最も美しいスパイダーの五重奏。
イタリアでは、オープン2シーターで色気のある車を総称してスパイダーと呼ぶ。ここでは、最も安いもので12,000ユーロ(約158万円)から手に入る、5台のコンバーチブルの名作をご紹介。伝説のコンセプトなどを紹介しよう。
イタリアからやってきたオープン2シーターのメロディアスでセクシーな表現、それが「スパイダー」だ。
この5台の名車はこの伝説的なコンセプトを完璧に体現している。
「スパイダー」は、1950年代に大流行したドルチェビータだ。
※ドルチェビータはイタリア語で「甘い生活」という意味で、フェデリコ フェリー監督の大ヒット映画。
それ以来、イタリアの多くのメーカーが、このようなエレガントなオープン2シーターをモデルラインナップに投入した。
このようなモデルはメーカーにとって、イメージ的にも良いし、大きなコンバーチブルはお洒落じゃないと考える顧客には最適だった。
今回集まったアルファロメオ2台、フィアット2台、マセラティ1台という、まったく異なる5台のスパイダーには、それぞれが豊かな個性を備えていた。
どれも今となってはそれほど高価なものではなく、金額に見合った走りの楽しさを提供してくれる。
小型でスポーティなフィアット850スポーツ スパイダー
比類なき5人組の中で最も小さいのが「フィアット850スポーツ スパイダー」だ。
1965年、ベルトーネは前年に発売した量産型「850」シリーズに、オープン2シーターのモデルを作り、ラインナップ入りさせた。
「スパイダー」はトリノ近郊のグルグリアスコで製造された。
大径ホイールはディスクブレーキ(少なくともフロント)を可能にし、60年代半ばには安全性を高めるだけでなく、尊敬の念を呼ぶようにまでなった。
1968年には、より大型でパワフルなエンジンを搭載した「スポーツ スパイダー」が登場、最高出力は49馬力から52馬力、最高速度は145km/hから152km/hと、小さな差だが、当時はこの小さな差が大きな意味を持った。
ベルトーネは、オープントップをカバーで覆い、エンジンが後ろにあることを外から見えないようにしたのである。
その精神は、「フェラーリ カリフォルニア スパイダー」のようなビッグスポーツカーに通じるものがある。

大林晃平: 本来2シーターのオープンカーというのはこれぐらいの大きさと軽さであってほしい、という理想のような2シーター。可愛いボディデザイン、とにかく身軽な大きさと、驚くほどの軽さ(735kg、というのがメーカー発表の数値である)。これだけ軽ければ、パワーも複雑なサスペンション機構も、ハイテク電子デバイスももちろん不要。絶対的な性能が車の魅力ではまったくない、ということの証明がこの「850スパイダー」である。
アルファロメオ2000スパイダー ファストバック:
1966年、「アルファロメオ スパイダー」と「フィアット124」が同時に人気セグメントに参入し、特にアメリカで最高のビジネスでの成功をもたらした。
実際、両車とも輸出数は巨大であった。
それ以来、2本のオーバーヘッドカムシャフトによる高回転型エンジンと、標準的な5速トランスミッションで競われるようになった。
「フィアット スパイダー」だけが、よりスポーティで高価なアルファの僚友の影に隠れて、1970年代を走り抜けた。
むろん、「アルファロメオ スパイダー」の方が、パワーがあり、また、大きなネームバリューを誇っていた。
現在でも、アルファ製2リッターのファストバックは最高級モデルとして君臨している。
美しく、強く、セクシーであるとされ、その価格がまだ完全に高騰していないのは、ひとえにその大成功によって、今日まで十分な数の個体が市場に残っているからに他ならない。

大林晃平: アルファロメオの中で、おそらく一番有名で、だれもが頭に浮かぶ2シーターオープンカーがこれ。かなり長期にわたって生産され、最終的には27年間、改良やマイナーチェンジを繰り返しながら生き続けた。日本にも、伊藤忠商事を通じて、かなりの台数が輸入されたし、最終的には3ATモデルも追加されたため、女性にも人気が高い。もちろん今では立派なクラシックカーなので、絶対的な性能をどうのこうのと言う自動車ではまったくないが、おそらく永遠にアルファロメオの代表作として生き延びることは間違いない。
ピニンファリーナ スパイダーヨーロッパ ヴォルメックス:
「フィアット124スパイダー」は、アルファロメオ2000のイメージには到底及ばない。
ただし、当時も今も稀に見る例外がある。
「ヴォルメックス」だ。
ピニンファリーナは、そのキャリアを終える2年前の1983年に、チューナーのアバルトと協力して、ルーツスーパーチャージャーで過給したバージョンを世に送り出した。
ナンバー付きの500台は、同時代の「アルファ スパイダー」よりも一段とパワフルだった(128馬力ではなく135馬力)。
むろん、別にアルフィスタたちが一人としてこれで引け目を感じたわけではない。
しかし、フィアットファンは、マーケティングに誘導された名称変更にもかかわらず、このようなバックアップを高く評価し、誰もがピニンファリーナの「ヴォルメックス」を真剣に受け止めた。

大林晃平: わが国でも意外と見かけた記憶の多い「フィアット124スパイダー」、そのなかでも希少なのが、このスーパーチャージャーを搭載したモデルである。さすがにこういうチューニングを施すと本来の軽快で軽い感じの「フィアット124スパイダー」の性格からは若干外れてしまうし、こういう性能を求めるクルマだとも思えないが、そこはイタリア、やはり速くなくてはいけないという要求もあったのだと思う。モデル末期にそっと追加されたスーパーチャージャーモデル、さすがにパーツなどは不安だが、見かけたら勢いで購入してしまう、そんな人の気持ちもよくわかる。
アルファロメオ2000スパイダー ツーリング:
また、1クラス上のエポックメイキングなドリームカーもあった。
例えば、1957年以降、アルファロメオ2000スパイダーは、カルロ フェリーチェ ビアンキ アンダーローニが優れた設計を行い、カロッツェリア トゥーリングのミラノの小さな工場で、特許取得の「スーパーレッジェーラ」軽量構造原理に従って生産された。
この逸品の価格は高かった。
アルファの商業的成功には高すぎたのだ。
「トゥーリング スパイダー」も、特にスポーティというわけではない。
しかし、エレガントなアルファの2シーターは、やはりクルージングに最適だ。

大林晃平: 本当に美しい本物のアルファロメオはどういうのか、と聞かれたらそれはこの「2000スパイダー」というのが正当な解答であろう。特この写真のような、シックで美しいボディカラーを身にまとうと、イタリア人の考える大人のための自動車とはこういうものなのだろうと、つくづく思う。この後に出てくる「アルファロメオ スパーダ―」も、歴史上アルファロメオらしい2シーターではあると思うが、個人的に、より魅力を感じるのはこちらだし、今のイタリア車に欠けているファクターが全部詰まっているとも思う。
マセラティ ザガート ビトゥルボ スパイダー
同じくミラノ近郊に拠点を置くザガートは、マセラティのためにまったく異なる方法でスパイダーのアイデアを実現した。
1984年、クーペのシャシーを短縮して作られたスパイダーは、「ビトゥルボ」のオープン2シーターバージョンで、レザーやダッシュボードの時計はバールウッドで作られていた。
また、最高出力250馬力のV6ツインターボエンジンは、国際的にも高い競争力を持つ圧倒的なパフォーマンスを実現した。

大林晃平: 世界中で一番トラブル多いクルマってなんだ?という「なぞなぞクイズ」があったら、その一つがこの時代のマセラティではないだろうか。この「ビトゥルボ」時代のマセラティこそ、もっとも信頼性に欠け、維持するのに努力を要する自動車(いささかの偏見をこめてかもしれないが、まったく間違っているとも思えない)だと感じている。
だが、それでもこの時代のマセラティ、僕は大好きである。ミッソーニの内装の「430」も、怪しい魅力満載の「クアトロポルテ」も、色っぽい革とウッドの使い方の極致ともいえる内装も、この時代のマセラティならでは、だ。この「スパイダー」も所有したらきっとものすごく大変だろう。でもそんなことを気にするクルマではないし、そもそもそういう人など、はなっから相手にしないのもこの時代のマセラティなのである。
マーケット状況: 最も美しいスパイダー五人組





コンディション2: 13,600ユーロ(約180万円)
コンディション3: 11,900ユーロ(約157万円)






コンディション2: 19,000ユーロ(約250万円)
コンディション3: 13,600ユーロ(約180万円)









アルファ2000スパイダー(トゥーリング)中古車価格:
コンディション2: 61,700ユーロ(約815万円)
コンディション3: 13,600ユーロ(約180万円)








コンディション2: 22,900ユーロ(約302万円)
コンディション3: 13,000ユーロ(約172万円)

結論:
フォールディングルーフと狭いスペースを除けば、これら5台のスパイダーにはほとんど何の共通点もないのだが、いずれも特別な、いかにもイタリアらしい自動車の形式を表している。
デザイナーやプロデューサーは、現在でもその名前が魅力的に聞こえる著名なボディスペシャリストたちだ。
ベルトーネ、ピニンファリーナ、トゥーリング、ザガート。
そして、大手メーカーとともに、そのスタイルと品格で、今日もなお人々を魅了し続けている。
Text: Andreas Borchmann
加筆: 大林晃平
Photo: Christian Bittmann