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FMCでさらにイケメン化!!! 新型ノア/ヴォクシー ミニバン絶対王者の強力進化

 今では少数派となったが、日本の自動車メーカーが元気な頃はベース車から派生した兄弟車が多かった。だが、2022年の今、グローバルで展開される新車開発において兄弟車を持つのはトヨタだけとなっている。

 かつてはどのメーカーにも兄弟車が存在していた。そこで、過去に一世を風靡した兄弟車に焦点を当て、その魅力を探ってみよう。

文/片岡英明写真/トヨタ、日産、マツダ、三菱、ホンダ

【画像ギャラリー】日本車も少子化!? かつてわんさか存在した兄弟車を回顧してみた!(39枚)画像ギャラリー

■兄弟車戦略の口火を切ったのは2代目カローラだった!

 プラットフォームやパワートレーンなどを共用する兄弟車を最初に出したのはトヨタだ。1970年春、カローラをモデルチェンジするとクーペモデルだったスプリンターを独立させ、双子の兄弟車とした。カローラとはフロントマスクやリアランプなどが微妙に違う。

2代目カローラ。初代発売より日本のトップセラーとして君臨し続けた偉大な国民車となり、現在に至る。2代目も初代になかった装備の充実により、どんどん売れ続けた
こちらは「スプリンター」。フロントグリルとライトが若干カローラと異なる。ただ、当時のフォードマスタングを思わせるグリルとボディカラーの影響か? こちらは2002年に販売終了となった

 そして秋にはスポーティセダンのカリーナとスペシャルティカーのセリカを発表する。セダンとクーペ、デザインとジャンルは大きく異なるが、シャシーやサスペンション、パワーユニットなどを共用とした。

初代「セリカ」。ダルマの愛称で当時のヤングに爆発的にヒット。登場当初はオーナーの好みで仕様を決められるフルチョイスシステムも話題になった
初代「カリーナ」。セリカとプラットフォーム共有するスポーツセダンとして誕生。写真は海外仕様のため左ハンドルだが、4ドア車だけにファミリーユースも意識した写真にも見える

 この兄弟車戦略によってバリエーションを増やすとともに、コストの低減を図ることにも成功。この2車は独自の境地を切り開き、ともにトヨタを代表する名車の1台に成長する。

■ 最も成功した兄弟車といえば、マークII3兄弟だろう

 が、多くの人がサクセスストーリーを築いた兄弟車として推すのは、1980年代に大ブレイクしてハイソカーブームを築いたマークII/チェイサー/クレスタの3兄弟だろう。

初代マークII。コロナの上級版として登場。エンジンはコロナと同じ1.6L(7R型)と1.9L(8R型)エンジンを搭載。1.9L版はクラウンに近いハイオーナーカー仕立てとした

 ご存じのようにマークIIは、クラウンとコロナのギャップを埋めるために、1968年秋にコロナの上級モデルとして送り出されたハイオーナーカーだ。1976年秋に3代目を登場させたが、これをベースにスポーティな味付けを施したチェイサーを1977年6月に誕生させている。

1977年に登場した初代「チェイサー」。マークIIに対して、若者向けを狙った車種コンセプトだった為か、写真の様な鮮やかな外装色が設定されたり、2ドアハードトップも用意された

 この2兄弟に3番目の兄弟が加わるのは1980年3月だ。4月に新販売チャンネルの「ビスタ」店をオープンさせるが、そのフラッグシップとしてクレスタを開発した。エレガントな4ドアセダンで、新設計の1G-EU型直列6気筒を主役の座につけている。

初代「クレスタ」。4代目マークII、2代目チェイサーに半年先駆けて登場した。ハイソカーブームの火付け役となるクルマらしく、角ばったボディと金属調加飾で高級感の増したデザインだった

 そして、このプラットフォームとパワーユニットなどを採用した第4世代のマークIIと第2世代のチェイサーが半年遅れで登場した。3兄弟はターボやDOHCエンジンなどを加え、販売台数を大きく伸ばしていく。

■折しも日本はバブル景気の最中。兄弟車を作れば飛ぶように売れる時代でもあった

 破竹の快進撃を続け、大ブレイクするのは1984年夏に3兄弟が一斉にモデルチェンジしてからだ。デザインの差別化を強調したX70系のマークII3兄弟は大ヒット。マークIIだけで月に2万台を販売し、スーパーホワイトのボディカラーがバカ売れした。

 そしてソアラとクラウンを巻き込んでハイソカー旋風を巻き起こすのである。これに続くX80系マークII/チェイサー/クレスタもバブルの後押しを受け、売れに売れた。

1980年代はまさにマークII3兄弟の絶頂期となった。特に1988年に登場したX80系はマークIIのみで84万台を販売!! ホワイトボディにTWINCAM24のロゴがオーナーの心をがっちり掴んだ
チェイサーは4代目。3兄弟のなかでは若年層をターゲットとしたため、4ドアハードトップのみの設定。TWINCAM、TWINTURBOとツイン尽くしで人気沸騰! このシリーズのみで29万台を販売
3代目クレスタ。チェイサーとは対照的にこちらはセダンのみの設定。ハードトップに比べ落ち着いた外観と豪華賢覧な内装はシニア層の満足度が高かった。このシリーズのみで36万台を販売

 1985年秋、トヨタはマークIIの下のクラスをFF化する大胆な戦略に出る。スペシャルティカーのセリカも、フロアまわりやサスペンションをコロナとカリーナのFFシリーズから譲り受け、FFスポーツに生まれ変わった。

 この時に兄弟車として誕生したのがピラーレス4ドアハードトップのカリーナEDだ。セリカの4ドア版と言える兄弟車で、エレガントなルックスがウケ、女性ファンを増やしている。走りの実力も高かった。

1985年ついにセリカがFF化。それまでの角ばったデザインから一気に流面形へ変化した。このクルマでスキーに行ってしまう映画『私をスキーに連れて行って』も大ヒット
カリーナED。FFとなったセリカをベースにスモールキャビンを備えたスペシャルティなデザインで大ヒット。EDは「エキサイティング・ドレッシー」の略だそうだ

 また、セリカとカリーナEDの兄弟車としてノッバックの2ドアクーペ、コロナクーペも加わっている。だが、セリカとカリーナEDほどには売れなかった。

 そこで1989年にセリカとカリーナEDがモデルチェンジした時に4ドアハードトップにボディタイプを変更。カリーナEDの双子車となり、車名もコロナEXiV(エクシヴ)に変えている。バブル期だったからそれなりに売れたが、カリーナEDのような名声は築けなかった。

カリーナEDに続き、コロナにもエクシブが追加された。EDも2代目にチェンジしたタイミングだったためか、兄弟が増えても初代ほどのヒットにはならかった

■日産も積極的に兄弟車戦略を進めたが徐々に整理され、ほぼ全車が消滅

 日産にも多くの兄弟車が存在する。初期の作品は2代目バイオレットが登場した1977年春に誕生したオースターだ。3カ月後にはリベルタが加わり、3兄弟となっている。この3車は81年にモデルチェンジした時にFF車になり、これを機に車名をバイオレット・リベルタ、オースターJX、スタンザFXに改名した。

日産「バイオレット」。大衆車サニーと上級移行したブルーバードの中間車種として登場。初代はブルーバード系の車両を示す、710系の型式を名乗る

 が、まだFF車に懐疑的な人も多く、バイオレットは1982年に生産終了。残る2車の兄弟車はモデルチェンジしたものの、1990年に初代P10プリメーラにバトンを託して消滅する。

3代目はFFへ移行。しかし、ブルーバードとの競合等も考慮し、発売後わずか1年で1クラス下のリベルタビラにバトンタッチされることとなる
3代目はFFへ移行。しかしブルーバードとの競合等も考慮し、発売後わずか1年で1クラス下のリベルタビラにバトンタッチされることとなる
兄弟車となったオースターはそのまま存続。スタンザとオースターはもう一世代生き延びたものの、やはり販売は振るわずプリメーラに統合される形で廃止となった

 この下のクラスにはチェリーの後継としてパルサーを1978年に送り込んだ。1980年にはプリンス店に兄弟車のラングレーを投入。次の3代目パルサーではクーペモデルをエクサの名で発売している。

日産のFFモデル、パルサー。海外向け車両として開発されていたこともあり、車両としてのデキはよかった。今も欧州や中国でモデルとしては存続している
上のバイオレット系の流れを汲むリベルタビラ。ミニブルーバードの趣となったという意味では初代バイオレットに先祖返りした感じか
こちらはミニスカイラインの位置づけとした販売された「ラングレー」。写真ではわからないがセダンは丸目4灯でスカイライン系統であることをアピールした
さらにアメリカ向けに開発されたクーペ、エクサも投入された。リアのハッチは着脱可能(北米ではキャノピータイプと交換可能)。Tバールーフも装備されたので思い切りオープンエアが楽しめた

 そして1986年に登場した3代目パルサーの時にEXAを独立させ、「ミニ・スカイライン」の名で売ったラングレーに加え、日産店に4番目の兄弟車、リベルタビラを送り込んだ。が、パルサー以外は1990年に4代目パルサーに一本化され、消滅している。

■日産の兄弟車戦略で唯一気を吐いたのがS13系のシルビアと180SXか

 日産で数少ない成功例はS13シルビアの兄弟車として1989年春に誕生した180SXだろう。ガゼールからバトンを引き継いで登場した。180SXはリトラクタブルヘッドライトの精悍な3ドアハッチバックのスポーツクーペで、ドア以外は専用デザインだ。

 当初は1.8ℓエンジンでスタートし、中期モデルからはSR20系の2Lエンジンに換装している。次のS14シルビアはワイドボディをまとっていたが、操る楽しさに満ちた5ナンバー枠の2LFRスポーツにこだわる走り屋たちは180SXに惹かれ続けたのだ。

いわずとしれたS13シルビア。アートフォースシルビアとして、バブル期に一世を風靡した。写真はルーフを幌に変えたオープンカー仕様。売れればさまざまな仕様が追加されるものだ
そのS13をベースに主に北米向け販売を目的として開発された180SX。S13生産終了後も継続生産された稀有なモデル。最終的には他社への生産委託が可能とした延命策が功奏した例だ

 安定して売れ続けたため10年近く第一線で活躍。今も名車として賞賛されている。

■マツダの野望はバブルと消えた「クロノスの悲劇」

 マツダはバブル期に浮かれて5チャンネル体制を敷いた。これを機にラインナップも一新し、ニューモデルをたくさん生み出している。

 最も多産系だったのはカペラの後継として登場したクロノスを中心とする8兄弟だった。アルファベットと数字を組み合わせた兄弟車も多かったが、性格分けは明確ではなかった。

マツダ「クロノス」。カペラが大型化し、全幅が1700㎜を超えたため車名を変えたという経緯がある。5チャンネルに増殖したなかでクロノスはマツダ店で販売された。すべての悲劇はここから始まった
アンフィニ「MS-6」。クロノスの5ドアハッチバックセダン版だった。欧州では好評だったこのスタイリングも日本では不評で、販売は低迷した
ユーノス「500」。ユーノスブランドの理念である10年基準のもとに開発された。デザイン的にもシリーズ中で最も完成された車両であり、現在もその美しさが評価されている
マツダ「MX-6」。クロノスベースのクーペでマツダ店で販売。日本ではまったく振るわなかったが、イギリスなどではカーオブサイヤーを獲得するなど高評価だった

 しかし、バブルが弾け、5チャンネルの販売網を切り回す体力はなかったので数年で崩壊している。クロノスの悲劇だった。

■三菱も1990年代は積極的に車種展開。そのなかから生まれた「ランエボ」

 三菱は1980年代にFFコンパクトカーのミラージュとランサーを兄弟車に仕立てている。プラザ店の顧客を増やすためだが、時代に先駆けて4WDターボを設定するなど、新しい試みにも挑戦した。

三菱の小型車を支えてきたランサーに転機をもたらした「ランサーエボリューション」シリーズ(写真はエボIV)。
このクルマで培われた走りの技術は電動化が進む今の三菱車にも連綿と受け継がれている

 1990年代になってもミラージュとランサーの兄弟関係は続いたが、ランサーを高性能化したエボリューションを投入したことが功を奏し、力関係は逆転する。

三菱「ミラージュ」。もともと小型ハッチバック車主体だったミラージュ。1980年代以降はさまざまなバリエーションを拡充。ただし迷走感も否めず、徐々にランサーに押され、一旦フェードアウトすることに
FR車だったランサーEXが走りのモデルとして一時代を築いた後、ミラージュの兄弟車になったランサー。しかし1990年代に入ってから派生車である「エボリューション」台頭で、ランサーが三菱の販売の主力となった  

 この手法を三菱は上級クラスにも持ち込んだ。1990年にフルタイム4WDにV型6気筒エンジンのディアマンテを送り出し、その兄弟車として4ドアセダン版のシグマも販売した。

1980年代後半にヒットしたギャランをベースにさらに大型化、高級化したのが初代ディアマンテとシグマだ。写真のシグマはその後ワゴンのベースにもなった
こちらは4ドアハードトップ版のディアマンテ。日本の車両税制に改正に合わせたエンジンラインナップを先行して取り揃えたこともあり、大ヒットした

 この戦略は当たり、ディアマンテは大ヒットを飛ばしている。シグマはそれなりの販売にとどまったが、走りの実力は大きく引き上げられ、新境地を切り開くことに成功した。

 20世紀の最後の20年、兄弟車の誕生によって日本の自動車界は一気に華やかになっている。販売店を整理し、オンライン販売も視野に入った今は、兄弟車を必要としない。だが、違う個性で勝負し、強い印象を残した兄弟車の登場をもう一度見てみたいとも思う。

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