今では少数派となったが、日本の自動車メーカーが元気な頃はベース車から派生した兄弟車が多かった。だが、2022年の今、グローバルで展開される新車開発において兄弟車を持つのはトヨタだけとなっている。
かつてはどのメーカーにも兄弟車が存在していた。そこで、過去に一世を風靡した兄弟車に焦点を当て、その魅力を探ってみよう。
文/片岡英明、写真/トヨタ、日産、マツダ、三菱、ホンダ
【画像ギャラリー】日本車も少子化!? かつてわんさか存在した兄弟車を回顧してみた!(39枚)画像ギャラリー■兄弟車戦略の口火を切ったのは2代目カローラだった!
プラットフォームやパワートレーンなどを共用する兄弟車を最初に出したのはトヨタだ。1970年春、カローラをモデルチェンジするとクーペモデルだったスプリンターを独立させ、双子の兄弟車とした。カローラとはフロントマスクやリアランプなどが微妙に違う。
そして秋にはスポーティセダンのカリーナとスペシャルティカーのセリカを発表する。セダンとクーペ、デザインとジャンルは大きく異なるが、シャシーやサスペンション、パワーユニットなどを共用とした。
この兄弟車戦略によってバリエーションを増やすとともに、コストの低減を図ることにも成功。この2車は独自の境地を切り開き、ともにトヨタを代表する名車の1台に成長する。
■ 最も成功した兄弟車といえば、マークII3兄弟だろう
が、多くの人がサクセスストーリーを築いた兄弟車として推すのは、1980年代に大ブレイクしてハイソカーブームを築いたマークII/チェイサー/クレスタの3兄弟だろう。
ご存じのようにマークIIは、クラウンとコロナのギャップを埋めるために、1968年秋にコロナの上級モデルとして送り出されたハイオーナーカーだ。1976年秋に3代目を登場させたが、これをベースにスポーティな味付けを施したチェイサーを1977年6月に誕生させている。
この2兄弟に3番目の兄弟が加わるのは1980年3月だ。4月に新販売チャンネルの「ビスタ」店をオープンさせるが、そのフラッグシップとしてクレスタを開発した。エレガントな4ドアセダンで、新設計の1G-EU型直列6気筒を主役の座につけている。
そして、このプラットフォームとパワーユニットなどを採用した第4世代のマークIIと第2世代のチェイサーが半年遅れで登場した。3兄弟はターボやDOHCエンジンなどを加え、販売台数を大きく伸ばしていく。
■折しも日本はバブル景気の最中。兄弟車を作れば飛ぶように売れる時代でもあった
破竹の快進撃を続け、大ブレイクするのは1984年夏に3兄弟が一斉にモデルチェンジしてからだ。デザインの差別化を強調したX70系のマークII3兄弟は大ヒット。マークIIだけで月に2万台を販売し、スーパーホワイトのボディカラーがバカ売れした。
そしてソアラとクラウンを巻き込んでハイソカー旋風を巻き起こすのである。これに続くX80系マークII/チェイサー/クレスタもバブルの後押しを受け、売れに売れた。
1985年秋、トヨタはマークIIの下のクラスをFF化する大胆な戦略に出る。スペシャルティカーのセリカも、フロアまわりやサスペンションをコロナとカリーナのFFシリーズから譲り受け、FFスポーツに生まれ変わった。
この時に兄弟車として誕生したのがピラーレス4ドアハードトップのカリーナEDだ。セリカの4ドア版と言える兄弟車で、エレガントなルックスがウケ、女性ファンを増やしている。走りの実力も高かった。
また、セリカとカリーナEDの兄弟車としてノッバックの2ドアクーペ、コロナクーペも加わっている。だが、セリカとカリーナEDほどには売れなかった。
そこで1989年にセリカとカリーナEDがモデルチェンジした時に4ドアハードトップにボディタイプを変更。カリーナEDの双子車となり、車名もコロナEXiV(エクシヴ)に変えている。バブル期だったからそれなりに売れたが、カリーナEDのような名声は築けなかった。
■日産も積極的に兄弟車戦略を進めたが徐々に整理され、ほぼ全車が消滅
日産にも多くの兄弟車が存在する。初期の作品は2代目バイオレットが登場した1977年春に誕生したオースターだ。3カ月後にはリベルタが加わり、3兄弟となっている。この3車は81年にモデルチェンジした時にFF車になり、これを機に車名をバイオレット・リベルタ、オースターJX、スタンザFXに改名した。
が、まだFF車に懐疑的な人も多く、バイオレットは1982年に生産終了。残る2車の兄弟車はモデルチェンジしたものの、1990年に初代P10プリメーラにバトンを託して消滅する。
この下のクラスにはチェリーの後継としてパルサーを1978年に送り込んだ。1980年にはプリンス店に兄弟車のラングレーを投入。次の3代目パルサーではクーペモデルをエクサの名で発売している。
そして1986年に登場した3代目パルサーの時にEXAを独立させ、「ミニ・スカイライン」の名で売ったラングレーに加え、日産店に4番目の兄弟車、リベルタビラを送り込んだ。が、パルサー以外は1990年に4代目パルサーに一本化され、消滅している。
■日産の兄弟車戦略で唯一気を吐いたのがS13系のシルビアと180SXか
日産で数少ない成功例はS13シルビアの兄弟車として1989年春に誕生した180SXだろう。ガゼールからバトンを引き継いで登場した。180SXはリトラクタブルヘッドライトの精悍な3ドアハッチバックのスポーツクーペで、ドア以外は専用デザインだ。
当初は1.8ℓエンジンでスタートし、中期モデルからはSR20系の2Lエンジンに換装している。次のS14シルビアはワイドボディをまとっていたが、操る楽しさに満ちた5ナンバー枠の2LFRスポーツにこだわる走り屋たちは180SXに惹かれ続けたのだ。
安定して売れ続けたため10年近く第一線で活躍。今も名車として賞賛されている。
■マツダの野望はバブルと消えた「クロノスの悲劇」
マツダはバブル期に浮かれて5チャンネル体制を敷いた。これを機にラインナップも一新し、ニューモデルをたくさん生み出している。
最も多産系だったのはカペラの後継として登場したクロノスを中心とする8兄弟だった。アルファベットと数字を組み合わせた兄弟車も多かったが、性格分けは明確ではなかった。
しかし、バブルが弾け、5チャンネルの販売網を切り回す体力はなかったので数年で崩壊している。クロノスの悲劇だった。
■三菱も1990年代は積極的に車種展開。そのなかから生まれた「ランエボ」
三菱は1980年代にFFコンパクトカーのミラージュとランサーを兄弟車に仕立てている。プラザ店の顧客を増やすためだが、時代に先駆けて4WDターボを設定するなど、新しい試みにも挑戦した。
1990年代になってもミラージュとランサーの兄弟関係は続いたが、ランサーを高性能化したエボリューションを投入したことが功を奏し、力関係は逆転する。
この手法を三菱は上級クラスにも持ち込んだ。1990年にフルタイム4WDにV型6気筒エンジンのディアマンテを送り出し、その兄弟車として4ドアセダン版のシグマも販売した。
この戦略は当たり、ディアマンテは大ヒットを飛ばしている。シグマはそれなりの販売にとどまったが、走りの実力は大きく引き上げられ、新境地を切り開くことに成功した。
20世紀の最後の20年、兄弟車の誕生によって日本の自動車界は一気に華やかになっている。販売店を整理し、オンライン販売も視野に入った今は、兄弟車を必要としない。だが、違う個性で勝負し、強い印象を残した兄弟車の登場をもう一度見てみたいとも思う。
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