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真備は文麻呂を従え、牛車に乗って典薬寮に向かった。痘瘡(もがさ)が表面化して七日しかたっていないのに、都の様子は一変していた。高位の者、豊かな者は都から逃れて別荘や縁者の家に行き、貧しい者や浮浪の者が食べ物を求めて都に流れ込んでいる。大路の柳の並木の下に、小屋を掛けたり莚(むしろ…