局地戦「雷電」が初飛行した日-1942.3.20 追求した高速&上昇力 B-29相手に勇戦奮闘

1942年の今日、旧日本海軍の局地戦闘機「雷電」が初飛行しました。敵機を迎撃するべく開発され、高速かつ優れた上昇能力を追求しました。試行錯誤を経て、戦争末期には本土に襲来するB-29とも格闘し、撃墜の戦果もあげています。

ウクライナの「根こそぎ動員」兵士の数はMAXどこまで増やせるか 大戦中の日本は?

2月24日から始まったロシアによるウクライナ侵略。これに対し同国は「国民総動員令」を発令し、18~60歳男性の出国を禁止しました。これによりウクライナ軍は、どれだけの国民を兵士として動員できるのか検証します。

実は世界一の雷撃力? 重巡「伊吹」の超スペック 空母化も遅れ大戦に全く寄与せず

「伊吹」は、重巡洋艦として計画・起工したものの、途中で空母に改装された挙句、終戦までに就役しなかった未成艦です。ただ、細かく見ると同艦は重巡としても空母としても、見るべき特徴を持った軍艦でした。

隠れ重巡、のちに航空巡洋艦へ 1934.3.14「最上」進水 没後75年に海底で発見

旧日本海軍の重巡洋艦「最上」が1934年の今日、進水しました。ただし対外的には「軽巡洋艦」。決して大きくない船体には、主砲などがいくつも搭載されました。後に航空巡洋艦となりますが、不運に見舞われた艦でもありました。

自慢の重装甲だったはず!? 旧海軍期待の新鋭艦 空母「大鳳」竣工-1944.3.7

旧日本海軍の空母「大鳳」が1944年の今日、竣工しました。飛行甲板や艦底などの防御力を強化した最新鋭艦は、戦局が悪化するなか期待の新星としてデビュー。しかしそのルーキー、一度も性能を発揮せず最期を迎えることになります。

姉妹艦なき軽巡洋艦「夕張」進水-1923.3.5 世界を驚かせた技術は後輩艦へ

旧日本海軍の軽巡洋艦「夕張」が1923年の今日、進水しました。「夕張」は船体や機関などは駆逐艦級でしたが、性能は軽巡洋艦として十二分。同型艦は造られませんでしたが、培われた技術は新型艦の開発に受け継がれています。

駆逐艦「涼月」進水-1942.3.4 戦艦「大和」の水上特攻にも参加 奇跡の生還で同型最長寿

旧日本海軍の駆逐艦「涼月」が1942年の今日、進水しました。護衛任務に従事するなかで、アメリカ潜水艦から2度も雷撃を受けますが辛うじて帰投。戦艦「大和」とともに沖縄作戦にも参加しますが、満身創痍で生還を果たします。

旧日本軍の“最強”水上機「瑞雲」偵察・爆撃・空中戦… なぜ機能をてんこ盛りに?

太平洋戦争直前、旧日本海軍は空戦性能良好で急降下爆撃や弾着観測も可能、航続距離は長大という異例の汎用機を発注します。こうして生まれたのが水上偵察機「瑞雲」ですが、なぜこんな機体が要求されたのか見てみます。

WW2最大最強の空母「信濃」どう使うつもりだった? 大和型の3番艦が装甲の塊になるまで

戦艦ではなく空母として進水した大和型戦艦の3番艦「信濃」。「大和」譲りの強力な装甲を装備した不沈空母として旧日本海軍は使う予定だったようですが、完成前に沈められています。一体どんな運用を行う予定だったのでしょうか。

奇抜すぎる「軍艦の迷彩」何のため? 大戦中のシマシマ 幾何学模様…陸とは発想が違う

二度の世界大戦で、軍艦や輸送船は潜水艦の魚雷をかわすため、船体に奇抜な迷彩塗装を施していました。周囲の風景に溶け込ませる陸上兵器の迷彩とは、そもそも発想が異なる当時の軍艦の迷彩を紹介します。