JRC全日本ラリー選手権でヘイキ・コバライネンが開幕2連勝(新城、唐津)を飾った。しかも、全ステージベストタイムというオマケつきだ。彼のマシン、シュコダ・ファビアR5の戦闘力が高く、ダンロップタイヤもクルマと路面にマッチしていたようだが、それにしてもトップカテゴリーに挑戦していきなり2連勝とは恐れ入る。
ラリードライバーとしても、素晴らしいセンスを備えていることは間違いない。今年、11月に開催が予定されているWRC第13戦『ラリージャパン』にも出場を検討しているようなので、とても楽しみだ。
ラリーにチャレンジしたレーサーは少なくないが、WRC世界ラリー選手権に出場したドライバーとしては、2007年にF1ワールドチャンピオンとなったキミ・ライコネンがもっとも有名だ。
ライコネンはフェラーリ在籍時の2009年、WRC第9戦『ラリー・フィンランド』にアバルト・グランデプントS2000で出場。結果はリタイアだったが、翌年はラリーに完全転向した。
2010年はシトロエンのジュニア・チームからシトロエンC4 WRCでシリーズに参戦した。その時のチームメイトは、当時シトロエンの育成ドライバーだったセバスチャン・オジエだった。後年、通算8回のWRCタイトルを獲得することになるフランス人はシーズン中盤でWRC初優勝を飾り、その後1軍チームにステップアップしてしまったが。
ライコネンは、WRカー参戦4戦目の『ラリー・トルコ』で総合5位フィニッシュを果たす。とてもうれしそうな姿が印象的だったが、結果的にそれが彼のWRCでのベストリザルトになった。また、その年ライコネンは札幌開催のラリージャパンにも出場したため、実際に彼の走りを見たファンも少なくないだろう。
■“音声情報に頼る”ペースノート走行を完全にはマスターできず
2011年は自身のチーム、ICE 1レーシングからシトロエンDS3 WRCで参戦。予算の関係もあってフル出場は叶わず、ベストリザルトはヨルダンとドイツでの総合6位だった。そして、ライコネンはラリーに限界を感じたのか、モチベーションを失ってしまったのか、2011年を最後にWRCを離れ、ふたたびF1の世界へと戻っていった。
WRCでのライコネンのスピードは、瞬間的にトップに迫るものがあった。それでもF1でのような結果を残せなかったのは、もちろん経験不足が最大の理由であるが、ペースノート走行を完全にはマスターできなかったことも大きい。
レッキでのペースノート作り、その情報を音声で聞きながらの走行になかなか慣れず、どうしても有視界走行になりやすかったと、当時コドライバーだったカイ・リンドストロームは言う。彼は元トミ・マキネンのコドライバーであり、現在はトヨタでスポーティングディレクターを務めるベテランだ。
経験を積むごとにペースノート走行のスキルは上がっていったようだが、それでもWRCトップドライバーの域には達しなかった。とはいえ、走りのセンスはやはり素晴らしかっただけに、F1を引退した今、ふたたびラリーにチャレンジして欲しいものだ。