ロシアのウクライナ侵略開始から約1週間後の3月1日、トヨタ自動車が、取引先部品メーカーの工場がサイバー攻撃を受けたことから全工場で生産を停止して衝撃を与えた。今回の攻撃とウクライナ情勢との関連は不明だが、図らずも日本社会が「経済安全保障」の“実戦”を経験したことで、企業側がより切実に備えをすることが求められる段階になった。
ここまで我が国の経済安保で想定されている主要相手国は中国だが、中国側の技術レベルや社会の仕組み、あるいは「軍民融合」などの国家戦略を理解せずして、正しい対処はできない。
国内のシンクタンク等を経てCISTEC(一般財団法人 安全保障貿易情報センター)に在籍し、長年にわたり中国のデュアルユース(軍民両用)技術等に関する研究・情報収集を行ってきた風間武彦さん(株式会社 産政総合研究機構代表)にお話をうかがった。
規制対象が「物体」から「情報」へ
――長年、対中輸出管理に関する調査分析に携わられてきた立場から見て、昨今の「経済安全保障」意識の高まりをどうご覧になっていますか。
【風間】輸出管理に関しては、かつてはCOCOM(対共産圏輸出統制委員会)という枠組みがあり、共産主義国に対する戦略物資・技術の輸出を規制しようという国際的な取り組みがありました。
その後、COCOMが解散してからはワッセナーアレンジメントなどの国際輸出管理レジームによって、通常兵器や軍事転用可能なデュアルユース品や技術をテロリストや懸念国等へ渡さないための輸出管理を行ってきました。この輸出管理というのはあくまでも、日本から輸出した物資や技術が中国をはじめとする懸念国で軍事転用され、日本を含む国際社会の安全保障が脅かされるのを防ごうという文脈でした。
しかし中国が台頭し、その経済力をも武器にして他国に圧力をかけるようになり、中国へヒト・モノ・カネ・情報を出す場合、あるいは中国からこれらを入れる場合、それぞれについて安全保障上のリスクが高まってきたという現状があります。さらには米中対立が激化してアメリカが対中リスクを回避すべく対中政策を大きく転換し始めたことが、この「経済安全保障」への注目に繋がっています。
「経済安全保障」という考え方は以前からあり、例えば同志社大学の村山裕三先生は1996年に『アメリカの経済安全保障戦略』(PHP研究所)という本をお書きになっています。「経済安全保障」は、論者によって様々な意味で使用されていますが、最低限の共通項として、「安全保障の構成要素である、目標、脅威、手段のいずれかに経済的な要素が入り込んだ場合、これを経済安全保障と呼ぶのが一般的である」とされています。
私が携わってきたのはあくまでも「経済安全保障」の中の一分野で、「日本からヒト・モノ・カネ・情報を出す際に、懸念国、特に中国が軍事転用する可能性はあるか」について情報収集や分析を行ってきました。
日本の規制はこれまで、「具体的なモノ」に対する規制は厳格に実施されてきたと思います。これからは情報、技術や頭脳という「目に見えないもの」に対して、より強力かつ厳格に規制しなければならない状況になっています。
経済安保の「グレーゾーン」とは?
――「目に見えないもの」が規制対象となると、徹底は相当難しいのではないですか。
【風間】モノや技術に関しては外為法で輸出管理対象品目や役務(技術)が定められており、これ自体は国際的な輸出管理レジームで話し合われたものを、国内法に落とし込んで運用しています。
企業からすれば明確な基準がある方が対処しやすいというのが実際のところでしょう。「こういう仕様のものは、これらの仕向地に出す場合はちゃんと許可を取ってくださいね」と法令が出ていれば、企業はそれに従えばいい。むしろ、企業が困っているのは、一つは輸出許可を申請しても許可がなかなか下りないケースが少なくないこと。もう一つはグレーゾーンが存在することです。
軍事転用や安全保障環境に危機を及ぼすものに関しては、どうしてもグレーゾーンが存在します。「輸出しようとする製品は輸出規制対象品ではないが、直接・間接的に軍事利用される懸念がある場合はどうするのか。懸念される軍事転用の範囲はどこまでなのか」、「軍需品と民生品の両方を生産していたり、軍事関連企業と資本関係がある企業の場合の輸出の可否はどのように判断するのか」といった不確かなケースの場合、企業は頭を悩ませることになります。企業によっては自主管理という名の下で自ら線を引いていますが、そうでない場合、明確なガイドラインも存在しないので、文字通りグレーになっている。
輸出の可否が分からない場合、私のようなコンサルタントや、輸出管理情報の提供や相談を行っているCISTEC(一般財団法人「安全保障貿易情報センター」)などに相談して対応する企業もありますが、一方で「相談して『念のためやめておきましょう』となれば経済機会を失う」ことになりますから、「ならば相談しないほうがいい」となる企業もなくはないようです。この辺りのさじ加減は非常に難しいところです。
場合によっては、合法的に輸出したものが輸出先で軍事転用されるケースもありますから。
「軍事転用」報道で生じる民間企業リスク
――その場合、企業責任というのはどうなるのでしょうか。
【風間】合法的に輸出した場合は本来、企業側に責任はないのですが、単に「某社が輸出した製品が某懸念国で軍事転用された」と大々的に報じられてしまうと、企業イメージが著しく低下するリスクもあります。
実際、海外で日本の製品が軍事転用されたという事例は時折、報じられてはいました。例えば10年ほど前には、日本製の電子部品が中国の地対空ミサイルに組み込まれていた件が報じられています。当時、日本ではほとんど話題になりませんでしたが、今ならもっと騒ぎになるでしょう。
――「相手が民間企業だと思って輸出したら、軍事企業だった」というケースもあるのでしょうか。いわゆる中国の「軍民融合」は、近年注目されるところですが。
【風間】もちろんそういうケースはあるのですが、中国の「軍民融合」については少し説明が必要です。
メディアでは「中国の軍事企業が、民間企業のふりをして海外のヒト・モノ・カネ・情報を集め、軍事転用している」とか「先端技術の軍事利用を図る」面ばかりがクローズアップされがちです。アメリカのシンクタンクなどでも「民間企業のふりをした軍事企業に気をつけろ」とか「軍民融合を掲げている企業との取引は注意」と警告している事例があります。確かにそれが警戒すべき部分ではありますが、あくまでも一側面にすぎません。
「軍民融合」とは、実際には「中国国内にあるヒト・モノ・カネ・情報・資源その他すべてを、軍民の垣根なく、さらには企業と大学などの垣根もなく共有して、中国の国益のために最大限利用する」ことを指します。その際の「国益」は、軍事はもちろん、経済、教育あらゆる面での利益が含まれます。
もともと中国は、軍事産業と民間企業の間に非常に高い壁があり、双方の交流が全くありませんでした。しかしそれでは非効率だということで、当初は軍事技術の民生転用から始めたのです。軍事産業が持っている技術を民生転用し、民生品を作ることで売り上げが立てば、新しい軍需品の研究開発費を捻出できる。そこでできた軍需品を、さらに民間で転用する。いい循環ができるので、国が積極的に奨励しました。
幅広い概念を持つ「軍民融合」
――なるほど、一般的に取り上げられるのとは逆の、軍から民への流れが先にあったんですね。
【風間】はい。そうして民生転用が多くなっていく中で、情報通信機器などに関しては、新興の民間企業が軍関係の企業よりも成長してきました。また、欧米向けに輸出や共同開発などをするにしても、軍事企業相手では欧米等の取引先も消極的になりがちなので、ここでも民間が先行した。すると今度は民間企業にヒト・モノ・カネ・情報が集まってきたので、それを放っておく手はないから軍事利用しよう、というのがこの「軍民融合」の一側面です。
なお現在、「軍民融合」を掲げる中国企業のうち、軍需品のみを研究開発・生産する企業は少数派であり、軍需品と民生品あるいは民生品のみを研究開発・生産する企業が多数派となっている点にも注意が必要です。
ヒトで言えば、スパイ活動において「人民解放軍所属の軍人が海外の研究機関に所属し、情報を盗る」という事例が指摘されますが、一方で中国には「海外に出ている中国人を片っ端から使って、さまざまな情報やモノを中国に提供させる」ことも行っています。これも民間人と軍人の区別をしていない点で、やはり「軍民融合」です。
このように、「軍民融合」はかなり幅広い概念であることを踏まえたうえで「中国にどういうヒト・モノ・カネ・情報を出すべきではないか」を精査しなければなりません。それぞれの日本と中国の技術水準を的確に把握して厳格に管理することが、産官学それぞれの場面で必要になるでしょう。