2022年3月16日、長年にわたり日本のモータースポーツを支えてきた高橋国光さんがお亡くなりになりました。享年82。
マン島レースでのライダーとしての活躍、グループAやJGTCなどでのドライバーとしての功績もさることながら、監督としての華々しい功績も。温和な人柄で「国さん」の愛称でファンからも業界関係者からも愛されたレジェンドでした。
まさに日本のモータースポーツを世界に比肩できるレベルにまで育て上げた偉人であり、自動車産業の宝でした。ベストカーWeb編集部およびベストカー編集部一同はここに高橋国光さんへの哀悼の意を表します。
今回は生前に高橋国光さんへの取材経験も豊富なジャーナリスト吉田知弘氏に、そのお人柄や功績を振り返っていただきます。
最後になりますが、国さん、モータースポーツへの長年のご貢献ありがとうございました。今年は寂しい開幕になりそうです。
文:吉田知弘/写真:Honda
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■二輪、四輪、そして世界へ挑んだレジェンド「国さん」
元レーシングドライバー、ライダーとして活躍し、現在はTEAM KUNIMITSUの総監督を務めている高橋国光氏が、3月16日逝去された。享年82。
1950年代後半に2輪レースデビューを果たし、1960年からロードレース世界選手権に参戦。翌年の西ドイツGPでは、日本人として初めて世界GPで優勝を飾る快挙を成し遂げた。
その後、4輪レースに転向し、ニッサンやホンダで活躍。1995年にはホンダNSXで土屋圭市、飯田章とともに挑戦しGT2クラスで優勝を果たした。
時を同じくして、全日本GT選手権(現スーパーGT)でTEAM KUNIMITSUを立ち上げ、RAYBRIGカラーのNSXで参戦を開始。1999年に引退して以降は、チーム監督として数多くのドライバーを輩出してきた。
近年ではF1チャンピオン経験を持つジェンソン・バトンが2018年にTEAM KUNIMITSUからSUPER GTフル参戦を果たし、大きな話題を集めた。
その年は山本尚貴とのコンビで、1勝を含む4度の表彰台を獲得し、チームとしては初のシリーズチャンピオンを獲得した。
2020年にはブランド展開の終了に伴い、長年親しまれてきたRAYBRIGのカラーリングが終了となることが発表された。そのラストレースとなった2020年の最終戦で、予選7番手から順位を上げ、最終ラップのゴール手前500mでトップに浮上。
山本尚貴/牧野任祐のコンビが、大逆転でチャンピオンを手にした。その際、高橋総監督は「長年支えてくれたスタンレー電気(RAYBRIG)さんに、やっと結果で感謝の気持ちを伝えられる」と満面の笑みをみせていた。
いつもサーキットでは笑顔を絶やさず、元気な姿をみせていたが、数年前から体調を崩しており、2021シーズンは最終戦のみサーキットに登場した。今季はタイトル奪還を目指してチームも気合いがはいっていたが、3月16日に帰らぬ人となった。
4輪レースだけでなく2輪レースでも、世界的に有名だった選手だけに、今回の訃報でモータースポーツも悲しみに包まれている。
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