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「平成の怪物」と呼ばれ、メジャーリーグなどで大活躍し、昨年現役を引退した元プロ野球選手の松坂大輔氏。

 そんな松坂氏の生まれは1980年。1980年というと好景気に向けて成長していた時期で、様々な分野での技術競争が加熱していた。

 自動車業界にとっては、日本の自動車生産台数が世界第1位になり、日本車としての地位が認められた重要な年である。

 今から42年前の日本ではどんな車が誕生したのか? 今回は数多くの名車から厳選し、「松坂世代」として現代でも輝くモデルの魅力について探っていく。

文/片岡英明写真/日産、トヨタ、マツダ

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■松坂世代のハチマル車の魅力とは?

 西武ライオンズで大暴れし、その後もMLBのボストンレッドソックスなどで活躍した松坂大輔投手は先日引退したが、彼が生まれた1980年、自動車の世界では一気に技術革新が進んだ。

 1970年代は二度のオイルショックと世界一厳しい排ガス規制を経験するなど、自動車にとっては暗黒の時代だった。その長いトンネルを抜け、再び元気を取り戻したのが1980年をスタートとする1980年代である。

 その最初の年となった1980年には多くの名車が誕生した。そして日本の自動車業界を世界ナンバー1の座に押し上げている。

当時の若者に大ウケした5代目マツダファミリア

 1979年、日産はセドリックとグロリアのL20E型直列6気筒エンジンにターボチャージャーを装着し、高性能と低燃費を両立させた。また、キャブレターに代えて高精度の電子制御燃料噴射装置を採用するクルマも増えてくる。

 エンジン本体も、OHV方式から高回転化しやすいSOHCへと進化。DOHCエンジンを含め、10年足らずの間に4バルブは珍しいものではなくなる。駆動方式も、ファミリーカーやコンパクトカーの主流は前輪を駆動する「FF」だ。

 コンパクトカーや軽自動車は、1970年代半ばからFF車が一気に増えた。後輪駆動のFR方式に固執していたマツダも1980年6月にファミリアをモデルチェンジさせた時にFF化に踏み切っている。

 主役はカジュアル感覚を前面に押し出した3ドアハッチバックだ。VWゴルフを徹底研究して送り出し、FF方式に転換した第5世代のファミリアは、デートカーとして若者たちに持てはやされた。圧倒的な人気を誇ったのは、電動サンルーフやラウンジシートなどを標準装備した1500XGだ。

 特に真っ赤なXGは大ブレイクした。これ以降、赤いボディカラーはマツダのイメージカラーになっている。アウトドアブームも人気を後押しし、サーファーが好んでFFファミリアを選んだ。

真っ赤なマツダ 5代目ファミリア。ルーフにサーフボードを載せた「陸サーファー仕様」が流行した

 このサーファー人気に便乗し、にわか仕込みの「陸(おか)サーファー」が街にあふれた。また、ファミリアはドレスアップブームに火をつけている。この時期、エアロパーツやドアミラーは認可されていなかったが、流行に敏感な若者たちは海外用のものをチョイスして装着した。

 5代目ファミリアはカローラとサニーからベストセラーカーの座を奪い、第1回日本カー・オブ・ザ・イヤーにも輝いている。

■スカイラインの子分的存在、日産ラングレー

 1970年にいち早くFF方式のチェリーを送り出した日産も、後継のパルサーの兄弟車を1980年6月に投入した。それがプリンス系列で販売したラングレーだ。

 スカイラインの下のポジションを受け持つ3ドアのFFコンパクトカーで、5代目スカイライン・ジャパンと似た角形ヘッドライトと横線基調のフロントマスクが与えられている。エンジンは熟成の域に達した1.4LのA14型直列4気筒OHVだ。こちらも軽やかなフットワークが魅力だった。

日産ラングレーの初代モデル。ラングレーは3世代目まで続き、1990年に生産終了

 デビューから1年後にエンジンを1.5LのE15型4気筒SOHCに換装し、1982年春には第2世代にバトンを託している。わずか2年足らずの販売に終わり、現存数もわずかだ。だが、初代ラングレーは強烈な印象を残した。

お父さんたちの憧れ! マークII3兄弟

 上級クラスはオーソドックスな後輪駆動を踏襲している。だが、1980年に新ブランドが次々に誕生し、のちの「ハイソサエティカー」ブームの足がかりを築いた。ハイオーナーカーと呼ばれる市場は「ジャパン」のニックネームを持つスカイラインがヒット街道をばく進している。

 この快走に待ったをかけるべくトヨタが春に送り出したのがクレスタだ。4月から営業を開始するビスタ店のフラッグシップと位置づけられるパーソナルセダンで、4ドアハードトップ風の伸びやかなフォルムで登場した。

マークII3兄弟のなかでも、クレスタは高級なイメージを前面に出していた

 クレスタは1G-EU型と名付けられた新世代ストレート6を主役の座に据え、1981年以降はパワフルなターボ搭載車やDOHC4バルブのツインカム24などを仲間に加えている。

 50系クレスタから半年後、トヨタはコロナマークIIと兄弟車のチェイサーをモデルチェンジし、60系とした。4代目マークIIと2代目チェイサーはクレスタとメカニズムを共有する兄弟車だ。だが、巧みな演出とデザイン変更によって三者三様の魅力を放っている。

 第4世代のマークIIは4ドアセダンと新設定の4ドアハードトップ、そしてワゴンをラインアップし、パワーユニットは2.8Lの5M-EU型直列6気筒SOHCと2Lの1G-EU型を中心に6機種を揃えた。

 スポーティ感覚を売りにするチェイサーは4ドアハードトップと4ドアセダンがあり、こちらはクレスタと同じように2.8Lの直列6気筒エンジンの設定はない。多くのボディカラーを用意したが、後半はスーパーホワイトが大ヒット。次々に記録を更新したマークII3兄弟はハイソカー旋風を巻き起こし、社会現象にもなっている。

上質志向なレパード&ローレル

 日産勢も負けてはいない。マークIIが正式発表される直前に新感覚パーソナルカーの初代レパードを送り込んだ。クーペ的なシルエットの4ドアセダンと2ドアハードトップがあり、フロントマスクの違う兄弟車のレパードTR-Xも用意された。

日産店で取り扱っていたレパードに対し、チェリー店で取り扱っていたのがレパードTR-X。TR-Xと書いて「トライエックス」と読む

 マークIIに対抗心を燃やし、世界初のメカニズムも多い。その筆頭はフェンダーミラーワイパーだ。車高を自動的に調整するオートレベライザーや日産初のロックアプ機構付き3速ATも目を引く。エンジンは2.8LのL28E型と2LのL20E型直列6気筒SOHCを主役にしている。ソアラの登場によって話題性は薄れたが、登場した時は強烈なインパクトを放った。

 また、11月には4代目のC31ローレルがベールを脱ぐ。フォーマル色が強いハイオーナーカーだが、スカイラインの育ての親である櫻井眞一郎氏が率いる旧プリンス系エンジニアが開発を主導するようになる。その結果、上質ムードに加え、スポーティな性格も強まった。2ドアハードトップを廃し、これに代えて4ドアハードトップを主役としている。

「アウトバーンの旋風」がキャッチコピーだったC31型ローレル。スタイリッシュなボディデザインによる空気抵抗数値(cd値)は0.38で、当時としては最高水準の数値だった

 心臓はレパードやスカイラインと同じL型系の直列6気筒SOHCで、レパードなどと同じように1981年にはターボ搭載車を追加した。この時期は、トヨタ、日産とも6気筒エンジンを積むハイオーナーカーが月に5000台以上、コンスタントに売れたのだから驚きだ。

初代カムリはFRスポーツセダンだった

 4気筒エンジン搭載車で注目したいのは、スペシャルティカーのセリカに加わった4ドアのスポーツセダン、セリカカムリである。1980年1月にデビューしたが、メカニズムの多くはカリーナと共通だ。フロントマスクとリアコンビネーションランプなどをカローラ店のユーザー好みに手直しして販売した。

現在はアメリカが主戦場のカムリ。初代はコンパクトなボディを後輪で駆動するスポーツセダンというべき存在だった

 エンジンは1.8Lの13T-U型と1.6Lの12T-U型直列4気筒OHVでスタート。夏に2Lの18R-GEU型直列4気筒DOHCエンジンを積む2000GTを加え、静かなブームとなる。このセリカカムリは後輪駆動のスポーツセダンで、アルテッツァの事実上のご先祖だった。だが、1982年に登場するV10系カムリは、ファミリーを狙ったFFの4ドアセダンだ。わずか一代だけで終わってしまった。

本格クロカンも熱かった!

 RVやクロスカントリー4WDと呼ばれていたSUVは、トヨタと日産のリーダーモデルが相次いで新型になっている。日産は6月にパトロールをモデルチェンジし、日本ではサファリの名で発売した。

愛嬌のある丸目が特徴的な初代サファリの初期型。マイナーチェンジにより角目へと変更される

 2ドアのショートボディ、4ドアのロングボディともにストレート基調の洗練されたデザインに生まれ変わり、エンジンは3.3Lの直列6気筒ディーゼルを搭載。これに2段の副変速機を持つ4速MTを組み合わせている。日本でファンを増やすことに成功したから、最大のライバルだったランドクルーザー40系のモデルチェンジ計画を早めさせた。

 ライバルのランドクルーザーは、8月にロングボディのFJ56Vがモデルチェンジ。60系ランクルは伸びやかで力強いフォルムに生まれ変わり、新たなファンの獲得にも成功する。4.2Lの直列6気筒ガソリンエンジンに加え、3.2Lと3.4Lの直列6気筒ディーゼルを設定し、ハイウェイからオフロードまで余裕の走りを見せつけた。

悪路走破性だけでなく、乗用車的要素も強まった60系ランドクルーザー

 居住性と快適性も大きく向上させるなど、クロカン4WDのイメージを大きく変えたのが新世代の60系ランクルだ。1980年は日本車にとってヴィンテージイヤーだった。また、日本車が大きく変わった年でもあった。

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