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今、最も楽しい13台のクラシックカー。

新鮮な空気、たくさんの荷物、たくさんの幸せ: この楽しいクラシックカーたちはそれぞれ全く違うけれども、どれもいい感じだ。「運転するのが一番楽しい!」と思える名車13選をご紹介。

どのクラシックカーを買えばいいのか?もし、お金とチャンスがあれば。アルファロメオとザガート、どちらを選ぶか迷うところだ。必ずしも退屈なメインストリームやフラットなラグジュアリーである必要はないのだ。テクノロジーボックスを深く掘り下げよう。この70年の間に、ほとんど誰も気づかなかったような楽しいクルマたちも数多く、いろいろと世に送り出されてきた。

私たちのリストは、珍品だけでなく、かつてのベストセラーも含まれている。共通しているのは、運転するのが何とも言えないほど楽しいということだ。幌をオープンにして田舎道を快適にドライブできる「VWビートル1303カブリオ」も、アクセルを踏むと楽しさも加速するターボモデルのパイオニア、「サーブ99ターボ」もそうだ。

もちろん、選定にあたっては、多様性にもこだわった。そのため、わずか700kgの重量で、アルミ製リアエンジンを搭載した「ヒルマン インプ」のような素朴な小人から、家族全員が乗れる広大なリアエンドを持つアメリカの「ランブラー クロスカントリーST(ステーションワゴン)」のような巨大な貨物車まで存在するのである。

最も楽しい名作13選

サーブ99ターボ
スウェーデンのメーカーであるサーブは、かつてクルマの代わりにプレハブ住宅を作ることを真剣に考えたことがある。「最も楽しいクラシックカー13」のラインアップの筆頭である「99ターボ」は、アクセルを踏み込むと、それだけで快感を覚える。1977年、サーブには6気筒を作る資金がなかったため、ミドルクラスでは初のターボガソリンエンジンを採用した。
大林晃平: 一時期、日本でも妙なブームとなった「サーブ900」の原型(というか大幅マイナーというべきか)がこれ。当時、西武自動車でプジョー、シトロエンと並んで売られていたのが懐かしい。サーブとはSvenska Aeroplan Akitie Bolaget(スウェーデン航空機製造株式会社)の略。覚えておくとちょっと自慢できるので、暗記しましょう。センターコンソールのキーをはじめ、スライド式サンルーフ(手動 引き戸式)やシートヒーターなど、当時は日本車になかった装備なので羨ましかったものだ。
ランブラー クロスカントリーST
折り鶴をサイドフィンとして貼り付け、リアのルーフを踏みつけ、フロントの低い位置のエッジに全体を押し付けたような、シューボックスのフィンアップ。1958年は「ランブラー ステーションワゴン」が最もデザイン的に輝いた年である!
大林晃平: ランブラーは言うまでもなくアメリカ車。写真のようなピンクのほか、イエロー、ブルーなど、明るい色とクロームメッキのルーフキャリアが実にいい感じのレトロ感。最近(とはいってももう20年前くらい)に、ホラー映画「ヒューマン キャッチャー」に出演していた。たしかにこの顔つきはホラー映画にはピッタリかと。
ヒルマン インプ
1970年代初頭、ハンブルグからハリッジに向かうフェリー「プリンツ オベロン」を利用すると、ピンクや青みがかったパーマのかかった年配のイギリス人女性が、少なからず、「ヒルマン インプ」に乗っていた。アルミ製リアエンジンを搭載したインプが、数々のラリーで勝利を収めたことは、その性能の高さを証明しており、素晴らしい1台だった!
大林晃平: 「インプ」は、「ヒルマン ミンクス」の下のエントリーモデル。とはいっても、当時流行のコルベアライン(ボディをぐるんと回った段付きのライン)を持つ、良心的で素敵な小型車。写真ではわかりにくいが、リアエンジンの自動車で、当時としては革新的な875ccのアルミ製4気筒エンジンをリアに積んでいた。サイズ的にはもはや我が国の軽自動車くらいである。どことなく「三菱コルト」に似ているが、いずれにしてもシンプルで良い感じである。
プリムス フューリー
ウェッジハンマー: 1950年代に発売された「フューリー」のプリムスは、5.9リッターのクーペで、当時最高のドライビングパフォーマンスを保証した。
大林晃平: プリムスのネーミングとブランドを高めるために用意されたのがこの「フューリー」。写真の2ドアクーペのほかにコンバーチブル、4ドアセダン、4ドアクーペ、ワゴンと、フルラインナップを誇った。もちろんフルサイズの大きさ。「フューリー」という名前はローマ神話の「フリアイ」からインスパイアされた造語だというが、日本人の感覚からするとちょっと強引な気もする。
プジョー604 V6 SL
ライオンのセダン: プジョーが1975年から1986年の間に約15万台生産した「604」は、そのうちわずか1万5千台がドイツ市場に投入された。この希少なV6セダンは、現在でも15台ほどが登録されているようだ。
大林晃平: 今までの人生でもっともリアシートの座り心地が良かったクルマがこれ。(2位は505)。お尻が忘れられない体験、とはこのこと。だが残念ながら肝心の自動車は信頼性にかけ、ヘッドライトがばらばらに分解して、ガラス部分が路上に落っこちるというトラブルも頻発し、オーナーは実に困ったという。なお、日本にも西武自動車がちゃんと輸入しており、お父さんをたきつけて無理やり「604」を買わせてしまったという小学生(当時)を私は知っている。(笑)
メルセデス・ベンツ220Sカブリオレ
奇跡的経済復興の時代でさえ、「W180」シリーズの「220Sカブリオレ」のエレガンスに匹敵するものはほとんどなかったのである。カーペットやレザーの厚み、技術的な堅実さ、価格設定に至るまで、この1台が最高峰だった。今でも乗るたびに気品が感じられる。
大林晃平: Sとついてはいるが、もちろん「Sクラス」ではなく、ポントンと呼ばれた「W180」のカブリオレモデルがこれ。白黒写真が残念だが、おそらくものすごくいい感じのツートンカラーと幌のコンビネーションなはず。で、どの部分がポントンかと訊かれたら、リアのホイールアーチ部分の盛り上がっている曲線部分のこと。エンジンは言うまでもなく2,200ccの直列6気筒。この時代は排気量と数字のネーミングが完全一致の簡潔さで実によろしい(今は実にわかりにくい)。
フィアット ディーノ2400クーペ
ベラ エクストラバガンザ(美しい贅沢): デザインはジョルジェット ジウジアーロ、そしてエンツォ フェラーリとジャンニ アニエリがエンジンルームで一緒に楽しんでいるようなクルマだ! まるでイタリアの家族のお祭りのように陽気に騒いでいるが、「ディーノ クーペ」は運転しても騒がしくなく楽しめる。フォルツァ!
大林晃平: フェラーリがフォーミュラ2に参戦できるまでの台数をかせぐため、フィアットブランドのスポーツカーを開発した。それがこの「フィアット ディーノ クーペ」である。そのアイディアはディーノが病床で、エンツォに伝えたといわれており、ジウジアーロがかかわったデザインは、確かにちょっと「いすゞ117クーペ」を連想させる。「フィアット ディーノ」の中でもこの「2400」はフェラーリ工場で生産されたのだそうだ。
フォード26M P7B
ボー デ コロン: フルサイズフォード? 1969年から1971年にかけて、ケルンでV6のトップモデル「26M P7b」だったものは、アメリカの中型車フォード「LTDブロアム」とほぼ同等であった。後者とは異なり、少なくとも「26M」の木材は本物だった。そして、エンジンの滑らかさ、シャシー、シルエットなど、喜びもまた然り。
大林晃平: フォードといっても、もちろんドイツフォードの「26M」。26のほかにも「17M」と「20M」もあり、「26M」は「20M」をベースに開発された(正確には、タウヌス17Mとか、タウヌスの名前が付けられて表記される場合もある)。50年も前からスライディングルーフやラジアルタイヤなどの先進装備をもち、旗艦モデルとして愛された。セダンの中のセダンともいえるスタイルで、解説もツッコミどころがないほど真面目な車だ。
マトラ-シムカ ランチョ
ああ、「ランチョ」!? 1977年から1983年にかけては、ベルボトムを履いたストレスフルなサラリーマンの息抜きのためのクルマとして活躍した。上昇志向と下降志向を併せ持つ四輪の夢、しかし四輪駆動はない。ポリエステルトラックの荷台に夢だけでなく現実のものを詰め込んだら、前輪駆動でも、日常生活で安心して使えた。2022年の今でも、楽しい!
大林晃平: 1970年代後半、すでにこんなに素敵なマルチパーパスビークルがあったとは! といつも思ってしまう「マトラ シムカ ランチョ」。4輪駆動ではないものの、それっぽいアクティブでいながらシンプルで楽しい姿は今でも新鮮。この車のミニカーを当時持っていたが、こんな自動車が我が家にあったらなぁ、と毎日眺めていたものである。エンジンも直列4気筒の普通のエンジンで、パワフルでもないし、もちろんABSもなにもなし、でもこの写真のように気の合う友人とピクニック行くのなら今でも最強の一台だ。
VW 1303カブリオレ
サニー&チェア: 日常生活では、ビートルはいつもスプリングサスペンションの頑固なヤギ、まさにゴム牛のような存在だった。そして1972年、新しいフロントアクスルと湾曲したウインドスクリーンを備えた「1303」が登場した。幌を下ろした状態で開放感満開の日向ぼっこの席。
大林晃平: 「フォルクスワーゲン ビートルのカブリオレ」といえば、やっぱりこれ。真面目なようでいて、開放的で、味のある形。松本 隆先生作詞の「星空のドライブ」の中で「青いワーゲン、幌を外してやけにビュンビュンとばしているけど~」と歌われていたのは間違いなくこの車のこと。写真の一台は、黒ボディに黒幌と黒ホイールの真っ黒けっけだが、もっと明るい色のほうが個人的にはイメージカラーだ。
ルノー30 TX
「ルノー30」を運転する培われた喜びは、現在では極めて希少なものだ。1975年、第二次世界大戦後初の6気筒エンジンを搭載し、ハッチバック、テールゲート、前輪駆動を初めて組み合わせた「30 TX」は、ルノーにとってエポックメイキングなモデルとなった。その勢いはシトロエンの「DS」を凌駕するほどだった。
大林晃平: このころのルノーは、基本的に5ドアハッチバックが主流で、それはこの上級モデルの「30」でも変わらない。スリークで美しいボディ。今のようにプライバシーガラスではなく、明るく美しいグラスエリアがなんとも魅了的だ。残念ながら「30TX」に乗ったことはないが、おそらくシートはふかふかでどこまで乗っても疲れないか、座ったとたんに寝ちゃうかのどちらかだ。上記の「604」もそうだが、この当時のフランス車というものはそういうものなのである。ちなみにエンジンはプジョー・ルノー・ボルボ共同開発のPRV6気筒で、最終的には「ランチア テーマ」にまで供給された、というのが小ネタである。なお、日本にも日英自動車が輸入していた。
BMW 3.0 Si
パワーカルチャー: 細部にまでこだわったフィリグリーデザイン、滑らかなストレート6、俊敏なハンドリング – BMW E3シリーズには魅力的な「3.0 Si」も含まれているが、これを再び実現したのは、E32世代の「7シリーズ」だけだった。「E9」シリーズでは、「3.0 Si」が走りの楽しさを決定的にする青写真となった。
大林晃平: 誤植でもなんでもなく、「3.0 Si」が正式名称の1970年代を代表するBMWサルーンの一台。日本でも高輪のバルコムトレーディングで、当時442万円で正規輸入販売されており、同社の役員のカンパニーカーはこの車だった。200馬力で4段(!)MTという、組合せながら、最高速度207km/hを日本の老舗自動車専門誌のフルテストで記録し、「4段ギアボックスも非の打ちどころがない」と絶賛されていたことを思い出す。タイアも195/70 R14と今や牧歌的なサイズだが、今のセダンでさえ、ぺったんこタイアを履く状況からしたらよほど健康的で好感がもてる。
タトラ603
クジラの約束: 宇宙船としてのクジラ、生産された時点ですでにこの世の形ではなかった。空冷8気筒エンジンを搭載する「タトラ603」は今見ても未来的で不思議な魅力にあふれたルックスだ。
大林晃平: タトラは1800年代真ん中に、チェコの実業家イグナーツ シュスタラが設立し、1900年代には大きな評価を得た・・・。という歴史を語るとものすごく長くなるので割愛するが、とにかくチェコでは、軍用車両も列車もエレベーターもタトラだった時代がある、そういうメーカーなのだ。そんなタトラが作った「603」は、ハンスレ ドヴィンカ門下生のエンジニアたちが生み出した革新的な自動車で、1975年まで約2万台が生産されたといわれる。一番有名なオーナーはキューバのカストロ(寄贈されたのだそうだ)ではないだろうか。

Text: Knut Simon
Photo: autobild.de