2022/3/13 8:00
世界経済フォーラムが昨年公表した「ジェンダーギャップ指数2021」で120位になるなど、日本の男女格差はなかなか小さくなりません。
九州ルーテル学院大学准教授でテレビのコメンテーターなどとしても活躍する坂根シルックさん(59)は、ジェンダーギャップが少ない国として毎年上位に入る北欧フィンランドから来日し、
40年以上日本で暮らしています。日本で出産や育児も経験したシルックさんに、日本のジェンダーギャップの変化や、どうすれば格差が埋まるのかを聞きました。
外で働くお母さんは「悪いお母さん」という時代
――日本には通算40年以上暮らしているとか。
父が牧師で、3歳から13歳まで日本で暮らしていました。フィンランドに帰ってからも、日本にもう一度戻りたいと思っていて、大学を卒業した後の1985年、23歳の時に再来日し、
フィンランドの製紙を日本に輸入する合弁会社に勤めました。社員が10人いないくらいの小さな会社で、社長は日本人で、副社長がフィンランド人でした。
――当時、ジェンダーギャップについて驚いたことはありますか。
びっくりすることばかりでした。フィンランドでは夏の間に学生が正社員の代わりに仕事をする制度を利用してデパートや銀行で働いていました。上下関係がなくて、任された仕事をしている上ではみんなが対等でした。
日本では、相手の年齢や性別で接し方が違う人が多く、「女の子」扱いされることに驚きました。会社の会議でどのように交渉が行われているか知りたくて、会議に出席させてほしいと上司に頼んだのですが、
「会議の席に女性が入ると話にならないから」といって入れてもらえませんでした。お茶くみは女性の仕事で、接待でも常にお酌をしないといけないし、酔った勢いで体を触られるといった嫌な思いもしました。
女性として働くことがこういうことだったら日本は無理だと思って、2年たったら帰ろうと思っていました。でも日本の人と結婚し、一大決心をして日本に残ることにしました。
その後、フィンランドの政府観光局や電気通信機器メーカー大手の「ノキア」などで働きました。子どもも2人出産しましたが、夫がフリーランスの仕事をしていたので家事や育児を分担してくれ、仕事を続けることができました。
――1985年からの37年…
朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASQ396F5RQ33UHBI05Q.html
引用元: ・【社会】 働く母は「悪い母」だった90年代 フィンランド出身の私が見た日本 [朝一から閉店までφ★]
専業主婦は戦後の日本だけの文化
子供放ったらかして働いてる女は罪悪感感じないの?
80年代も母親がパートに精を出して家計を支えるのが普通だっただろ
The post 【社会】 働く母は「悪い母」だった90年代 フィンランド出身の私が見た日本 first appeared on TweeterBreakingNews-ツイッ速!.