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<p>「現状変更に反対の声を」安倍氏講演詳報</p><p>「現状変更に反対の声を」安倍氏講演詳報 東方政策は、マレーシアの未来をつくるため、日本に目を向けてくださいました。同じ経験をしてきた日本だからこそ、その意味が、重要性が、よく分かります。</p><p>岸田文雄首相の特使としてマレーシアを訪問中の安倍晋三元首相は12日、同国のマハティール元首相が提唱した日本の経済成長に学ぶ「ルックイースト(東方)政策」40周…</p><p>マレーシアの大学で講演する安倍元首相=12日、マレーシア・スランゴール州(共同) 岸田文雄首相の特使としてマレーシアを訪問中の安倍晋三元首相は12日、同国のマハティール元首相が提唱した日本の経済成長に学ぶ「ルックイースト(東方)政策」40周年を記念し、講演した。講演の詳細は次の通り。 ◇ ◇ サラム スジャトゥラ(Salam Sejahtera)。おはようございます。安倍晋三です。新型コロナ(ウイルス禍)という困難な時期に、この講演を可能にしてくれた、マレーシア国際イスラム大学の関係者を始め、マレーシアの皆さまの歓待に心から感謝申し上げます。 昨日、アブドラ国王陛下から、名誉博士号を賜りました。大変光栄であり、深く御礼申し上げます。 いきなりですが、本日は学生の皆さんもいらっしゃいますので、3問ほど、クイズで始めたいと思います。 まず、第1問。今からさかのぼること65年。1957年、独立直後のマレーシアに、初めて日本の首相が訪問しました。この首相が誰だかご存じでしょうか? 岸信介。私の祖父です。独立マレーシアにとって初めての、海外からの首脳の来訪でした。独立の父アブドゥル・ラーマン首相との会談では、貿易や経済協力について、未来志向の議論が交わされました。今日まで続く、両国の緊密な経済関係の始まりです。 続いて第2問。東方政策が始まった1982年、日本の外務大臣に就任した人物をご存じでしょうか?安倍晋太郎。私の父です。翌1983年、マハティール首相の訪日に際して、安倍外相は、両国首脳が初めて東方政策に関する協力を確認した、歴史的瞬間に立ち会いました。父晋太郎は、1986年までの約4年間外相を務め、東方政策の黎明期(れいめいき)に、新しい日・マレーシア関係の土台を築きました。 最後に第3問。2007年、東方政策25周年、また日・マレーシア外交関係開設50周年の節目の年に、マレーシアを訪問した日本の首相は誰でしょうか? 勘のいい方なら、問題を聞く前から答えが分かっていたかもしれません。私、安倍晋三です。「変わらぬ友情と広範なパートナーシップ~共通の未来に向けて」。アブドゥラ首相とともに発出した、共同声明のタイトルです。 そこに記された、東方政策に対する支援、マレーシア日本国際工科院(MJIIT)の設置、海上安全確保のための協力、ミンダナオ和平への貢献は着実に実施され、共通の未来を築いてきました。 本年、2022年は、マレーシアが東方政策を開始して40年、そして日本とマレーシアの外交関係が開かれて65年となる、記念の年です。祖父から父へ、そして私へと、3世代にわたってゆかりの深いマレーシア。大切な節目の年に、本日、こうして講演できることを大変うれしく、また、光栄に存じます。 そして、本日の講演が、わずかなりとも、皆さんが東方政策に関心を持ち、日本に、日本的価値に関心を持ち、「Look East,Look Japan」。そのきっかけになれば、私にとって望外の喜びです。 ■ ■ 本題の東方政策の話に入りましょう。 1981年12月15日。マハティール首相は、世界各地に駐在するマレーシアの大使を招集し、「東に目を向けよ。マレーシアの経済開発モデルとなるのは、日本である」と述べました。東方政策留学生の派遣など、東方政策が始動したのはその翌年、1982年です。東方政策の目的は、技術や実学の習得にとどまりません。労働倫理、学習・勤労意欲、道徳といった、日本的価値を学ぶこともまた、東方政策の目的でした。 それから40年、その政策は政権を超えて引き継がれ、今も色あせていません。この日本的価値の重要性を見いだし、東方政策を通じてマレーシア社会に還元した功労者に思いをはせたいと思います。 アブドゥル・ラザック氏。マレーシアでは親しみを込めて、「ラザック先生」と呼ばれている、(マレーシア国際イスラム大学の)ズルキフリ学長のお父様です。ラザック先生は、第2次世界大戦中、南方特別留学生として日本に留学されました。早くも1940年代に、東方政策を先取りしていたのです。 広島大学に留学している際に、原子爆弾の被害に遭いましたが、奇跡的に生き延び、帰国後は、日本での経験を生かし、日本語教育に尽力されました。そして、東方政策の始動とともに責任者の一人に抜擢(ばってき)され、日本語研修などのプログラムを構築します。まさに、東方政策具体化の立役者です。 授業に遅刻する学生は許さない。宿題をしてこない学生も許さない。マレーシアの学生から、日本人より厳しいといわれたラザック先生は、彼らに、時間厳守、献身、礼儀、高潔といった価値を浸透させていきました。その功績がたたえられ、ラザック先生は、1983年に日本政府から瑞宝章を、そして2013年には広島大学から名誉博士号を授与されています。 日本を心から愛し、日本とマレーシアの架け橋となってくださったラザック 先生に、この場をお借りして、敬意を表します。 私は、いつの時代も、そしてどの国でも、未来を創ることは、教育から始まると信じています。 そして、時にその教育は、外に目を向けることも重要です。日本の近代化がそうでした。約150年前、日本の若者は数カ月がかりで海を渡り、欧米で近代国家の何たるかを学び、帰国して、新しい日本の国をつくりました。 東方政策は、マレーシアの未来をつくるため、日本に目を向けてくださいました。同じ経験をしてきた日本だからこそ、その意味が、重要性が、よく分かります。日本は、マレーシアの期待に応えるべく、さまざまな協力を行っています。 日本に興味を持つ将来の留学生のためにも、いくつか紹介させてください。</p>