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【編集部より】眞子さん、小室圭さんの結婚でヒートアップした世論の矛先が、15歳の少年、悠仁さまにも向けられています。眞子さんや小室さんには度々苦言を呈してきた八幡和郎さんですが、緊急寄稿では、独自に得た情報も交えながらバッシングをする人たちに物申します。

筑波大附属高校合格が決まった悠仁さまと秋篠宮さま(宮内庁サイト)

悠仁さまの筑波大附属高校受験に対する異常なバッシングは理解に苦しむ。皇室批判ですらなく15歳の少年への深刻な人権侵害だ。

眞子さんに対する批判を「気の毒に」と感じた人もいただろうが、冷静に考えれば、婚約問題が出たときには25歳でおられ、すでに公務に就かれ、ほかの職場にも通われ、海外留学までされていたのだから、世間知らずの子ども扱いするのは、立派な成年皇族であり一人前の女性に対する眞子さまにむしろ失礼だと思った。

あるいは、すでに成年皇族でおられる愛子さまが、これまですべての皇族がやってこられた通過儀礼としての記者会見を多忙を理由に延期されたり、大学に通学されていないことなどは、普通にその是非について議論されるべきなのだと思う。

それに対して、悠仁さまは15歳の中学生である。さらに、作文コンクール問題に至っては、14歳のときのことである。しかも、丸写しでもなく、大人だって「適切とはいえない引用」くらいにしかいわないような話だ。それなのに「悲しき盗用疑惑」というタイトルを広告に載せたり、正規の提携校制度による受験を「裏ルート」といったりするのは、一般の子どもに関する報道でも絶対に許されない人権問題であろう。

学習院に行かないことは「ないがしろ」か?

学習院大学(momoishi /Wikimedia CC0 1.0 Public Domain)

また、学習院に行かないことについて、「秋篠宮家『学習院をないがしろ暗躍の30年』」といった見出しを出した週刊誌もあるが、なぜ皇族が学習院を選ばなかったら「ないがしろ」(明らかにネガティブで強い批判を示す表現だ)にしたといって非難されなければならないのか理解に苦しむ。

ましてや、両親がOBであってよく事情はご存じだ。眞子様があまり良くないと思われてICUに進学され、佳子さまは退学してICUに行かれたくらいだから、選ばれなかったわけであるのだ(むしろ、学習院が皇族の学校として期待に応えていたら眞子様の「悲劇」もなかったから学習院にもあの事件の責任はあるともいえる)。

しかも、愛子様が昨年も1回も登校されていないという事態も、いくらリモートでの受講が可能だとは言え、「学生生活を楽しみたい」、「高校時代の友達とも会いたい」という環境でないと言われても仕方ない。そういう状況のもとで、悠仁さまが学習院を選ばれるのこそ普通は考えにくいのではないか。

また、佳子さまが通われていた学科では、第二外国語が中国語か韓国語しか選べないとか、社民党党首の福島瑞穂氏が女子大学の客員教授だったとか、「皇族のための学校」らしからぬ話もある。

学習院OBによる“意趣返し”説も

こうした異常な報道について、皇室も含む華族社会に詳しい事情通と話していたら、「今回のバッシングは、自然と湧き上がってきたと言うには不自然で、ある程度、組織的に動いている人(たち)がいるようにしか思えない」との意見だった。多少は穿ち気味かもしれないが、この人の次のような指摘は興味深い。

筑波大学附属高校の受験は、もちろん、お茶の水大付属の姉妹校みたいなものだから自然な話だが、美智子上皇后の父であった正田英三郎氏と日清製粉の後継者になった美智子上皇后の弟である正田修氏の母校というのも、秋篠宮殿下ご夫妻や悠仁さまの念頭にあったのであろう。逆に言うと、それが学習院OBなどからすると面白くない。ある意味で、美智子上皇后の結婚への反対の延長戦みたいなものだ

それが全部でもなかろうし、別に学校自体がそんなことするわけなかろうが、一部の心ない人が、マスコミやSNSで仕掛けている可能性はあるのかもしれない。

悠仁さま(宮内庁サイト)

ともかく、学習院に行かないことが批判の対象になるのは、どう考えてもおかしい。現状があまり皇族のために創設された学校らしくもない状況なのに、学習院なら入学や履修に特別扱いしても当然だが、ほかの学校なら皇族に対する配慮は許されないというのもおかしい(学習院も歴史的にはともかく現状においては特別の位置づけはない)。

他の受験生の親の意見として「(よそに行けるのに)わざわざこの学校を受けなくとも」「合格枠がひとつ減る」「悠仁さまが同級生となったら、警備の都合などで窮屈になる」「残念で仕方ありません」という同級生になるかもしれないほかの受験生に対してひどく常識に欠けた発言ひとつだけを取り出して報道するのも、要するに学習院を選ばなかったから許せないという気持ちがあってのこととしか受け取れないのである。

あまりにも前近代的な攻撃に唖然とするばかりだ。