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 今年のプロ野球界は日ハムの新庄ビッグボスに乗っ取られそうな感がある。そんな一挙手一投足に注目が集まるビッグボスがファンミーティングに乗って現れたのがまさにファンの度肝を抜く、「驚いた!!」の車名を持つランボルギーニ「 カウンタック」だ。

 スーパーカーブームのフラッグシップを駆け抜けたカウンタックとはどんなクルマだったのか? 意外に知っているようで知らない方もいらっしゃるのでは? 昨年で誕生50年を迎えた名車の華麗ながら豪快な半生を辿ってみたいと思う。 


文/西川 淳、写真/ランボルギーニ、トビラ写真:産経新聞社

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■新庄監督、現役最初の背番号「63」はランボのアイコンナンバーだ!!

 カウンタックの50周年で2021年のスーパーカー界は大いに盛り上がった。最後には国民的話題にもなって、いちファンとしては嬉しいかぎりだ。そう、「ビッグボス」こと新庄剛志日本ハム新監督が昨年11月30日、「ファンフェスティバル2021」において真っ白なカウンタックからド派手に登場。ビッグニュースになったのだ。

 新庄監督とカウンタックには実は因縁があった。ハナシは約30年前にさかのぼる。阪神タイガースに入団3年目だった1992年、新庄さんは内外野を守れる強肩の選手として大活躍した。

 そのオフに彼の年俸は当時の球団最高記録となる323%増となり、背番号も63(ランボルギーニのアイコンナンバーじゃないか!)から5へと変更された。出世したというわけだ。

 翌1993年にも開幕こそ出遅れたものの、ベストナインを受賞するなど活躍し、そのオフの契約更改の場に新庄さんはカウンタックを乗り付けて報道陣の度肝を抜いたのだ。「新庄剛志、カウンタックで現れる」。筆者もそのニュースをよく覚えている。さすがプロ野球選手、夢のあるハナシだと思ったものだ。

■カウンタックは1971年にプロトタイプが登場!

 この時、新庄さんが乗っていたカウンタックとはクワトロバルボーレと呼ばれる、日本では最も人気のある年代のモデルで、エクステリアカラーも新庄さんお好みの真っ赤だった。

 翻って新庄監督が「ファンフェスティバル」に乗って登場したカウンタックは、そのひと世代前のLP5000S。 「これぞカウンタックの王道」というべきホワイト×レッドという、これまたド派手な内外装の組み合わせで、監督自身は「雪のイメージ」で探したモノらしい。

 16年間にわたって生産されたこともあり、カウンタックには1種類のプロトタイプと5種類の市販モデルが存在した。

 1971年に登場したプロトタイプ1号車はLP500と呼ばれ、後のカウンタックとは違うボディ構造(モノコック)とシンプルなスタイルが特徴だった。これがマルチェロ・ガンディーニによるオリジナルデザインであり、残念ながらショー展示ののち、クラッシュテストに供されて以来、写真でしかその美しい姿を見ることができなかった。

こちらがガンティーニフルオリジナルデザインのプロトタイプ「LP500」。量産型の獰猛さに比べるとシンプルなデザイン。なおガルウイングドアのランボルギーニ公式呼称はシザー・ドアとなる

 ところが、スイスの大富豪で世界ナンバー1のランボルギーニコレクターであるアルバート・スピース氏がランボルギーニ社に「復刻」を依頼。3年の歳月を経てつい先日、披露されたばかり。ちなみにこのオリジナルデザインをモチーフに登場したのが限定車シアンベースのカウンタックLPI800-4だった。

■1974年にLP400が市販開始。当初はオリジナルデザイン踏襲でエレガント路線

 紆余曲折あってカウンタックの生産は1974年にスタートする。まずは空力デバイスのまるでない、そういう意味ではガンディーニのオリジナルデザインに近いLP400を150台生産。名前の数字が示すとおり、プロトで予定されていた5LV12ではなくミウラ 以前と同様の4L版をリアミドに縦置きしていた。

1974年に登場、150台が生産された初期量産型「LP400」。上のプロトタイプと比べてもガンディーニデザインのオリジナリティをとどめており、見方によってはおとなしめの佇まいだ

 ちなみにその搭載方法が特殊で、キャビンからリアへとミッション→エンジン→デフの順に積まれていた。天才エンジニアのパオロ・スタンツァーニが生み出したこのレイアウトこそがカウンタックの形を生んだ源泉である。

 さらに後継モデルであるディアブロ、ムルシエラゴ、アヴェンタドールへとスタンツァーニのレイアウトは継承されたという意味では、名実ともに今なおカウンタックは生き続けていると言っていい。

1978年式カウンタックLP400Sの透視図。鋼管パイプフレームシャシーにミッション、エンジン、デフの順番で搭載される。現代のランボルギーニ車にも引き継がれる伝統だ

 続いてカナダの大富豪、ウォルター・ウルフのプロジェクトからLP400の後継モデルであるLP400Sが1978年に誕生。これによってカウンタックのスタイルは激変する。

 登場したばかりのピレリP7を履くためにオーバーフェンダーが追加され、フロントスポイラーやリアスポイラー(オプション)も装備されるようになった。ただし、エンジンは4Lのまま。約240台が生産された。

■発表から10年を経て待望の5Lエンジン搭載! パワーアップしライバルに対抗!! 

 そして1982年、ついにエンジン排気量アップの悲願を達成したLP5000Sが登場する。新庄監督が「ファンフェスティバル」で乗っていたモデルがこれで、排気量は4.8Lでサイドドラフトのキャブレターを装着した最後のカウンタックだった。生産台数は約320台。スタイリングそのものはLP400S後期モデルを継承している。

「LP5000S」。4.8L V12エンジンを搭載したモデル 。当初はLP400Sのボディそのままに375ps/41.8㎏mまでパワーアップ。当時ほとんどのオーナーがオプション装着したというリアウイングが目立つ

 実はカウンタック、LP400Sの途中でボディの厚みが変わっていることをご存じだろうか。これはアメリカなど長身のオーナーが多い国向けの対策で、それ以前はいわゆるローボディとして珍重されているのだが、同時に並べて比べて初めてわかる程度の差、ではある。

 その後、1985年には4バルブ化とさらなる排気量アップ(5.2L)を果たしたクワトロバルボーレが登場。そのパフォーマンスは飛躍的に向上し、当時、ライバルと目されたテスタロッサと同等の評価を受けた。デビュー後10年以上経ったスーパーカーとしては異例の人気作となり、約630台が作られる。

LP5000クワトロバルボーレ。発売から10年以上経過した1985年に登場。5.2LⅤ12エンジンは455psを誇り、ライバルのフェラーリテスタロッサに対抗した

 さらにこのクワトロバルボーレをベースにエクステリアデザインを今はときめくオラチオ・パガーニが手がけ、ランボルギーニ社25周年記念モデルとして1988年に誕生したのが25thアニバーサリーというモデル。これまたモデルライフ末期にもかかわらず、世界的な好況も手伝って、約660台が生産されたのである。

■2021年に生誕50周年を迎え再び話題に。取引価格1億円超えのモデルも!!

 生誕50周年ということでメディアでの露出も増えた。それゆえ、このところのカウンタックのマーケット取引相場は高値安定だ。コロナ前には3000万円程度だった個体でも今では5000万円を超えている。

 とはいえ実際の取引相場で1億円を超える個体はさほど多くない(オークションの落札価格やショップの販売価格は当てにならない場合が多く、それゆえマーケットに存在する販売車両の大半がPOAとなっている)。

 ウルフカウンタックなど特別な個体を除けば、最も貴重なLP400で実情では1億〜1億5000万円レベル。その次にLP400Sローボディでこれが8000万〜1億円。以下、人気の順でいえばクワトロバルボーレ→LP5000S→アニバーサリーとなっている。

最終生産型である25thアニバーサリー。ベースモデルとなるクアトロバルボーレをベースにデザインをリファインしたもの。このモデルからパワーウィンドウも装備され快適性も増した⁉
特に下周りの改良が実施されたことがリアスタイルからもよくわかる。この改良でダウンフォースが増加し、リアウイングは廃止された。1991年にディアブロにバトンタッチし、16年にわたる生産を終了した

 とはいえカウンタック全体でも生産台数は2000台レベル。ディアブロ3000台、ムルシエラゴ4000台、そしてアヴェンタドールに至っては1万1000台も作られたから、カウンタックの希少性は群を抜く。

 そして抜群の人気と知名度……。たとえガソリン車が街中で乗れない時代がやってきたとしても、昔のように安くなることは決してないと思っていい。

 パオロ・スタンツァーニとマルチェロ・ガンディーニ。二人の天才が生んだ奇跡のスーパーカーは「永遠に不滅」だ。ビッグボスくらい自己アピールの強い人でないと乗りこなせなさそう、というあたりは玉に瑕だけれど!

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