2020年3月に、3代約30年の歴史に幕を閉じたトヨタのメガヒットミニバン「エスティマ」。だが、エスティマは登場当初からヒットしたわけではなく、初代エスティマの派生車「エミーナ」と「ルシーダ」の登場をきっかけに、人気車となることができた。
エスティマを人気車へと引き上げたエミーナ/ルシーダ。当時の時代背景とともに、エミーナ/ルシーダの魅力を振り返ろう。
文:吉川賢一
写真:TOYOTA
3ナンバー車であることがネックに
今では見慣れた流線形ボディのエスティマだが、初代エスティマは登場当時、珍しいボディスタイリングと、2.4リッター直列4気筒エンジンを横に75度寝かせてフロア下に収め平床化したミッドシップレイアウトなどによって、かなり注目度が高かった。
しかし、その注目度は販売台数に反映されることはなく、登場年である1990年の国内登録台数は15,671台、翌1991年も15,741台と、販売は不振。エスティマは主に北米市場向けの新世代ミニバンとして開発されていたことから、全幅1800mmの3ナンバー車としてデビューしたが、1990年当時の日本市場は、5ナンバー車が全盛の時代であり、3ナンバー車であるエスティマは、いろんな意味でハードルが高かったのだ。
そこでトヨタは急遽、国内市場向けとして5ナンバー車の規格までサイズダウンした、エスティマ エミーナ/エスティマ ルシーダを1992年に追加。2860mmのホイールベースはそのままに、前後のオーバーハングを合計60mmも切り詰めて全長を4690mmに、全幅も5ナンバーサイズの1690mmに。伸びやかなデザインはスポイルされてしまったが、最大の特徴である「ワンモーションフォルム」は維持されていた。
同時に大幅なコストダウンも行い、上級仕様のワングレード販売であったエスティマに対し、200万円を切る廉価仕様から、300万円を超えない豪華仕様まで、幅広いユーザー層を取り込むよう、作戦を変更。その結果、1993年は111,321台、1994年は107,715台、1995年は111,494台と、エスティマは10万台越えを連発、エスティマは「子エスティマ」たちによって、ヒットモデルへと引き上げられたのだ。
親エスティマにはないディーゼルターボの設定も大きなヒット要因
また、2.2Lディーゼルターボエンジン仕様が設定されたことも、エミーナ/ルシーダがヒットする大きな要因となった。エミーナ/ルシーダの2.4Lガソリンエンジン車(親エスティマと同じエンジン)は、ボディサイズが5ナンバー枠であっても、5ナンバー枠の条件である「排気量2000cc以下」を越えていたので、3ナンバー車であったが、ディーゼル車は、車両寸法のみでナンバーが決まるため、排気量が2.2Lでも「5ナンバー」を取得することができたのだ。「5ナンバーのサイズ」も重要だが、「5ナンバーが付く」ことも、大きな意味があった。
また、親エスティマには4速ATしかなかったが、初期のエミーナとルシーダには、5速MTも登場。こちらはフロアシフトであったため、ウォークスルーの邪魔になってしまっていた。
徹底したコストカットが行われたエミーナ/ルシーダは、同じ「エスティマ」とはいえ、グレードによっては、内外装はもとより足回りに至るまで、上級路線の親エスティマとはかなり違うものとなっていたが、それでも日本市場では大いに支持され、2000年1月、2代目エスティマへ統合される形でその役割を全うした。
北米では一代限りで消滅
前述したように、北米向けとして開発された初代エスティマだが、実は日本のみならず北米でも販売は振るわず、エスティマは北米では初代モデルのみで消滅している。フロア下に2.4Lガソリンエンジンを寝かせて搭載したパッケージングでは、アメリカ人好みのパワフルなV型エンジンを搭載することができずに「力不足」と評価されてしまい、サイズも全幅1800mmあってもアメリカ人には狭かったようだ。
この初代エスティマ(※北米名プレビア)の実質的な後継車として、V6エンジンとより大きなボディを持った「シエナ(1997年~)」がいま、トヨタの北米ミニバンの主力となっている。シエナは、現在4代目。ハイブリッド車となり、全幅1990mm、全長5200mmのラージミニバンとして販売が継続されている。
エスティマブランドを引き上げた孝行姉妹エミーナ/ルシーダ。この子エスティマたちがいなければ、エスティマは日本でも「奇抜」なだけで終わってしまっていただろう。なにがなんでもヒットモデルへと導くという、トヨタの粘り勝ちとなったモデルでもあった。
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