<p>「井伊大老の末裔」ドコモ強権社長が洩らした野望 | 週刊文春 電子版</p><p>「以前のドコモは、自由でスピード感があった。ところが、現在は井伊社長の強権に萎縮しており、『社長と副社長の考えを聞かないとわからない』と、本部長クラスとのやり取りでは何も決められなくなった」 NTTドコモと取引のある企業の担当者はこう嘆く。</p><p>「以前のドコモは、自由でスピード感があった。ところが、現在は井伊社長の強権に萎縮しており、『社長と副社長の考えを聞かないとわからない』と、本部長クラスとのやり取りでは何も決められなくなった」 NTT…</p><p>「以前のドコモは、自由でスピード感があった。ところが、現在は井伊社長の強権に萎縮しており、『社長と副社長の考えを聞かないとわからない』と、本部長クラスとのやり取りでは何も決められなくなった」 NTTドコモと取引のある企業の担当者はこう嘆く。 小誌は先週号で、ドコモの井伊基之社長(63)が、毎週月曜に行われる「事業執行会議」で、システム障害などを起こした担当の部長や役員を「素人みたいな感じだ」と吊るし上げ、叱責している状況を報じた。 ドコモの井伊社長 「発言内容が詳細で正確だったため、社内は騒然となりました。報道後の3月14日の事業執行会議に井伊社長は欠席。幹部の一部から『記事が出たのは心無い社員のせい』との声が上がり、会議のやり方を見直すことになったそうです。携帯電話業界はスピードが命なので、以前は執行役員である本部長クラスが一定の裁量権を持ち、社長や副社長にはタイミングを見て報告していた。しかし今は役員が社長、副社長の意見も聞きに行けず、事業が停滞しています」 井伊氏は慶大大学院から83年、旧日本電信電話公社に入社。米スタンフォード大学留学後、NTTコミュニケーションズ、NTT本体を経て05年、NTT東日本に転籍。ネットワーク事業推進本部の企画部長や設備部長を経て、16年、NTT東の副社長に就いた。 実はこの井伊氏、徳川幕府の大老・井伊直弼の末裔でもある。NTT東時代の同僚によれば、井伊氏は酒席で自身の悲願についてこう洩らしていたという。 「NTTの本社ビルは、元々は俺の先祖の敷地だ。だから俺はトップに立つ」 新宿区の初台駅近くにあるNTT東の本社社屋は、99年の分割前はNTT本社だった。江戸時代の古地図を見ると、確かに付近一帯は「井伊掃部頭(かもんのかみ)」の敷地である。「掃部頭」は歴代の井伊家宗家の当主が名乗った官職だ。 NTT東日本本社ビルの外壁 「NTT東の基幹事業である専用線(企業が独占して使えるネットワーク回線)サービスにおいて、廉価なソフトバンクなどにシェアを奪われる危機感から、『自分がトップに立ってドコモを本体に合体させ、頑強なグループを作る』と説いていた」(前出・同僚) そして20年にドコモの副社長となった井伊氏は、同年12月、ドコモのNTT完全子会社化と同時に社長に就任。“有言実行”を果たしたのだ。 「井伊氏は澤田純NTT社長の“懐刀”と呼ばれている。澤田社長が当時の菅義偉首相から指令を受けた『携帯料金引き下げ』を実現する特命を帯びてドコモに送り込まれたと言われました」(経済部デスク) 小誌は3月3日発売号で、ドコモのコストカットの一環として、来年度からドコモショップを年間約100店舗閉鎖する計画を報じた。</p>