大量の不発弾が見つかった倉敷ダムは、米国民政府の「琉球水道公社」が1961年2月に嘉手納弾薬庫地区に「瑞慶山ダム」として建設した。75年に県が刊行した「沖縄の米軍基地」には同地区について「いたるところに弾薬庫があり、弾薬の整備のための工場もある」と記述。
大量の不発弾が見つかった倉敷ダムは、米国民政府の「琉球水道公社」が1961年2月に嘉手納弾薬庫地区に「瑞慶山ダム」として建設した。75年に県が刊行した「沖縄の米軍基地」には同地区について「いたるところに弾薬庫があり、弾薬の整備のための工場もある」と記述。