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先のアメリカ大統領選ではQアノンと呼ばれる陰謀論者が跋扈。現下のウクライナ情勢でもSNS空間には真偽不明の情報が飛び交い、私たちのリテラシーが問われる事態になった。

日本大学危機管理学部の設置に尽力し、『リスクコミュニケーション―多様化する危機を乗り越える』(平凡社新書)を上梓した福田充教授に、ネット時代の情報リテラシー、インフォデミック(情報汚染)の問題について聞く。(3回シリーズの2回目)

iStock / ViewApart
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混乱を極めるSNS上の情報

――今回のウクライナ情勢に関して、福田先生は積極的にツイッターで情報発信をされています。これはやはりリスクコミュニケーションや情報戦の側面から、正しい情報を発信しなければというお考えによるものですか。

福田充(ふくだみつる)
日本大学危機管理学部教授。1969年兵庫県生まれ。東京大学大学院・博士課程単位取得退学後、コロンビア大学大学「戦争と平和研究所」客員研究員などを経て現職。内閣官房等でテロ対策や防災、感染症対策の委員を歴任。著書、編著に『テロとインテリジェンス──覇権国家アメリカのジレンマ』(慶應義塾大学出版会)、『大震災とメディア──東日本大震災の教訓』など。

【福田】そうですね。ただ、私のツイッターはあくまでも学生向けを意識したものです。ゼミの学生たちに、国内だけでなく海外の報道も含めた幅広い情報に触れたうえで、自分の意見や認識を持ってもらいたいと思うからやっている部分が大きい。それが結果的に多くの市民の皆さんとのつながりを形成してきました。

ただでさえ現在は、フェイクニュースやデマゴギー、事実と意見が混在して飛び交い、何が正しくて間違っているのかわからなくなるようなインフォデミックの状況になっています。特にインターネット、SNSは混乱を極めている状況になっていますから。

――例えば、ロシアの「スプートニク」を引用し、「ロシアは悪くない」という論を展開した『琉球新報』掲載の論説などを批判されています(関連記事)。

【福田】スプートニクはロシアの国営プロパガンダ機関です。もちろん、ウクライナ問題を論じるためには、高度な世界の安全保障や国際関係の認識が必要です。あるいはワクチンや原発と言った科学や技術の問題にしても、非常に複雑な問題をはらんでいますから、完全に理解するのは難しい。例えば新聞だって、IAEAが認めている原発処理水の海洋放出を危険視し、いまだに「汚染水」と呼ぶ媒体もある。

何を信じるかは基本的には個人にゆだねられますし、民主主義国家としてどんな情報でも、基本的には言論を統制すべきではないと思っています。そのためにインフォデミックが起きてしまうのですが、言論の自由、思想の自由主義市場論のように、さまざまな情報の中から個人個人が正しいものを選び取り、互いに議論しながら意思決定していくというのが、理想ではある。ただし認識が分断されてしまうと、トランプ前大統領を救世主とみなすQアノンのような人たちを生んでしまうので非常に難しいのですが。

Arkadiusz Warguła /iStock

選民思想がQアノンを生み出す

――知人が何人もQアノン化してしまい、驚愕しました。しかし、彼らから見ればこちらの方が間違っていて、「新聞やテレビだけ見ているから真実が分からないんだ」と。確かに、今まで「メディアを疑え」「テレビや新聞を鵜呑みにするな」と言ってはきましたが……。

【福田】そこなんです。つまり、これまでメディアリテラシー論として「一つのメディアの見方だけで物を判断してはいけない」「きちんとした媒体の報道でも、情報を分析して自分なりに解釈し、正しいものを選ばなければならない」という教育がなされてきました。しかしそれが根付いたら、今度は「メディアの報道はすべて嘘である」「メディアの情報こそ統制されている」という「マスゴミ論」的なものが生まれ、「既存のメディアではない、ネットの中にこそ隠された真実がある」と飛躍する土壌になってしまいました。

――「むしろメディアが報道しないことにこそ価値がある」と。

【福田】はい。「メディアが触れないところにこそ真実がある」という幻想が生まれてしまい、その論理に乗れば情報がどんなに異常なものでも、メディアと対立している尖った意見であればあるほど、そちらを信じてしまう。誰も知らない真実を自分だけが知っているという選民意識が、陰謀論とも結びついてしまう。そして最後までトランプを支持した人たちは、ついに2021年1月6日に米議会に突入して死者まで出した。それで目が覚めた人もいれば、まだ覚めていない人もいます。

米議会乱入事件(Tyler Merbler/flickr CC BY 2.0)

こうなると、結局は科学的に検証して何が正しいかという以上に、「自分が何を信じるか、信じたいか」という信仰の問題になってしまう。しかもこれは新著『リスクコミュニケーション―多様化する危機を乗り越える』(平凡社新書)でも触れたように、洋の東西を問わず世界中で起きていることです。

社会心理学者・フェスティンガーの言う認知的不協和、つまり自分の都合のいいものを見て、都合のいいように解釈してしまうという理論があります。それは人間の防衛本能でもあって、毎日、膨大な情報に価値観をぐらぐら揺さぶられることに、人間は耐えられないんです。

YouTubeよりテレビ観ろ!見えてきた明るい兆し

――そこを意識して、自分で調整して判断していくしかないのかもしれません。先日、ある方が「これまでは私もメディア疑えと言ってきた。しかし今は言いたい、『テレビを観ろ!』。東大先端研の小泉悠さんや、筑波大学の東野篤子さん、防衛研究所の研究員など、まともな人がどんどん出ている。youtubeで陰謀論を観るよりテレビを観たほうがずっと事実に近づける」とおっしゃっていました。一周回ったというか、すごいパラダイムシフトというか。

【福田】実際そう思います。特にテレビや新聞について、今回のウクライナ危機でかなり状況が変わってきました。

確かに陰謀論は深刻です。フェイクニュースは流れるし、プロパガンダも飛び交う。現実の政策や社会に影響を及ぼしかねない危険性もある。しかし一方で、ネットも含めた情報空間で、自分たちのリテラシーで偽情報を排除していくという社会ができつつあるのも確かです。

SNSも含めた参加型の空間で集合知が集まっていく過程で、創造的な議論や意思決定が行われる。さらに世論に繋がり、政策に結びつく。「いろいろな人の意見を参考にしながら、自分の意見を作っていく」というコミュニケーションです。こうしたコミュニケーションの実践によって、陰謀論を乗り越えられる明るい兆しもある、と感じてもいます。