もっと詳しく

1274(文永11)年、元・高麗連合軍3万人の大軍勢が対馬・壱岐を攻め、博多湾から上陸した。元軍の集団戦法や「てつはう」と呼ばれた火器の前に、一騎討ち戦法を主とする日本軍は苦戦したが、元軍も損害が大きく内部の対立などもあり撤退した(文永の役)。その後、中国南部の南宋を滅ぼした元は、1281…