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執務室のソファにあぐらをかき、素足を手で撫(な)でる姿がいつもあった。「靴下をつくる会社やから足の調子をようしとかんと」。福顔がさらに崩れた。苦労人だった。11人兄弟の末っ子。1955年に中学を出ると靴下問屋へ丁稚(でっち)に出される。中学の恩師から「中国の古典を読みなさい」と言われた…