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これらは、史上最もクレイジーな15台の名作(?)だ。この業界では、3輪しかない車や、巨大な翼を持つ車、無茶な能力を持つ車など、多くの奇妙な車が生み出されてきた。そんな中、最もクレイジーなクラシックモデル15作品を紹介する究極のヒットリストをお届け!

奇妙なコンセプト、クレイジーと実験車は、クラシックカーのシーンを豊かにしている。「リライアント ロビン」や「ピールP50ミニカー」のように、税制の特例などの制約から作られた車も少なくない。あるいは、原始的な「ランボルギーニLM002 SUV」や翼の生えたモンスター、「プリムス スーパーバード」など、極端な例もある。

だから、この「史上最もクレイジーなクラシックカー15選」は、まさに理にかなったリストなのだ。これらのクルマが自宅のガレージにある必要はないが、存在を知ることで希望が生まれる。合理的で主流なものの向こう側には、奇妙な人生があるのだ!

漫画家同士の競演のように

「スタッツ ブラックホーク」も、そんな思いでつくられた。この車は、「アメリカのロードクルーザーを風刺したような車を描いてください。クレイジーであればあるほど良いです!」と、いう漫画家同士のコンペのようなものだ。そのような賞は、明らかにこの「スタッツ」が受賞するだろう。このクルマのすべてが、測り知れないほど誇張されているのだ。

「ブリストル ブレンハイム」のようなクルマもある。このクルマは、イギリスの秘密メーカー「ブリストル」の4ドアクーペで、何よりも希少な存在である。約15年間(2008年まで)で、100から300台の「ブレンハイム」が生産された。そのため、正確な台数もわかっていない。ブリストルは、その秘密を他の多くの企業と同じように墓場まで持っていき、2011年に倒産してしまった。間違いなく、この15台はすべて極限状態だ。そして、なによりもクレイジーなのだ!

史上最もクレイジーなクラシック15選

サンヨン ロディウス(2004~2013)
家屋と車の融合に対する韓国からの回答。出窓を備えた初のSUV。巨大なロディウスはジャンクなプレスにだけ受けている。バンのはずなのに、後ろから見ると40トン積みのトラックのようで、上部に展望台がある。ドイツでの販売? ほぼゼロ。なぜだろう?(笑)
大林晃平: シンガポールでこの車のタクシーと遭遇したことがある。あの車に乗るのはイヤだなぁ、思っていたら、そういう時に限って僕が乗るタクシーはこの車になった。乗ってみれば室内は広く、ちゃんとエアコンも効いて快適だったが、目的地について降りてクルマを振り返ると、この車で移動したのか、とちょっと複雑な気持ちになった。
ピールP50(1961~1963)
狭くて、うるさくて、暑くて、ダサくて・・・。このクルマはこれ以上ないほどクレイジーな1台だ。1961年から63年にかけて、マン島で、GRP製で製造された「ピールP50」は、全長1.35メートル、全重量62kg。4.2馬力の50cc2サイクルエンジンがドライバーの真横に配置されているため、室内は暑さと騒音で我慢できない。バックギアがない代わりに、後ろにハンドルがあり、いちいち降りて、そのハンドルで、小さな車を引っ張ったり、持ち上げたりして、所定の位置に置く必要がある。”(-“”-)”
大林晃平: たしかにこのアングルからだとものすごく変な自動車に見えるが、ヨーロッパではこういう「虫」のような自動車が市民権を受けて街を走っている。この「ピールP50」は極端な大きさではあるが、できるだけコンパクトなパッケージで、という考え方では間違いではない。後ろヒンジのドア、ミラーもウインカーも側面に見当たらない部分など、本当にこれで公道を走ってもいいのかという感じだが、その辺は容認されているのだろう。それにしても窓はまったく開かないようなので、ものすごく暑そうだ。
プリムス スーパーバード(1970~1972)
一目見た目だけで十分! スーパークレージー! 完全にイカレている。 無知な人は大抵、「スーパーバード」をムービーカーだと思っている。実は、後部のモンスターウィングと、プラスチックの型から作られたような前部の斜めのノーズを持つ、その映画撮影用に作られたクルマのような外観には、1935年の「スーパーバード」が、高速レーシングカーのホモロゲーションに使用されたという背景があるのだ。
大林晃平: この車はだれかがつくった改造車じゃなく、普通にクライスラーのカタログモデルとして普通に売っていた・・・。やはりアメリカはすごいなぁと思うと同時に、いい時代だったなぁ、とも感じる。1970年から2年だけではあったが、こんな形の自動車を発売し、ちゃんと千台単位で売れる国・・・。やっぱりすごい。ちなみにリアフェンダーのプリムスのロゴも、垂直尾翼のキャラクターデザインも、純正標準装備だ。
ブリストル ブレンハイム(1993~2008)
排他的な鋳掛屋の小屋: 最もクレイジーなメーカーを問うなら、奇妙で謎めいた英国ブリストル社には、他のどのメーカーもまず手が届かないだろう。1993年から2008年まで製造された「ブレンハイム クーペ」は、一見目立たないが、よく見ると何も合わないという、このブランドを象徴する車である。
大林晃平: これのどこがクレイジーなのか写真ではよくわからない。たぶん、ブリストルというメーカーがちょっとマイナーなのかな、とそういう理由なのだろうか・・・。ちなみに「ブレンハイム」とは、第二次世界大戦中にブリストルが作り、イギリス空軍で運用されていた双発爆撃機と同じ名称。そのブリストルは広告などを出さないことで有名な、数少ないイギリス資本の自動車メーカーだ。
リライアント ロビン
プラスチック製の豚: ドイツでは、「ミスター ビーン」の映画で有名な3輪のプラスチック製エステートカーが有名だ。イギリスでは、ファンから「プラスチック ピッグ」と呼ばれていた。重量が450kgと軽く、3輪であるため、バイクの運転免許があれば、乗れた。信じられないことに、リライアント社は30年間、この製品を作り続けたのだった。アンビリーバボー!
大林晃平: リライアントで有名なのは、「シミター」や、「ボンドバグ」のほうで、特に「ボンドバグ」はドア(というのか)キャノピーのようにガバット開き、そこから乗り降りをするという、ものすごく変わった3輪の自動車であった。それからすればこの「ロビン」はごくまっとうで普通の形をした自動車だ。3輪でなければの話だが・・・。そういえば2年ほど前、この「ロビン」が日本に輸入され250万円ほどで売られたことがあった。(もちろん中古車で)。
VWバギー
飛ぶ、虫、飛ぶ: 「VWビートル」のシャーシを使ったビーチ用のプレーモビル(Playmobil)の目的はただ一つ、楽しむことだ。ドアや屋根など余計なものがないバギーは、キットとして注文できた。GRPボディワークとシンプルなビートルテクノロジーが、そのことを容易にしていた。想定される用途としては、自動車よりもバイクに近いものだった。アジャイル(敏捷)、イキイキ、楽しい。
大林晃平: これこれ、このプラモデルありましたっけねぇ、という懐かしい「フォルクスワーゲン バギー」。もちろん生まれはアメリカで、ひたすら陽気に大活躍していた。映画にも、エルビス プレスリーの「バギー万歳!」を筆頭に、様々な作品に出演。日本にも輸入され、まだ乗っている人がいる。
スタッツ ブラックホーク(1973~1979)
4輪でラスベガス。1台のクルマに、これ以上アメリカを詰め込むことはできない。どこもかしこも、ピカピカ、ピカピカ、ピカピカ。1973年から1979年まで製造されたこのクーペは、「ポンティアック グランプリ」を技術的ベースとしているが、全長5.80メートル、乾燥重量2.4トンと、400キロも重くなった。何かの野獣を思わせるボンネットやラジエーターグリル、サイドパイプ、外側のスペアホイール、スポークホイール、示唆に富むマッドガードは、1930年代の車を思い起こさせる。
大林晃平: スタッツは一見ゲテモノに見えてしまうが、じつは大変な高級車で、フランク シナトラもサミー デービス ジュニアもディーン マーティン(ってことはシナトラファミリーじゃん)も所有していたし、サウジアラビアの王族なども持っていたという・・・。趣味が良いか悪いかはよくわからないが、そういう手作りの特別な自動車だった。ちなみにボディはアメリカ製ではなくイタリアのカロッツェリア製である。
ランプラー トロッペンワゴン
風と共に去りぬ: 航空業界のパイオニア、エドモンド ランプラーが1921年に発表した車は、別世界のもののように見えただけではなく、異次元の世界から来たような雰囲気があった。その後の測定で、Cd値は0.28! 変な話: 運転手は前に一人で座っていた。【悲報】: 映画『メトロポリス』のために大半のランプラーが破壊され、残りはタクシーとして消耗されてしまった。
大林晃平: ランプラーといっても調味料ではない(あれはナンプラー)。れっきとしたアメリカのブランドで、1900年頃から1980年代までブランドとしてはちゃんと存在していた(その間にランプラーとして、数多くの車種を生み出した)。写真の「トロッペンワゴン」はえらく妙な格好に見えるが、空気抵抗の少なさなど、革命的なデザインであったといえる。ただし一つ目小僧なので、夜に遭遇すると怖そう。
フルダモビルS1(1954~1969)
えい、えい、えい、車: 1950年代はドイツで最も小さな車の偉大な時代であった。最も小さな車のクラスの代表として、1951年から1969年まで製造されたフルダモビルは、最も奇妙な車の一つであった。特に、1954年以降に生産された「S1」がそうである。ユニークなのはゴツゴツした外観で、ビートルとして表現するならパネルバンに近い印象がある。
大林晃平: なんとも不思議な形で、見れば見るほど自分の目がゆがんでいるようにも感じてしまうデザインだが、もちろん作った方は大真面目であっただろう。写真ではえらく大きな車に写っているが、実際には決して大きな自動車ではなく、バブルカーの範疇に入る。400台ほどが生産されたというが、イメージカラーはブルーやクリーム色が定番であった(はず)。
アルファロメオSZ(1989~1993)
イル・モストロ(怪物): 「アルファSZ」は開発中から、社内で「怪物」というニックネームで呼ばれていた。ザガートのデザインは、必ずしもクラシカルな美しさではなく、一貫してボクシーでウェッジシェイプである。1989年から1993年までザガートで手作業により製造された「SZ(スプリント ザガート)」は、クラシックなアルファ ロッソのカラーリングのみで納車された。アクの強いエクステリアデザインから、「イル・モストロ」(Il Mostro=怪物)というあだ名が付けられている。
大林晃平: 「アルファロメオSZ」、実際には乗るとものすごくドライバーズカーであり、運転することが楽しかった自動車であるといわれている。ベースになったのは「アルファロメオ75」で、エンジンもV6に5MTの組み合わせのみ。1,000台以上生産され、日本にも結構な台数が輸入された。2022年2月現在、3台が中古車市場で流通しているが、どれも「応談」の札がついている(昔から思うけれど、応談ってなんだかずるい)。という話はともかく、今見ても全く古臭くないのはさすが。
AMCペーサー(1975~1979)
モックコンパクト。70年代にアメリカ人が小型車を想像し、それを作ったというのは、まったくもってクレイジーな話だ。全長4.39メートル、6気筒と8気筒のエンジン、エアコン、レザー、ラグジュアリー。「キャデラック フリートウッド」を横に並べると、「AMCペーサー(1975~1979)」は本当に小さなクルマになってしまう。車輪のついた金魚鉢は、大きさが相対的なものであることを示している。
大林晃平: 石油ショックの背景で登場した「AMCペーサー」。見ての通りの広いグラスエリアで、ニックネームは「金魚鉢」。その名の通りガラス面積は圧倒的で、あまりに大きかったため、フロントのウインドーも下がりきらないという顛末に(おいおい)。それでもアメリカの映画ではいまだに人気者で、たまにその姿を拝むことができるし、ピクサー映画の「カーズ2」にも出演を果たしていた。
ランボルギーニLM002(1986~1993)
ランボーランボー! ステルス機と装甲車を掛け合わせたようなLM002(1986~1993)は、数々のハイライトを設定した。カウンタックから450馬力のキャブレターV12、290リットルの燃料タンク、オフロードでの消費量は簡単に100リットルを突破した。328台が製造され、主にアラブの産油国で販売された。そこで、彼らは源流に近づいた・・・。
大林晃平: 「ランボルギーニ チーター」と混同されがちだがまったくの別物。V12エンジンを積み、2.7トンのボディを最高速度206km/hまで導いた。もちろん燃費など良いはずもなく、リッター2km以下。290リットル(!)の燃料タンクを満タンにしてもあっという間にカラ欠になってしまう。結局328台を生産しただけで(結構多いともいえるが)生産中止。狙いは間違っていなかったと思うものの、時期が20数年早すぎたようだ。
アンフィカー770
水陸両用車? 船は道路を走れなければならないのか、という今までにない問いへの答え。あるいは、車は海や湖や川に浮くのか? アンフィカーの製作者であるハンス トリッペルも、当然そのように考えていた。その結果、それなりに成功したクルマと、最適とはいえないボートができあがったのだ。潮に逆らって泳ぐのが好きなすべての人のための、水上の不思議な専用車。最も重要なことは、言うまでもなく、こまめなメンテナンス作業を怠らないことだ。
大林晃平: アンフィカー=水陸両用車はひとつの夢だったのだろう。自由自在に陸上から水上へ・・・。そんな夢の一つがこの「アンフィカー770」。4,000台弱が生産され、日本にも5台が正規輸入された・・・。という水陸両用車の話は以下に。

※日本では観ることのできない水陸両用車の世界 その1 世界は楽しみにあふれている

フィアット ムルティプラ(1999~2004)
他の人の車だから言えるが、フィアットは、奇抜な外観のムルティプラをこのような形で持ってくるとは、めちゃくちゃ勇気がある、あるいは狂気の沙汰か・・・。オリジナル版(1999~2004)は業界の意見や世評が二極化していた。ある人は史上最も醜い車と言い、ある人は転がるようなユニークな芸術品と言う。6人乗り、高い可変性、完璧な全方位視界など、優れた実用的才能を持つ1台ではあるが。
大林晃平: こういうストーリーやテーマには定番、鉄板モデルの「ムルティプラ」。決して、おちゃらけモデルではなく、6人が短い全長の中に乗ることを目的とした革新的なコンセプトを持っていたし、乗ってみると実に運転が楽しく、なんともハッピーな気持ちになれたことを思い出す。しかしこの前衛的な外観が災いし、マイナーチェンジによって、なんとも味気ない普通の姿に戻ってしまい、人気も結局下降線のまま運命を終えたのはあまりに悲劇だった。
シボレーSSR(2003~2006)
1990年代末、多くの自動車メーカーが、よりニッチなモデルを考えていた。シボレーは、折りたたみ式ルーフのロードスターと、V8とリアリジッドアクスルを備えたピックアップの組み合わせという、特に魅力的なものを作り出したという点で冠に値すると思える。2003年から2006年にかけて、SSR(スーパースポーツ・ロードスター)は約 24,000台作られた。
大林晃平: この車のデザインはそれほどおかしいと思わないし、アメリカ的なオマージュをかなりのレベルで具現化させたことはなかなか評価されてしかるべきなのではないだろうか。内装も、特にシフトゲートまわりのデザインなど凝ったもので、GMが真剣に作ったことを思わせる。ちなみにSSRとはSuper Sports Roadsterの略だそうで、はたしてそういう名前がピッタリかどうかはわからないが、日本にも並行輸入され、いまだに売られているのをたまに見かける。

でもなぜか日本車が1台も入っていないのが不思議&淋しいと思うのは私だけだろうか・・・。

Text: Lars Busemann
Photo: autobild.de