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 「伝説の名車」と呼ばれるクルマがある。時の流れとともに、その真の姿は徐々に曖昧になり、靄(もや)がかかって実像が見えにくくなる。ゆえに伝説は、より伝説と化していく。

 そんな伝説の名車の真実と、現在のありようを明らかにしていくのが、この連載の目的だ。ベテラン自動車評論家の清水草一が、往時の体験を振り返りながら、その魅力を語る。

文/清水草一
写真/三菱

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■ラリーアート復活で思い出す骨太スポーツ

 2021年、三菱自動車は、「ラリーアート」ブランドの復活を発表し、その第1弾として、ピックアップトラックのトライトンとパジェロスポーツに特別仕様車を設定。タイのモーターショーに出品した。

「トライントンとパジェロスポーツなのか……」

 日本のクルマ好きとしてはやや拍子抜けだが、得意のアジア市場を重視する三菱の姿勢は理解できる。

 我々が「ラリーアート」という名前を聞いて真っ先に思い浮かべるのは、ランエボやパジェロだ。ただ、中高年の三菱ファンなら、スタリオンの名前が出てくるかもしれない。

1982年に発売された2+2座の3ドアスポーツクーペ。駆動方式はFRで5速MTと4速ATを選べた

 スタリオン。「ヘラクレスの愛馬、アリオンが今、星になって帰ってきた!」と謳われたスタリオン。いま思えばあれば、いかにも三菱らしい、骨太なスポーツカーだった。そして、意外な(?)名車だった。

 スタリオンが登場したのは、1982年。ギャランΣ(シグマ)をベースにクーペ化されたそのクルマは、分厚いノーズの先端の折れ曲がった部分に、リトラクタブルヘッドライトを装備。ボンネットには三菱車らしいエアインテークが口を開けていた。

 ただ、全体にボディが分厚く、「でぶっちょ」な印象は拭えなかった。当時、免許を取って間もないクルマ好きだった自分にとって、スタリオンのデザインは、初代ソアラ(1981年発表)のスマートなフォルムと比べると、「流行を追っただけのヤッツケ仕事」に見えた。

 80年代に入って国産車は、スーパーカーブーム当時(1976年~1977年)、スーパーカーライトとも呼ばれたリトラクタブルヘッドライトを盛んに採用するようになっていた。「リトラさえ付ければ若者にウケる」的なところがあり、最終的にはカローラIIにまで採用された。

 同じ1982年に登場した2代目プレリュードも、リトラクタブルヘッドライトを採用していたが、こちらはノーズが恐ろしいほど薄くてスマート。元祖デートカーとしてブームを巻き起こすだけのカッコよさがあった。

 それと比べるとスタリオンは、重機にリトラを付けたように見えたし、どこかオモチャっぽくもあり、その後「元祖ガンダムデザイン」とも呼ばれた。当時初代ソアラに心酔していた自分は、スタリオンをあからさまに見下した記憶がある。

■映画での勇姿とラリーでの活躍

 が、ソアラと違ってスタリオンは、海外に輸出されていた。当時三菱と提携関係にあったクライスラーから、「コンクエスト」の名前で販売もされていた国際派だったのだ。そしてハリウッドのB級大作『キャノンボール2』(1984年公開)に、日本車として唯一起用され、ジャッキー・チェン(日本人役)が乗って、カウンタックやコルベットと戦ったのである!

 私は日本代表・スタリオンの活躍が見たくて、わざわざ映画館まで足を運んだ。カウンタックやコルベットにはまったく興味はなく、ただスタリオンだけが見たかった。

 映画の中のスタリオンは、脇役ながら、コンピュータで武装した日本製ハイテクマシンという、いかにも当時のステレオタイプな描き方をされていて、私は嬉しさと恥ずかしさでいっぱいになった。そして、スタリオンが映画の前半でリタイヤを喫して消えたのを、悔しく思ったものだ。

 国内ではヒットモデルにならなかったスタリオンだが、海外市場で比較的好評だったこともあり、三菱のフラッグシップモデルとして長命を保った。日本車として始めてターボに空冷インタークラーを装着し、最後は2.6Lターボまで搭載して、1990年まで存続した。

 モータースポーツでも活躍した。レースでは、グループAカテゴリーを中心に活動し、1985年の富士インターTECでは、中谷明彦/高橋国光組のスタリオンが大奮闘。その後も中谷氏はスタリオンを「すごいクルマだった」と、高く評価し続けたものである。

「スタリオン4WDラリー」としてラリーにも参戦。フラッグシップらしい活躍を見せた

 ラリーは三菱の得意種目だけに、三菱は発売翌年には早くも、「スタリオン4WDラリー」を発表した。それまで市販モデルのスタリオンは後輪駆動のみだったが、それをビスカスカップリングで4WD化。ラリーに邪魔なロングノーズは切り落とされ、リトラは丸形4灯に。その顔つきは、市販モデルよりもはるかに精悍だった。

 結局4WDモデルは市販化されず、ラリーへの本格参戦はかなわなかったが、いくつかの海外ラリーに出場して三菱のスポーツ4WD技術開発の基礎を作り、その後のギャランやランサーのWRC大活躍へとつなげたのである。

■試乗して骨太な走りを実感!

 そんなスタリオンに私が初めて乗ることができたのは、発売から30年近くを経てからのことだった。乗ったのは、後期型の2.6Lターボ。「2600GSR-VR」の4速AT仕様である。グレード名からして、なんともガンダム的で三菱らしい。

 インテリアは、昭和末期を飾るにふさわしく、愕然とするような直線だらけのテクノ調だった。まさに元祖ガンダム系のテイストに、取材スタッフは皆「すごいなあ、すごいなあ」と、感動して笑った。

 いよいよ試乗だ。私は生涯初めてスタリオンのステアリングを握り、Dレンジで発進した。

 それは、新鮮な驚きだった。わずか175馬力の2.6Lターボは、トルクフルで十分速い。ボディも意外なほどしっかりしており、なによりもハンドリングがいい。このステアリングの精度やレスポンスの良さはなんだろう。20年前(試乗当時)のクルマとは思えない。

 ああ、このクルマは、実に一生懸命作られている。三菱は今も昔も、骨太な技術で勝負するメーカーなのだ……。スタリオンのトライは、全面的に成功したわけではないけれど、しかしこのクルマには、人の心を打つ愚直さがある。そして、さまざまな実績を残した名車なのだ。

残念ながら車名を継ぐモデルがないまま1990年で販売終了となったが、同年、GTOがデビューしている

 現在、スタリオンの流通台数は全国で数台になっている。その多くが、後期型の2.6Lターボモデル。相場は200万円台から300万円台に集中している。

 現在、スタリオンが目の前に登場すれば、クルマ好きなら歓声を上げずにはいられないはずだ。そのどこか子どもっぽい元祖ガンダムデザインは、40年を経た今見れば、長嶋茂雄の豪快な三振のように見えるのではないだろうか。オーナーには必ずや、尊敬の眼差しが注がれることだろう。

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投稿 長嶋茂雄の豪快な三振の如く―― 三菱スタリオンの魅力と知られざる真実自動車情報誌「ベストカー」 に最初に表示されました。