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多武峯縁起絵巻が描く、中大兄皇子に首を斬られた蘇我入鹿。左上は皇極天皇(談山神社提供)今から1400年前の622年に聖徳太子が死去した後、豪族の蘇我蝦夷(そがのえみし)、入鹿(いるか)の父子が権勢を振るいました。日本書紀によると、父子は人々を動員して、将来自分たちが入る大きな墓を造り、…