「ワクチンを打ったら5年以内に死ぬ」などと訴える人が20人ほど入り口に押し寄せ、ワクチン接種に来た人が一時的に入場できなくなったという。
東京ドームではこの日からワクチンの予約無し接種をスタートさせており、これに合わせた活動であると思われる。
中には「Q」のマークの腕章を付けた人物もいたらしく、アメリカで連邦議会議事堂襲撃事件などを引き起こした
「Qアノン」に共鳴するグループによる活動ではないかとみられている。
彼らの活動の是非はここでは置いておこう。
ワクチン陰謀論にハマっている人たちのツイートなどを見て、彼らの主張を調べていると、少し前からよく「和多志」という言葉が出てくるようになった。
読みは「わたし」であり、意味は「私」である。
この言葉を使う人たちが言うには、実は「私」という漢字は、戦後に日本解体を目論んだGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって強制された字であり、
戦前は「和多志」という漢字を使っていたというのである。だから日本人が使う元々の言葉として、「和多志」を使っているそうだ。
少なくとも僕は、博物館などに展示されている戦前戦中の人たちが書いた手紙や書簡に「和多志」という文字を見たことはない。
また明治の文豪の手書き原稿などたくさんの直筆資料にも「和多志」が「私」の意味で使われていたという記録は、僕が知る限り見たことがない。
もちろん「私」という文字を使っている原稿ならある。
「和多志」などという言葉が多少なりとも使われていれば、とっくに文学研究者は気付いているだろうし、
国語や社会の教科書にだって「昔は和多志という文字が使われていました」と書かれていてもおかしくはない。
だいたい、今の戦前戦中世代の中に「和多志」という言葉を使っていた人がいるのだろうか?
たとえ、ごく少数の人たちが「和多志」を使っていたとしても、GHQが漢字の変更を強制するほど普及していたはずがない。
こんな話、調べる必要も無いくらいに分かりやすいデマである。
でも実際にはこれを信じている人も結構いるのだ。なぜだろう。それは、現在の社会が「つながりの時代」だからであると僕は考えている。
どうして「つながりの時代」と「簡単なデマに引っかかる人」がむすび付くのだろうか。それは多様な社会では、人々はどうしても孤立しがちになるからだ。
今は新聞や雑誌やテレビといった、かつて隆盛を誇ったメディアが徐々に影響力を失っている一方で、YouTubeなど様々なネットメディアに接することが生活の中心になっている人は多い。
その結果、ぼくらの時代で言えば、土曜8時の「全員集合」や「ひょうきん族」といった分かりやすい共通体験は少なくなった。
そんな社会において、つながりのきっかけを欲しがる人の需要を満たす方法の1つに「デマ」があるのである。
デマは明快である。デマは明確に「良いもの」と「悪いもの」が分かれている場合が多い。
反ワクチンの立場に立てば、当然ワクチン(推進派)は悪だ。「和多志」にもGHQという悪が存在している。
デマは「分かりやすい悪」が存在していると教えてくれるから、それらに反対するだけで誰でも簡単に「正義」の立場にいられる。
また、自分の周囲の誰も知らないような情報もデマは教えてくれる。
新型コロナワクチンを打った人は身体からウイルスを排出するようになるから近づいてはいけないなんて情報はほとんどの人は持っていない。だから自分は情報強者なのだと自尊心を満たすことができる。
情報を集めるために、反ワクチンで「和多志」の文字を使う人たちとSNSなどでやりとりをするようになると、そこに“つながり”が生まれるのである。
さらには、今回の東京ドームの一件のように、実際に活動することで、他人とリアルにつながることもできてしまう。
彼らは自分の活動に疑問を持たないのだろうか?今はまだ新型コロナ騒ぎの真っ最中だ。
反ワクチンを主張する彼らに、自分の態度を客観的に見つめ直す機会が訪れるのは、相当先のことになるだろう。
「賢い私たちは、世界の真実を理解している。悪い医学界やマスコミに騙されて、ワクチンを打とうとしている人たちに真実を伝えるのが、
正義の存在である我々の役目」と考えて、他人を救うヒーローかヒロインのつもりになっているのである。
こんな考えはバカバカしいと思う。しかし、笑ってばかりもいられない。
https://webronza.asahi.com/national/articles/2022032500002.html?page=1
引用元: ・【反ワクチン】デマでつながりを求める人たち [影のたけし軍団★]
都庁って巨大ロボットに変形するんですって?
心筋炎も
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