ウェネディクトワ検事総長は23日、集めた事件をどのように扱っているか、概要をメディアに説明した。
「ウクライナの司法権が有効で、犯罪加害者が物理的にウクライナにいる場合、私たちが取る戦略はひとつだ。
ウクライナで成功しないとわかれば、国際刑事裁判所(ICC)にリソースを振り向け、特定の人物、個人が処罰されるようにする」
BBCは、戦争犯罪の疑いがあるとして記録されている事件の一つについて、目撃証言などを収集した。
それは、ロシアがウクライナに侵攻して1週間余りの頃に起こった。首都キーウ(キエフ)の西40キロにある小さな村ヤスノホロッカでは、
、隣人や友人たちか集まる有志グループが、コミュニティーの入り口を守る検問所で配置についていた。
ロシア軍とウクライナ軍の戦闘は、すでに残忍なほど激しくなっていた。
ウクライナ全土で、町や村の入り口に検問所が設置され、正式な軍事訓練を受けていない地元の有志が、そのほとんどを守っていた。
3月5日の午後、村の司祭のロスティスラフ・ドゥダレンコさん(45)は、ヤスノホロッカの検問所にいた。
ドゥダレンコ司祭の役割は、近づいてくる車をチェックすることだった。しかし、他の従軍司祭と同じように、
ドゥダレンコさんも精神的なサポートを提供するためにそこにいた。その時、司祭は私服だった。
何が起こったのか、正確に立証することはできない。しかし、攻撃の生存者の一人、ユヒムさん(仮名)はBBCに、
ドゥダレンコさんを含む十数人と検問所を守っていたところ、3台のロシア戦車が村を通過したと知らされたのだと話した。
そこで一行は森の中に隠れ、必要なら戦車に立ち向かおうと決めたのだという。
検問所に近づくと、ロシア軍は「四方八方へ発砲」し始めたと、ユヒムさんBBCに語った。
「私たちが草むらに隠れているとわかると、戦車で私たちをひき殺すために道路から外れ出した」。
戦車が道路まで戻ってきたとき、ドゥダレンコさんは姿を現そうと決めたのだと、ユヒムさんは話した。
「ロスティスラフが十字架を頭上に掲げ、隠れ場所から立ち上がり、何かを叫びながら戦車に向かって歩いて行くのを見た。
ロシア軍を制止したかったのかもしれない。私はロスティスラフに声をかけようとした」
すると、司祭の方向へ発砲があった。ユヒムさんの位置からは、直接ドゥダレンコさんに向かって撃ったように見えたと言う。
「それでおしまいだった。彼は2、3歩歩いただけで倒れた」。
ユヒムさんもこの攻撃で撃たれてけがを負った。その時点でウクライナ軍が到着してロシア軍を後退させなければ、
その場のにいた全員が殺されていただろうと、ユヒムさんは思っている。
ドゥダレンコさんが所属していた有志グループは、軍とは無関係だった。同じグループのエドゥアルドさん(仮名)によると、
軍事訓練を受けていたのは数人で、東部ドンバスでロシアと長年続く紛争で戦闘を経験した人たちだという。
グループには、アマチュアの猟師もいた。参加者のほとんどは50歳以上だという。
エドゥアルドさんは当時、別の検問所を担当していた。エドゥアルドさんが到着した時にはロシア軍戦車は撤退した後で、道路には遺体が散らばっていた。
その中にはドゥダレンコさんや、やはり丸腰だった輔祭、別の防衛志願者2人、そして見知らぬ人物が1人含まれていた。
ドゥダレンコさんの母ナディイアさんは、一人息子は自分の役割を果たそうとしていたと語った。
「息子はみんなを守れるようになりたいと思っていた」と、ナディイアさんはBBCに話した。
「説得してやめさせようとしたけれど、反論できなかった」
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-60870312#:~:text=%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A
引用元: ・【ロシア軍】戦車を止めようとした司祭を射殺 [影のたけし軍団★]
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