もっと詳しく

【編集部より】目の前の鮮烈な出来事も、学問的に整理してみると、人類が経験してきた過去の出来事との共通する要素を見出し、それが前例のない未来を占うときのヒントになることも。

この連載は、米ジョージタウン大学の外交政策学修士課程で学ぶ傍ら、ツイッターで国際政治学者の論文や海外メディアをもとに時事ニュースを解説し、好評を博している佐々木れなさんが、世界で起きている外交・安全保障の問題を、国際政治学の理論・考え方を使ってサキシル読者の皆様の参考になるような視点を提供します。

GOCMEN /iStock

この連載の目的は、今世界で起きている国際問題を、国際政治学の理論やフレームワークで説明することである。理論やフレームワークは、今起きている国際問題の複雑な情報を構造化し、論理的に思考する一助となる。第1回はロシアによるウクライナ侵略を取り上げる。

ロシアによるウクライナ侵略

ウクライナ危機は、2013年11月、ウクライナでロシア寄りのヤヌコビッチ大統領(当時)がEUとの経済統合強化のための協定を拒否したことに対する抗議デモから始まった。

激しいデモの結果、ヤヌコビッチはロシアに逃亡したが、ウクライナの西側諸国への接近を良しとしないロシアは2014年にクリミア半島を編入した。そしてロシアはドネツク・ルガンスクを含む東部のドンバス地方で親ロシア派の分離主義者が率いる反乱を支援した。

これに対し、米国やその他のNATO加盟国は強い対応をせず、今日に至るまでこれらの侵攻に対する抜本的な解決はなされてこなかった。

その後、2019年にウクライナで親EU路線のゼレンスキー大統領が当選した。ゼレンスキー大統領は、ドンバス地方の二地域(ドネツク・ルガンスク)に特別な地位を与えるという合意を拒否し、ロシアがレッドラインと考えるNATOへの加盟希望や協力深化を公言してきた。

この硬直したロシア=ウクライナ関係の中、プーチン大統領は2021年末からウクライナとの国境に約19万人ものロシア軍を配置し、圧力をかけ続けてきた。この緊張を外交的に解決することはできず、ロシアは一方的に2022年2月21日にドネツク・ルガンスクの二地域を独立国家として一方的に承認し、更には平和維持活動としてロシア軍の進駐を開始した。

ウクライナへの攻撃命令を発表するプーチン大統領(ロシア大統領府サイト)

そして、プーチン大統領は2月24日にウクライナ全土に対して特別軍事活動を開始すると宣言し、25日には本格的な侵攻が始まった。

欧米諸国は経済制裁を仄めかし、国際世論は強く反発していたにも関わらず、なぜロシアはウクライナに侵攻したのか?この侵攻を「プーチンの狂気」と片付けずに、なぜ侵攻したのかを考えてみたい。

外交政策決定論

ロシアの外交政策の決定過程を分析するためのフレームワークとして、米国の国際政治学者グレアム・アリソン教授が提唱した外交政策決定論を用いる。アリソン教授は1971年に、①合理的行為者モデル、②組織行動モデル、③官僚政治モデルの3つを提唱した。このモデルは外交政策の実務でも用いられている。

① 合理的行為者モデル

合理的行為者モデルとは、国家が常に合理的な行動を取るという前提に立つことで国家の意思決定や行動を説明するものである。合理的な行動とは、一貫して効用を最大化させる政策を取ることである。そして国家の最も重要な目的は“国家の存続”である。

Erhoman /iStock

このモデルによると、ロシアはNATOの東方拡大を“国家の存続”に対する脅威とみなしたため、ウクライナに侵攻し、ロシアとNATOの間に安全保障上のバッファー(緩衝)ゾーンを作ろうとしたと説明できる。

ウクライナを西側の勢力圏に完全に取り込むことを許せば、ロシアの大国としての存続そのものが危うくなる。実際にハーバード大学スティーブン・ウォルト教授は、ウクライナの地政学的配置はロシアにとって重要な利益であり、ロシアはそれを守るために武力行使も辞さないとしている。

② 組織行動モデル

組織行動モデルは、行為者を国家や政府ではなく組織というレベルで捉え、その組織の行動は既存の行動様式に基づいて機能する各組織がつくり出した結果である、と仮定するモデルである。

ロシアには、紛争が進展した場合にどのような行動を取るかを示す基本原則(ドクトリン)があると、米海軍分析センター(CNA)のロシア専門家マイケル・コフマン氏は指摘する。この基本原則によると、まずは間接的な威嚇や武力誇示から、紛争がエスカレートすると直接的な威嚇や通常兵器の使用、非戦略核兵器の選択的使用、そして最終的には非戦略核兵器や戦略核兵器の大規模な使用へと移行していく。

ロシアは再度NATOの不拡大の保証を要求したが、外交的手段によって達成できなかったため、ロシア軍の基本原則に従って、国境に大軍を配置して威嚇・武力誇示し、相手の行動が変わらなかったため、次の段階として通常戦力で侵攻したと解釈できる。

官僚政治モデル

官僚政治モデルは、政策決定者の集団に焦点を当て、組織の行動は階層的に位置づけられるプレーヤー間の駆け引きゲームの結果として理解される。それぞれの組織・個人が各々利益の最大化を求め、その中で勝ったものの意見が採用されるというモデルである。

プーチンの「側近」ショイグ国防相(ロシア政府サイト)

プーチンの側近の主なメンバーは、安全保障会議書記のニコライ・パトルシェフ、KGBの後継機関であるFSBアレクサンドル・ボルトニコフロシア対外情報庁セルゲイ・ナルイシキン、そして国防相のセルゲイ・ショイグである。

ほぼ2世紀にわたって、ロシア社会では軍が重要視されていたにもかかわらず、政治的な意思決定に関与することはほとんどなかった。しかし国防相のショイグの率いる軍部は、2014年のクリミア占領とその1年後のシリア介入まで成功を収めてきた。それがクレムリンにおけるショイグの評判を高め、政府内で軍により高い地位を与えることになった。そして、プーチンはよりショイグの意見に耳を傾けるようになり、今回の侵攻に踏み切ったとの見方もある。

ロシアによるウクライナ侵攻の理由

以上より、ロシアはなぜウクライナを侵攻したか?という問いの答えは、外交政策決定論を用いることで

ロシアはNATOの拡大を国家存続の危機であると認識したため、NATO不拡大を求めて欧米諸国と交渉した。しかし外交的手段により解決できなかったため、基本原則に従って紛争をエスカレートさせ、ウクライナに侵攻するに至った。その背景には、プーチンの政権内で発言力を強めているショイグ国防相が軍事的手段に出ることを強く進言し、それをプーチンが受け入れた可能性がある

と説明できる。

以上の分析はロシアの行動を理解するためのものであり、決して容認できるものではない。

ロシアがウクライナを“主権がない国家”と一方的に断じ、主権国家の領土を軍事力を背後に一方的に独立承認し、主権国家に侵攻することは、ルールに基づく国際秩序そのものへの挑戦であり、断じて許してはならない。