災害、テロ、感染症、そして有事……。あらゆるリスクがまさに顕在化する中、日本の「危機管理のあり方」や、正確な情報を発信し、対策を模索する「リスクミュニケーション」、偽情報への対処が問われている。
日本大学危機管理学部の設置に尽力し、『リスクコミュニケーション―多様化する危機を乗り越える』(平凡社新書)を上梓した福田充教授に、リスクをめぐる日本社会のあり方について聞く連続インタビュー。最終回は、軍事や安全保障などをタブー扱いすることで失ってきたことや、ウクライナ問題で見えてきたという変化の兆しについて論じる。
「東大先端研の小泉悠」という「奇跡」
――ウクライナ情勢に関する報道で、安全保障や軍事、国際情勢に関する報道のあり方に変化の兆しが見える、と先生はおっしゃっています。
【福田】はい。これまでテレビや新聞で見ることのできなかった、安全保障や軍事の専門家が次々登場しています。特にロシアの軍事を研究している小泉悠さんが「東大先端研専任講師」として出演されているのが象徴的です。東大は「軍事研究禁止」を掲げていますし、10年前ならあり得ない光景です。私のような危機管理の研究者にも、新聞社から取材依頼が来るようになるなど、少なくともメディアではかつての「タブー視」が弱まってきたことを感じます。
――戦争、軍事紛争、有事というのも「リスク」の一つですが、「日本では戦争や軍事、安全保障が学問として受け入れられなかった」とよく言われます。実際、本当にタブーだったのでしょうか。
【福田】まさに戦後長い間、「危機管理」や「有事」という言葉は政治的にも学術的にもタブーになっていました。「戦前を想起させる」とか「国民を監視するものだ」というイメージが付きまとっていたからです。特に「安全保障・軍事=タカ派」というイメージは根強く、社会的にも忌避感情が強くありました。
新著『リスクコミュニケーション―多様化する危機を乗り越える』(平凡社新書)では「危機管理」という言葉が朝日新聞紙上でどの程度使われたかを調査し、グラフを掲載しています。1992年から調査し、94年までは100件以下でしたが、95年に阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件が起こり、一気に504件まで増えています。その後、北朝鮮の弾道ミサイル実験なども加わり、社会的にはある程度、危機管理の重要性が人口に膾炙するようになりました。
しかし学術的な研究は社会よりもさらに遅れています。私自身、危機管理や安全保障、テロ対策の研究をしたくても日本ではできなかったため、コロンビア大学へ渡りました。今回のウクライナ情勢についてメディアによく登場する米国政治学の中山俊宏先生、国際政治学の細谷雄一先生らは、日本では安全保障を研究できなかったこともあって海外へ出て研鑽を積んだ、日本では育てられなかった人たち。あるいはイスラム研究者の池内恵さんにしても「地域研究」名目で中東の安全保障分野を研究してきた「仲間」です。
日大に「危機管理学部」を作るのも大変な苦労をして、毎月毎月、6年も文科省に通ってようやくできたくらいです。
危機管理のリベラルアプローチという選択
――何が壁になっていたんですか。
【福田】「戦略論」と言えば「戦略は戦争を研究するためのものだから、防衛大学校以外認められない」とか。「治安犯罪対策」という名称は学問にしては血なまぐさいのでダメだとか。しかし、粘り強く危機管理にも憲法や日本の法体系になじむリベラルアプローチがあることを説明し続けました。頭をひねって、「戦略論」は「ストラテジー」、「治安対策」は「パブリックセキュリティ」と言い換えて、ようやく通りました。
――「作戦」を「運用」と言ったり、「歩兵部隊」を「普通科」と言ったりする自衛隊と一緒ですね。
【福田】しかし、軍事や安全保障を研究すること、語ること自体を危険視する風潮を、もうそろそろ改めなければなりません。
私がコロンビア大学戦争と平和研究所で弟子入りしたのはロバート・ジャービス教授でした。彼はバリバリの民主党員で、それこそ若い頃は対ソ連の安全保障や核戦略とインテリジェンスを研究していました。彼はこう言っていました。
「安全保障や軍事、インテリジェンス、テロ対策というのは、確かに危険なもので、行き過ぎれば民主主義を破壊する可能性はある。しかしだからと言ってなくすことはできないし、社会を守るために必要なものである。だとすれば、安全保障や軍事、インテリジェンスをリベラルなアプローチでやる必要がある。むしろ、タカ派の専売特許にする方が危険だ。市民がどう安全保障を考えるか。それもシビリアンコントロールだろう」
先生の授業や演習を受ける中で、「日本に足りないのはこれだ、危機管理に関するリベラルアプローチだ」と確信しました。実際、今ウクライナ情勢やロシアについて語っている小泉悠さんは、非常に軍事に詳しいけれど極めてリベラル的で、ヒューマニズムに基づく価値観からご自身の見解を語っています。
「ゼロかヒャクか」ではない議論の場を
――小泉さんの解説を聞いて「タカ派で戦争好き」と思う人はいないと思います。防衛研究所の高橋杉雄さんが言葉を詰まらせてウクライナの子供の話をしたシーンも話題になりました。
【「夢を諦めないで」軍事専門家の想い】
防衛省防衛研究所 防衛政策研究室長 高橋杉雄氏
「レアル・マドリードの #モドリッチ というサッカー選手はクロアチア出身で少年時代がユーゴ内戦。家族を失い家を失い、その中で練習」「W杯で準優勝し世界の最優秀選手に。夢があることを諦めないで」
— 報道ステーション+土日ステ (@hst_tvasahi) March 18, 2022
【福田】 今メディアに出ている専門家の方々の多くがそうですよね。皆さん、人道的な価値を非常に重んじている。この20年、「軍事忌避」の風潮の中を潜り抜けて育ってきた専門家たちに、ようやく光が当たっているように思います。平和構築のためには戦争を知らなければいけないし、ロシアの横暴を止めるためにも、ロシアの軍事を知らないといけない。それを私たちは言い続けてきて、ようやく今、それが実現しつつある。
そしてまさに現状が示しているように、市民が安全保障を語るようになることは、イコール右傾化では全くありません。みんなでリベラルに議論できる場所を作るべきで、もしそこで右傾化の兆しが出てくれば、議論の中で方向性を見直せばいい。「ゼロかヒャクか」ではない、よりよい議論のできるプラットフォームを作り、みんなで参加して、議論して、それが政策として反映されていく。これがリスクコミュニケーションのあるべき姿ですし、本当の民主主義なんですよね。
ウクライナと連帯も……SNSには希望がある
――ヒューマニズムで言えば、福田先生もウクライナ情勢に関連して、人道主義の重要性をつぶやかれたり、現地の人々の苦難の姿を紹介されたりしています。
涙がでる。
ウクライナのシェルターの中、家族や住民の前で「Let it go」を歌う少女。
この少女の命は助かるだろうか。
国外避難できず自宅の地下壕に隠れ生活するウクライナ市民。食料はもつだろうか。砲撃やミサイル攻撃から住民たちは生き延びられるだろうか。
自分は何をしているのかと腹が立つ。 https://t.co/VLuSlJn92Z— 福田充 Mitsuru Fukuda (@fukuda326) March 7, 2022
【福田】 学生からは、「先生のツイッターを見るのがつらい。毎日、災害だ紛争だと言っていて、見ているだけで鬱になる」と言われることもあります。でもそんなことを言っていたら、危機管理は学べません。一方で、危機に瀕した人たちがいる状況にマヒしてもいけない。
そこには共感性も大いに関係してきます。単に「明日は我が身」というだけではなく、「we」という意識をどのくらい強く持てるか。どうしたらその一人の命を救えるか、ギリギリのところで考える。そうでなければ、危機管理学というのは意味を成しません。
引いていただいたツイートは、インドのジャーナリストのツイートを引用したものですが、こうした情報をすぐに見ることができるのもSNSが発達したからこそです。戦時下にありながら、歌を歌ってみんなを励まそうとする少女の姿を見て、何を思うのか。自分たちに何ができるのかを考えようと学生に伝えたいし、それもリスクコミュニケーションの一つです。
ネットやSNSは確かに陰謀論がはびこる土壌になっていますが、SNSでその壁を乗り越えることもできる。私たちがいかにそれをうまく活用できるかにかかっているんです。だから私は現状に絶望していません。