スーパーカーの頂点にあった「カウンタック」である。カウンタックという名前が「和製英語(和製イタリア語か?)」だというのはご存知だろうか。そもそも、クンタッシということばはランボルギーニのあるイタリアはビエモンテ州の方言で、びっくりしたなあ! というような意味だ。
クンタッシが登場したとき、Countachという綴りをどうカタカナにするか、某誌と某誌の編集長が「談合」して「カウンタック」にしたそうな。
響きもよく、それゆえブームの折に子供たちが「カウンタック!」「カウンタック!」と叫んだこともあって、すっかりお馴染みなっているのだが、いかんせん、日本でしか通用しない。そこで、世界共通のクンタッシと呼ぼうではないか、という意見も多く、ここでもクンタッシで進めたい。
文/写真:いのうえ・こーいち
■世界中がびっくりしたなあ!
直接伺ったことがあるのだが、クンタッシのデザイナーである天才マルチェロ・ガンディーニさんは、スーパーカーは人を驚かせるような存在でなくてはいけない、と仰る。
その通り、ガンディーニ作品はいつも話題を投げかけてきた。1960年代後半から70年代は、カロッツェリア・ベルトーネのチーフデザイナーとしてランボルギーニ・ミウラをはじめ、ウラコ、ランチア・ストラトスHF、フィアットX1/9などを送り出した。
ミウラにせよストラトスにせよ、ショウで発表された当初は「とても現実性のないもの」と雑誌などで酷評されたりしたものだ。
クンタッシも1971年春のパリ・サロンで発表されたときは、その斬新さで大きな話題となった。鮮やかなイエローカラーのプロトティーポは、のちのちの生産モデルに較べて、ずっとシンプルで美しいスタイリングだった。
このモデルは生産化に先立ってクラッシュテストに供され、消滅してしまった。昨2021年になって、ランボルギーニ熱心家によってまったく新しくこのプロトタイプが再現され、大きな話題となったりした。
■ふたたび世界一の称号を
それまでのランボルギーニ・ミウラを超えるスーパーカー、そして宿敵フェラーリをも凌ぐ世界一のスーパーカーというのがクンタッシの至上命令であった。先のミウラはV12DOHCエンジンを横置き搭載するミドシップ、というこれまでにないメカニズムで、280km/hという最高速度で世界最速を豪語していた。
それまで頂点に君臨していたフェラーリも黙ってはいられない。早速それまでSOHCだったエンジンをDOHC化したり、大排気量のフェラーリ365GTB/4「デイトナ」を登場させていた。
クンタッシは世界一を取り戻すために、いくつかのアイディアが込められていた。ひとつはエンジンを縦置きミドシップとすること。それはこののちのパワーアップの余裕を考えてのことでもあった。プロトタイプがLP500というネーミングであったのも、エンジンを5.0Lに拡大搭載していたことを表わしていた。
しかし、なん台かの生産プロトタイプを経て1974年に市販されたクンタッシはLP400、つまりミウラと同じV12気筒DOHC3929ccであった。というのもランボルギーニ社は財政的に苦しくなっており、新エンジンを開発する余力がなかったから、といわれる。
先の、LP500プロトティーポをクラッシュテストに充てたのも、まさしく苦肉の策だったのだ。
そのエンジンは5段のギアボックスと直結され、一般とは逆にギアボックスを前方に向けて搭載された。キャビン内に大きなコンソールがあるのも、じつは室内にはみ出したギアボックスのカヴァなのである。
そのためにドライヴァの着座位置は前方になり、そのために普通のドアではヒンジが設けることができず、例のシザースドアは単なる遊びではなく必然的に採用されたものなのだった。
かくして、375PSのパワーにより、最高速度300km/hを謳うランボルギーニ・クンタッシは世に出された。その頃、負けずとミドシップ化して発売されたフェラーリ365GT4BBは302km/hを主張するという、なんとも意地の張り合いのような、それだけ「世界一」の称号は魅力的だった、ということだろうか。
■クンタッシの20年
あれだけ独創的なクンタッシだけあって、ずーっとあの形のまま生産がつづいたような印象があるが、生産されたクンタッシはチェンジによって大きく5つのモデルに分けることができる。
1971年にプロトティーポが発表されてから、最終のクンタッシが1990年7月にラインオフした20年間は、ひとつの歴史的時代の移り変わりでもあった。
最初の生産モデルLP400は1978年までに150台が生産された。プロトティーポで一番の問題とされたエンジンの冷却のために、いくつものエアスクープを設けられてはいたが、もっともシンプルなクンタッシとして人気が高いモデルだ。
1978年にオーヴァフェンダなどで武装したLP400Sに変化するが、これは「ウルフ・スペシャル」として知られるものを量産化したもの、という。
カナダの石油王であったウォルター・ウルフが特別仕様として注文したもので、ホンモノの「ウルフ・スペシャル」には強化された5.0Lエンジンが載せられていたが、市販車は3929ccのままであった。
1982年までに237台のLP400Sを送り出した後、待望の新エンジンが開発される。人手に渡り一時は倒産状態にあったランボルギーニ社をフランスの実業家、パトリック・ミムランが買収したのだ。4754ccに拡大されたエンジンは、余裕を持って375PSを発生し、LP500Sとして321台が生産された。
それで満足してはいなかった。さらに排気量を5167ccにアップすると同時に、気筒あたり4ヴァルヴ化した465PSという圧倒的パワーのエンジンを開発。それを搭載したその名も「クアットロヴァルヴォーレ」を1985年のジュネーヴ・ショウで発表する。
ようやく初期のクンタッシが求めていた性能が実現できた、ということか1988年までに624台と生産台数を伸ばした。
そしてクンタッシの25周年を記念した「25thアニヴァーサリー」が登場するや、1990年までに657台を産む、クンタッシの中で最大数を量産するという、ちょっと皮肉な結果にもなったのだった。
【著者について】
いのうえ・こーいち
岡山県生まれ、東京育ち。幼少の頃よりのりものに大きな興味を持ち、鉄道は趣味として楽しみつつ、クルマ雑誌、書籍の制作を中心に執筆活動、撮影活動をつづける。近年は鉄道関係の著作も多く、月刊「鉄道模型趣味」誌ほかに連載中。季刊「自動車趣味人」主宰。日本写真家協会会員(JPS)
投稿 超モーレツな猛牛よ!! 超ド級なランボルギーニ・クンタッシの意外な歴史【いのうえ・こーいちの名車探訪】 は 自動車情報誌「ベストカー」 に最初に表示されました。