もっと詳しく

<p>「奇想のモード」展、エキセントリックを貫くモードとアート|石田潤のIn The Mode</p><p>〈 #東京都庭園美術館 〉で『奇想のモード 装うことへの狂気、またはシュルレアリスム』が開催中。過去から現在にいたるエキセントリックな作品群がアール・デコ様式の貴重な歴史的建築物に集結しています。 ⇒</p><p></p><p>〈東京都庭園美術館〉で開催中の『奇想のモード 装うことへの狂気、またはシュルレアリスム』。過去から現在にいたるエキセントリックな作品群が、アートとファッションの新たな可能性を見出させる。 展覧会の幕開けを飾る本館ロビーには、サルヴァドール・ダリの《炎の女》(1980年)、《抽き出しのあるミロのヴィーナス》(1956-64年)とともに、ヤン・ファーブルの《甲冑(カラー)》(1996-2002年)が展示。 アートとファッションのコラボレーションはもはや一般的なものになったが、いま以上にこの2つが距離を縮めた時代があった。 1930年代、『ヴォーグ』の表紙をサルヴァドール・ダリやジョルジョ・デ・キリコが飾り、店のショーウィンドウにはシュルレアリスム風のディスプレイが登場した。そして当時ココ・シャネルのライバルであったエルザ・スキャパレリは、ダリとのコラボレーションを始め、シュルレアリスムにヒントを得た作品を多く発表した。 こうしたアートとファッションのコラボレーションの原点へと思いを馳せる展覧会『奇想のモード 装うことへの狂気、またはシュルレアリスム』が、〈東京都庭園美術館〉で行われている。 センターにあるのは現代美術家の小谷元彦による人毛を三つ編みし作ったドレス《ダブル・エッジド・オブ・ソウト(ドレス02)》(1997年|毛髪|金沢21世紀美術館蔵)。 トロンプ=ルイユ(騙し絵)は、シュルレアリストたちが好んだ手法の一つ。右/身体を覆う髪の毛のように見えるマルタン・マルジェラのプリントドレス(2004年秋冬)。左/人工毛で作られた永澤陽一の《ボディ・アクセサリー》(2004年春夏) 1930年代にはシュルレアリスムの影響を受けたイラストが『ハーパース・バザー』や『ヴォーグ』の表紙を飾った。イラストレーター、アドルフ・ムーロン・カッサンドルによる『ハーパース・バザー』1938年10月号表紙(右)と、シュルレアリストが度々用いた目のモチーフをあしらったハリー・ゴードンによる《ポスタードレス》(1968年頃。左)。 奇想という言葉からまず思い出すのは、美術史家の辻惟雄による著作『奇想の系譜』だ。辻は「<奇想>という言葉は、エキセントリックの度合いの多少にかかわらず、困難の殻を打ち破る、自由で斬新な発想のすべてを包括できる」(辻惟雄『奇想の系譜』あとがきより)と述べ、伊藤若冲ら6名の画家を日本近世絵画史の中に位置付けた。そして、この「奇想のモード」展で担当学芸員の神保京子が試みるのは、奇想の系譜をモードの歴史の中に見出すことである。 展覧会の最初の部屋に登場するのは、『ファーブル昆虫記』のアンリ・ファーブルを曾祖父に持つヤン・ファーブルによる玉虫の羽を用いたアート作品《甲冑》だ。展示では、他にも昆虫や動物の身体の一部を用いたアクセサリーや靴が登場する。神保学芸員は、近年ではタブーになりつつある生物を身にまとう行為について次のように述べる。 「有機的な生物を身にまとうというのは、現代の私たちから見れば奇想天外に見えるかもしれませんが、植物を編んだものや毛皮を着用するという行為は自然な営みでした。狩猟文化では、雷鳥の足の先をお守りやアクセサリーとして身につけました。身近にある生き物の一部を即物的に身につけるというのは、初源的な行為だったのです」 シュルレアリスムをモードの世界に取り入れたエルザ・スキャパレッリのコーナー。右のドレス(1935年夏)は、マッチ棒を柄として取り入れ、日常のものが思いもかけぬ場所に現れるというシュルレアリスムの思想にもつながる。</p>