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これぞ究極の実用性!! 日本市場がミニを育てた!? 90年代クラシックミニを愛でる【いのうえ・こーいちの旧車探訪】

 旧車への造詣が非常に深いいのうえ・こーいち氏。今回の旧車探訪はクラシックミニ。純英国産のミニは独自の足回りや小さいながらも実用性抜群のボディ、そして想像以上の運転感覚で多くのファンを持つ名車中の名車だ。部品供給面や比較的安価な維持費もあり、クラシック入門としても最適な車種とも言える。

 数多のバリエーションを持つクラシックミニだが、今回はキャブレターからインジェクションに変わり、維持しやすくなった90年代のクラシックミニを振り返ります。

文/いのうえ・こーいち、写真/いのうえ・こーいち、BMW

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■ミニ(1992~00)

BMWミニになる以前の英国製のミニは今も人気だ

 ミニといっても、いまも趣味のクルマとして高い人気を保っているのはクラシック・ミニ、いまのBMWミニになる以前の英国製のミニである。

 「革新の小型車」などといわれ、多くのエポックメイキングなメカニズムを備えたミニは、1959年にデビュウし、連綿と2000年までつくられつづけた。そのヒストリーも辿っていけばそれだけで一冊の本になってしまうほどだ。

 ここでは、いま身近かな趣味のアイテムとして注目されている「最終期のクラシック」、1990年代のミニについて紹介しよう。括りとすれば、それまでのキャブ仕様からインジェクションに変更、クーラーなども装着可能となった時期のミニ、である。

■実用的になったミニ

BMW MINIの登場から20年以上経った今でもクラシックミニは世界中で愛され続けている

 ミニにインジェクションが導入されたのは1992年のことである。デビュウ時には848ccだったエンジンは、998ccを経て、1990年代に入ってからはすべて1275ccになっていた。

 「998」や「1275」はミニ好きにはピンとくるお馴染みの数字なのだが、わが国の登録時には「999」になっていたり「1271」になっていたりする。ともに届出時の数字というだけで、基本的には変わることなく連綿と受継がれているものだ。

 直列4気筒OHVエンジンをフロントに横置き搭載し、エンジン下方に収めたギアボックスを介して前輪を駆動する。いまでは小型車がエンジン横置き前輪駆動なのは当たり前、ひとつの「公式」になっているが、そのルーツがミニ。

 60年以上前に突如として出現、それゆえに「革新の小型車」と呼ばれ、設計者であるアレック・イシゴニス(1906~1988)の名前が自動車史にしっかりと記されている、というわけだ。

 そして「Aシリーズ」と呼ばれたそのエンジンには、SUキャブが装着され、それを2基に増強して強力版、ミニ・クーパーがつくられたりしてきた。寒い時などチョーク・レヴァを引いてガスを濃い目にしてエンジンを始動する、などという「儀式」は、ミニをはじめとする英国車の多くに共通するものであった。

 便利にはなったけれど、その分、英国車らしくなくなったという硬骨の英国車党も少なくなかったが、キャブに代わるインジェクションの導入は、ミニの寿命を延ばすことになったのは事実であった。1992年6月、その名もミニ1.3i、ミニ・クーパー1.3iとして生産がつづいた。

 かつて、英国車はチェンジするごとにMk-I、Mk-IIなどと称することが多く、ミニもMk-IIIまでしっかりと名付けられていた。その後は特別「Mk」は付けられなくなっていくのだが、数えていくと1992年のチェンジ以降はMk-IXに当たる。

■日本市場がミニを延命

コンパクトなボディが日本の道路事情に適していたという理由もあり、日本での人気は特筆すべきものがあった

 日本におけるミニの人気は特別なものがある。コンパクトなボディ、可愛さの漂うスタイリング、それにキビキビとした走り振りは、趣味と実益の両方を賄えるクルマとして、長く人気を保ってきた。

 1989年9月に現地法人である「ローバー・ジャパン」が発足すると、広く一般にまで浸透し、毎年10000台もが輸入される異色の存在になっていた。

 考えてみれば、もともとはその当時でさえすでに誕生から30年も経過したクルマだ。いくら「革新の…」といっても、すべてがクラシカルなメカニズムに終始していた。逆にそれが、ミニの独特の雰囲気をつくっていて魅力になっていたのではあるが。

 先のインジェクション導入も、実は日本市場のリクエストによる部分が大きかった、という。

 つまり、クーラー必須の日本市場で、クーラー装着時の、エンジン・コントロールなどを考えたら、インジェクションの利点が大きかった。これにより、ミニ・クーパー1.3i(4段MT)が62PS、その他のモデルは53PSでラインアップされた。

 遅れて本国仕様もインジェクションが導入されるが、それは日本仕様とは異なる「MPI(マルチポイント・インジェクション)」というもので、同時にラジエータ搭載位置が前向きに変更になったことで識別できる。

 この頃、1994年にはローバー・グループはBMWに買収され、その下でミニは生産がつづけられる。ローバーのエンブレムに代わって、ミニ独自の「ウイング・エンブレム」になったのは、この少しのちである。

■限定モデルの数々

 話が少し前後するが、1990年代のミニの大きな特徴のひとつに「特別仕様車」のオンパレード、というのがある。順にまとめてみよう。

1994年6月:ミニ「35thアニヴァーサリー」 1000台限定
   8月:クーパー1.3iオートマティック 300台限定
   11月:ミニ・クーパー1.3i「モンテカルロ記念限定車」 1000台限定
1995年7月:ミニ・タータン 2000台限定
1996年6月:ミニ・クーパー「35thアニヴァーサリー」 グリーン 2500台限定
1998年1月:ミニ・クーパー「スポーツ・リミテド」600台限定
   6月:ポール・スミス・ミニ 1500台限定
   8月:ミニ・クーパー「BSCCリミテド」 750台限定
1999年6月:ミニ「40thアニヴァーサリー」 800台限定
   9月:ミニ・クーパー「40thアニヴァーサリー・リミテド」1000台限定

 といった具合である。この間、1997年にはエアバックなど安全基準を向上させたマイナーチェンジ(これがMk-X)を受けた。

 一方では1997年秋に新型ミニのプロトタイプが発表されるなど、着実にBMWミニの開発が進められ、まだまだ人気はあったにもかかわらずクラシック・ミニは2000年10月でフェードアウトした。

【著者について】
いのうえ・こーいち
岡山県生まれ、東京育ち。幼少の頃よりのりものに大きな興味を持ち、鉄道は趣味として楽しみつつ、クルマ雑誌、書籍の制作を中心に執筆活動、撮影活動をつづける。近年は鉄道関係の著作も多く、月刊「鉄道模型趣味」誌ほかに連載中。季刊「自動車趣味人」主宰。日本写真家協会会員(JPS)

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