏して翁長氏とオール沖縄は勝利を収めてきた。

だが、オール沖縄が突きつけた二者択一は県民生活とは必ずしも直結しない。コロナ禍で行われている最近の選挙では、「戦争か平和か」の二者択一の効力は明らかに薄れつつある。これはオール沖縄弱体化の一因でもあるが、県民は明らかに具体的な政策を通じた暮らしの改善を求めているのだ。もっといえば、政治的主張に左右されない、実効性ある行政の実現こそ県民が求めるものである。

米軍基地前の反対運動(名護市内で撮影2018年)

沖縄が「日本一の貧困県」に留まっている背景には、政治的リーダーがこの二者択一にこだわりすぎ、現実の行政を疎かにしてきたという事情があることに、県民は気づき始めている。これに対して自民党県連は、「本土からカネを引っ張ってこられる政治家を選ぶべきだ」と対抗するが、実はこれも翁長氏流の政治手法だ。県民は、カネを引っ張ってきても、それだけで生活は改善されないという現実にも気づき始めている。「翁長氏はカネを平和と言い換えただけだ」という指摘すらあるが、要するに、自民党もオール沖縄も、県民生活と乖離した「旧体制」の枠内でパイの奪い合いをしているだけなのである。

沖縄は旧体制に訣別できるか?

沖縄の政治と政治家は、今こそ旧体制に訣別し、「県民のための政治」を実現する必要に迫られている。そのためにはまず、旧体制の既得権益や選挙手法ともっとも遠い位置にいる候補者が選ばれてしかるべきだが、自民県連は今回の候補者選定にあたって、偶然なのか、計算の上なのかはともかくとして、結果的に見事な人選を果たした。

過去の遺物となっている政治手法から離れ、既得権益からもっとも遠いところにいる若手を選んだ。沖縄では時として大きな威力を発揮する血縁や人脈があまりなさそうなところもいい。しかも、古謝氏は、地方自治に精通した総務省の元キャリア官僚。NTTデータ研究所での仕事も、沖縄では欠落しがちな行政の合理性や実効性を追求するために必要なツールだろう。おまけに、本人はきわめて意欲的だという。

古謝氏の当選の可能性については現段階では何も言えない。政策パッケージやスピーチの巧拙も未知数だ。一方、対抗馬である伊波洋一氏も、現職の強みを生かして、万全の態勢で臨んでくるだろう。もはや辺野古一辺倒で楽勝できる選挙戦ではないことは承知しているだろうから、公約についても調整してくる可能性はある。

だが、自民党沖縄県連が新たなステップに踏み出そうとしていることは事実だ。これまでとは異なる選挙戦になることも間違いない。古謝候補の出馬が沖縄政治にとっての画期になればいいと期待するが、元に道に戻る可能性もなしとはしない。いずれにせよ、9月11日に行われる沖縄県知事選の前哨戦としても参院選の行方から目が離せない。