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 今回の乗りバスレポートは西鉄バス北九州の「特快1番」だ。いつもは始発地のターミナルから乗車するが、一つ先の路上停留所から終点まで乗車した。

文/写真:古川智規(バスマガジン編集部)


西鉄バスあるある

 西鉄バスの都心部路上バス停は同じ停留所名で行先方向別に、あるいは同じ方向の路上に何本ものポールが立つ。そしてたいていはバス2台分の停車帯があるので、バスがいないときはポールを通り越して先頭に、詰まっているときには手前で降車扱いをする。

ポールのかなり先で乗降扱いをしているが2台分のバス停があり後続のバスが迫っているのでこうなる

 よってポールがあってもどこに停車するのかはその時になってみなければ分からず、バス停は「そのあたり一帯」となる。乗客もそれをわかっているので、長い「バス停の帯」で止まったバスに一目散に駆け寄る。これが福岡流のバスの乗り方だ。

 今回乗車した「特快1番」は、西鉄バス北九州の小倉営業所がある砂津停留所から出発し、鹿児島本線黒崎駅の横にある「西鉄黒崎バスセンター」までの約12km強を40分ほどで走る。

 この系統には大型車の他に、連節車も入るので経路がほぼ直線的なのが特徴だが、本来的には西鉄北九州線(路面電車)の代替路線1番が発展した形なので、あえて直線にしたわけでもなさそうだ。

 よって砂津から出るルートは旧電車通りだが小倉駅を経由してまた電車通りに戻ることはせず小倉駅は経由しない。その代わりに砂津の次は、小倉駅から徒歩でもそれほど遠くない小倉駅入口に停車する。今回はこの小倉駅入口から乗車した。

特快の停車は各停便の約半分

 各停便の「1番」は黒崎止めの便と折尾駅前まで行く便があるが、「特快1番」は全便が黒崎止まりだ。停車停留所は各停便の約半分と少ないが、連節車が入ることによる乗降時間の長さもあり、ダイヤ上の所要時間は大きくは違わない。それでも停車が少ないと時間が早く感じるのは不思議だ。

これだけ便があるがこれはごく一部

 連節車のメルセデスベンツ・シターロGがやってくると前述の通り、停車位置を見極めて乗客がドアに集まる。並ぼうにも停車する系統が多すぎ、また停車位置が確定的ではないために、「その辺」で待っている乗客が目的のバスに向かっていく。

駅前に停車するのは2駅だけ!

 特快1番がいわゆる「駅前」に停車するのは、西小倉駅前と西鉄黒崎バスセンターの2か所のみで、他は小倉駅入口、八幡駅入口第一と「入口」までしか行ってくれない。ただしそれが不便かと言われればそうでもなく、街の繁華街に近いのは「入口」の場合もある。

始発の砂津から1停目の小倉駅入口

 小倉駅入口を出た特快1番は、座席定員の半分くらいを乗せて小倉市街地に停車する。この間に座席の多くが埋まり、西小倉駅前から本格的な「特快運転」を始める。かつては西鉄が経営していた動物園兼遊園地の「到津(いとうづ)遊園」、現在の北九州市立の到津の森公園に停車する。

ハーモニー塗色のいとうづ号(荒生田付近)

 当地は西鉄とは深い関係のある地なのは到津遊園があったことからもわかるが、福岡と北九州を結ぶ高速バス「いとうづ号」の愛称は当地が由来だ。

電車の営業所からバスの営業所になり今はスーパー

 到津の森公園の向かい側には、かつて西鉄北九州線の到津営業所があり、停留場名も到津車庫前だった。電車の営業所が廃止され、跡地には西鉄バスの「遊園前バス営業所」が設置された。後にそれも廃止されると、跡地には西鉄系のスーパーマーケットであるスピナが入り現在に至る。

到津の森公園

 このあたりまでが小倉北区で、次の七条からは八幡東区に入る。日本有数の工業地帯を抱える八幡東区の平地はほぼ工場で、宅地や商業地はすぐに山が迫る地形だ。昔は工場に勤務する人々は職場に近いことから、高台に積極的に設けられた社宅や家に住んだ。

 そのため電車通りは工場にほど近い平地を走り、路面電車を降りた工員は家路を徒歩で登っていたようだ。今では西鉄バス北九州が路線を持つが、当時の工場勤務者たちも高齢化や転勤により乗客は少なく、それらの路線は概して苦労しているようだ。

黒崎へ行くには黒崎駅前ではない!

 八幡東区の商業地や八幡駅入口を通ると、シターロGは国道3号線に合流し、八幡西区に入る。八幡西区は急速に宅地開発が進み人口が増大した地域だ。現在でも北九州市の7行政区の中で人口はトップだ。やがて「黒崎駅前」に停車するが、黒崎駅に行くには終点の西鉄黒崎バスセンターで降りた方が駅直結で便利だ。

黒崎駅に行くには黒木駅前は最寄りではない!

 かつて黒崎駅前付近はバス便が非常に多く、バス停が不足するほどだったので、方向別に黒崎バスセンターの次の停留所をごく短距離の第一黒崎駅前・第二黒崎駅前を設置し、分散してさばいていた。

 当地はその名残で、通りに面する大きな建造物は百貨店や専門店街・スーパーマーケットが入っていた巨大商業施設で、駅直結で利用できたので、「駅前」を名乗ってもさほど不自然ではなかった。現在でも駅から近いことは近いが、直結のバスセンターに比べれば比較にならない。

黒崎バスセンターから回送していくシターロG

 そしてかつての北九州線の電車がそうしていたように、国道3号線を渡り西鉄黒崎バスセンターに入る。この場所は西鉄北九州線黒崎駅前電停のあった場所で、併用軌道と専用軌道の結節点だった。バスは当時の電車と同じように入線する。バスセンターで降車扱いをしたシターロGは、そのまま直進で回送していく。

黒崎の衰退とかつての長距離バス路線

 黒崎駅は国鉄末期やJR発足後まで九州第3位の乗降客数を誇り、筑豊線回りの寝台特急あかつきや、東京口ではあさかぜ1・4号、山陰線まわりの食堂車付き気動車特急である「まつかぜ」(後のいそかぜ)も停車していた一大ターミナルだった。バス路線も福岡や福岡空港行きの高速バス、小倉からひたすら一般道を走り、黒崎を経由して直方、飯塚、田川まで走る標準床トップドアの急行バスもあった。

かつての北九州線黒崎駅前電停があった場所に後々バスセンターが作られた

 またサンデン交通が単独で運行していた仙崎行きの長距離バスや、大阪行きのムーンライト号が経由してた時代もあり、非常ににぎやかだった。工業地帯の衰退と百貨店の閉店とともに賑わいは消え、かつてほどの人通りは今はない。

 それでもベッドタウンを抱える重要なターミナル駅なので、通勤・通学客は多く、北九州市第二の街として重要な位置を占める黒崎駅と西鉄黒崎バスセンターだ。特快1番は、そんな北九州と西鉄の栄枯盛衰の一部を垣間見ることができる路線のひとつだった。

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