1991年4月のミハイル・ゴルバチョフソ連大統領の初訪日前に行なわれた海部俊樹首相(当日)と橋本龍太郎大蔵相の極秘の会談を受け、日本政府の巨額支援というお土産を持って自民党の小沢一郎幹事長(当時)はモスクワに入った。同3
領土返還交渉:歴史を動かした海部首相のゴルバチョフへの「にらみ」
1991年4月16日。ソ連の首脳として初来日したミハイル・ゴルバチョフ大統領と海部俊樹首相との首脳交渉を支えたのが「ミスター北方領土」の異名を取り、安全保障問題研究会主宰者として北方領土返還運動に尽力してきた末次一郎氏(
北方領土返還、海部首相はゴルバチョフにあと一歩までどう迫ったのか
1989年から2年余りにわたって総理大臣を務めた海部俊樹氏が老衰のため1月9日に逝去した。享年91。湾岸戦争の勃発で本格的な自衛隊の海外派遣を決断するなど平成史に足跡を残したが、首相在任中の出来事で同様に歴史に刻まれるの