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【編集部より】トヨタ自動車から幹部社員が相次いで退職--。その動きをいち早く伝えた井上久男さんが日本経済再興の視点からこの問題の今日的意義を解説します。

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会社を飛び出し「予期せぬ成功」をするには

実は自分のキャリアが思い通りに行く人なんておそらくいない。米スタンフォード大においてキャリア論で有名なジョン・D・クランボルツ教授は「計画的偶然性」という概念を示している。計画と偶然は相反する概念であるが、キャリア形成とは、一定の計画をもって努力をしながら、その成功をつかみ取るのは偶然の結果である、という意味だ。

偶然の発見という意味で「セレンディピティ」という言葉が使われる。ノーベル賞級の研究も「セレンディピティ」によるものが多いと言われるが、これは単なる偶然ではなく、優れた研究の背後には多くの無駄や試行錯誤、すなわち努力が隠されているということである。こうした努力を積み重ねた結果、予期せぬ成功が転がり込んでくるという意味だ。

こうも言えるのではないか。努力している人は、女神がチャンスの手を差し伸べてくれていることに気づくが、さぼっている人ほど気づかない、と。要は会社を飛び出して成功する人は、飛び出すまでに、人脈構築、専門性を磨くことなど人並み以上の努力が必要なのである。

こうした努力をしていて、独立、転職しても成功しそうな人材であっても、日本では今いる会社に一生を捧げるような生き方をする会社員がこれまで多かった。昭和、平成を経て令和の時代になり、そうした価値観は崩れているが、もっと崩れるべきだ。

人材「飼い殺し」が生む負の連鎖

岸田政権で「分配」が重要政策の一つとなったのは、日本は1人当たりの所得が向上しないからだ。その根本的な理由について、優秀な人材の流動性と労働生産性が低いことだと筆者は思っている。

優秀な人材が、名門大企業というだけで成長が見込めないような、あるいは経営者とその周辺が甘い汁を吸っているようなガバナンスが崩壊した組織に囲い込まれ、将来有望な事業を育てることに挑戦できない状況に置かれているケースは多々ある。そんな組織では、無駄な会議と社内調整、経営層への忖度など生産性の低い仕事に追われ続ける。言ってしまえば人材の飼い殺しだ。

人材を飼い殺していることで、もっと稼げる潜在能力のある企業が衰退する。日本の大企業ってそんなところが多い。この結果、社員の給料を上げることもできず、取引先を買い叩き、下請けの中小企業をいじめて生き延びる。さらに、優秀な人材が組織を飛び出し、新たな企業を起業すればそこから成長ビジネスが誕生するかもしれないが、そんな動きは日本では少ない。こうしたことが積み重なって負の連鎖ができて日本人の賃金は伸びないのだ。

優秀な人材を解き放て!(kazuma seki /iStock)

優秀な人材でも、そのまま腐った組織にどっぷりつかっていると、いずれ自分も腐っていくことは必定だ。そして人材としての市場価値を失う。

米国の碩学、故ピーター・ドラッカー氏は「起業家精神はしばしば大企業の中で生まれてきた」と説いている。米国のIBMやGEといった大企業は、組織内で新規事業を育てて変身しながら生き残ってきたという意味だ。

日本でも富士フイルムホールディングスは、写真フィルムの会社から医療機器や化学、製薬などの会社に変わった。モーター大手の日本電産も、モーターに基軸を置きながらも供給先がフロッピーディスク向けからハードディスク向けが中心になり、これからはクルマ向けが主役になろうとしている。

大企業人材の新たな挑戦に期待

優れた大企業は、環境の変化に合わせて人材を取捨選択しながら活用し、新たなビジネスを創造している。そのプロセスでは当然ながら人材も入れ替わる。率直に言って、変化のために必要な人材もいれば不要な人材もいる。断っておくが、不要な人材を人材として否定しているわけではない。その会社で要らなくなったというだけで、他社では必要な人材となるかもしれない。

今いる会社で新たなことに挑戦できるのならば辞める必要はない。しかし、それができないのなら、自分で会社を興すのでも、自分の能力を発揮できそうな他の企業に移るのでもいいから自分のキャリアが磨ける場所を探すべきだ。繰り返すが、当然ながらそれなりの事前の努力は必要である。

優秀な人材が腐った大企業や将来性のない組織から解き放たれ、どんどん新たなビジネスに挑戦して成功を収めて欲しい。そして、人材が流出する企業では、経営者がその理由に気づいて舵取りの手法を変えれば、その企業も生まれ変わることができるかもしれない。そうした積み重ねが日本企業を再生させ、ひいては日本経済の成長につながる。

トヨタの幹部の離脱は、案外、日本経済がいい方向に変化し始めた兆しなのかもしれない。