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 川中島バスは、長野市を中心に長野県北部をエリアとする事業者であった。1983(昭和58)年に前身の川中島自動車が経営破綻し、松本電鉄の支援の下その更生会社としてスタート、好景気にも支えられて再生を遂げた。

 その後2011(平成23)年に松本電鉄と経営統合の上、アルピコ交通となった。平成年間は再生・発展、そして統合と大きな変革が訪れた時代であった。

(記事の内容は、2021年9月現在のものです)
執筆・写真/石鎚 翼
※2021年9月発売《バスマガジンvol.109》『平成初期のバスを振り返る』より


■再建からCI導入、合併など企業イメージを大きく変えた平成年間

●日野 RC320

川中島自動車時代の塗装をまとう長尺車で帝国製ボディを架装。ターボ過給を行う高出力車で、この当時はすでに最古参車の一角であったが山岳路線で重宝された

 平成が始まって間もなく、1990(平成2)年に松本電鉄グループは新CIを導入し、虹色のストライプをあしらったデザインが導入され、当時子会社だった川中島バスもこの塗装への変更が始まった。

 平成初期は旧来の老朽車両を取り替えるため、首都圏や関西圏から多くの中古車が導入された時期で、車両の取換に合わせて新塗装化が急速に進んだ。1990年代中頃までは、川中島自動車時代の塗装、松本電鉄グループとなった際に採用されたもの、アルピコカラーと、3種類のデザインが見られた。

 また、高速バスの運行も平成年間に始まり、長野~大阪線、新宿線、松本線などの人気路線は、いずれも平成初期に開設されたものである。高速バス用にはスーパーハイデッカーの新車が用意され、その意気込みが窺われた。

 一方で、地方路線は整理が進められ、1980年代から廃止代替バス運行のため上越観光バス(妙高地区)、川中島グリーン観光バス(長野地区)が分社のうえ設立されるなど、効率化が進められた。

 また白馬エリアは松本電鉄へ移管された。結果、路線バスの運行エリアは長野市近郊を中心としたものとなり、上田、更埴と言った地域では路線撤退に伴い、営業所も廃止された。

■現在はアルピコ交通として再編され、長野県の公共交通を支える

●日野 RE101

こちらは前後ドア・低馬力の日野RE系で、長野市内で使用されていた車両。自社発注車にも前後ドア・前中ドアの両方が存在した

 平成初期に導入された中古車両は冷房化・低床化を迅速に進める効果があったが、高出力車が必要な山岳路線では、旧来の車両もしばらく使われた。こうした路線はその後山陽電鉄など、やはり登坂路線を多く持つ事業者から高出力の中古車を調達し、置き換えが進められた。

 1997(平成9)年に開催された長野冬季オリンピックでは、東京都交通局が導入予定だったリフト付きバスを一時的に借り受けて、アクセス輸送に活用したこともあった。中古車両導入は複数の事業者やメーカーも3社にまたがったことから、車両のバリエーションが一躍賑やかなものとなった。

 ところで、長野市中心部のバス発着拠点として長らく親しまれてきた長野バスターミナルは、昨年9月にバスターミナルとしての役割を終えた。鉄道駅と連絡しないバスターミナルはバス黄金時代の名残ともいえるが、今後は駅を中心として鉄道と共に地域の公共交通を支えていってほしい。

投稿 川中島バスが走っていた平成初期 長野のバスを振り返る自動車情報誌「ベストカー」 に最初に表示されました。