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<p>メーガン・ジー・スタリオンが声を上げ続ける理由──「誰かに言われたことをやっていても、自分はハッピーになれない」。</p><p>「女性が強くなり、自分のために立ち上がることを、人々は好みません。私は何があっても自分の意見を曲げません。私はとても強く、一貫しています。私が模範にならなければならないのだとしたら、そうなりましょう」</p><p>メーガン・ジー・スタリオンはこの数年、かけがえのない肉親を相次いで失った悲しみに向き合い、プライベートを守りながら、世界的アーティストとして自らの政治的な立場を示すという高いハードルを自らに課してきた。影響力を持つ“声”をコミュニティのため、女性のために使う彼女に話を聞いた。</p><p>にも負けない豪華さで、チャートの頂点を極めた。また、全米で人気のファストフードチェーン、ポパイズと契約を結び、同チェーンの「ホッティ・ソース」にその名を刻んだ(最近ではフランチャイズ・オーナーにもなっている)。さらに『スポーツ・イラストレイテッド』誌の表紙を飾り、METガラへの出席を果たしたメーガンは、未発表曲と人気の高いフリースタイルを集めた『Somethingfor Thee Hotties』をドロップした。一方で、コロナ禍という時代の背景、そして祖母の希望もあって、「ホット・ガール・メグ」ことメーガンはテキサスサザン大学の2021年秋の卒業生として、保健管理学の学位が与えられた。プレーリー・ビューA&M大学で勉強を始めて以来、彼女はオンライン講義を利用し、熱心に勉学に励んできた。 2019年に実の母と曽祖母をわずか2週間の間に相次いで亡くし、続く2020年には当時の交際相手から足を銃で撃たれるという痛ましい事件の被害者となりながらも、メーガンがこれだけのことを成し遂げたという事実は、彼女が育った、女性たちの愛に包まれた世界の強さを示すものと言えるだろう。 自分を愛することを教えた亡き母、曽祖母、そして祖母。 2021年の第63回グラミー賞で最優秀新人賞に加え、ビヨンセをフィーチャーした「Savage Remix」で最 優秀ラップ・ソング賞と最優秀ラップ・パフォーマンス賞を受賞した。Photo: Kevin Mazur/Getty Images for The Recording Academy 異例ずくめの「ホット・ガール・サマー」も終わりを迎えた昨年9月の末、ロンドンでのパフォーマンスを終え、 デビューを果たしたばかりのメーガンと、Zoom経由のインタビューを行うことになった。画面に登場したメーガンは、自分の前髪をしきりに気にし、ラフな感じを出そうと苦心していた。新しいルックで、新しいヴァイヴを、というわけだ。ようやく納得のいくスタイルになったところで、インタビューが始まった。私は早速、せきを切ったように話し始めた。私がメンフィスの出身だと自己紹介すると、彼女は「ああ! 私たちみんな、メンフィスが大好き!」と彼女は応じた。この返事は、まるで自分のファーストネームを呼びかけられたかのように、私の心に温かく響いた。これはメーガンだけがもつ不思議な力で、その声を聞くだけで、自信が高まるのだ。彼女の曲を聴いていると、肉体的限界を無視するほどに体が動き出すのも、これが理由だ。 だがメーガン自身も、この力を意識的に身につけたわけではない。これは偉大なママたちから受け継いだものだ。祖母や亡くなった母、曽祖母は「自分を愛するようにと、常に私に教えてくれました」と、彼女は振り返る。「いつも私をベタ褒めしてくれました。本当にささいなことでも、(母たちは)『まあすごい、メーガン、よくこんなに上手に靴のひもを結べたわね!』って言うんです」 家とコミュニティの両方で、人助けは、彼女を育てた母たちにとっては欠かせないもの、生き方の一部だった。メーガンの曽祖母、“ビッグ・ママ”はコミュニティの助け合い精神を体現する存在で、これが彼女自身の姿勢にもつながっている。彼女が振り返る家族との思い出のシーンは、心にぐっとくる、懐かしい、いかにもアメリカ南部らしいものばかりだ。「ビッグ・ママの家の前を通ると、玄関先で人にお金を手渡したり、食べるものをあげたりしているのが目に入ったものです。どんなことにもアドバイスをしたがるし、みんなの事情を知っているんです」とメーガンは言い、最後のところでクスッと笑う。「いろいろな意味で、本当に人助けの精神に満ちていました」と彼女は振り返る。さらにメーガンの祖母にあたるビッグ・ママの娘も、特別支援教育に関わる教師で、職場と家庭の両方でケアを提供してきた。子どものころから、祖母と母が曽祖母の世話をしているのを見て育ったメーガンは、自分も支援を必要としている人の役に立ちたいという強い意欲を持っていた。そこにあったのは「私はどう役に立てるだろう? 私に何ができる?」という当事者意識だ。 成長するにつれ、彼女にもさらに事情が見えてきた。周囲の女性たちは数世代にわたり、介護、仕事、教育という複数の務めを負い、なんとか折り合いをつけながらベストを尽くしていたのだ。メーガンが大学に進学した際、当初は看護学を専攻科目に選んだのも、祖母の希望があったからだ。その後、一度は経営学を志したものの、本当に適性があると気づいた保健管理学に再び専攻を変えている。最終的に、保健管理学科では非常に優秀な成績をあげているという。「今はA評価ばかり。集中できているんです」と言うが、彼女が使うバインダーは、講義のノートと新曲のアイデアを書いたメモでかなり分厚くなっていた。 だが、この大学での学びの裏には、もう一段レベルの高い目的意識がある。介護の問題は、彼女が気づいたもうひとつの問題ともがっちり結びついているのだ。「私の同級生に多いのは……一緒に高校に通った子たちが、せっかく生物学などの学位を取っても、結局 フォーエバー21 の店で働いていたりするんです。どうしてそうなるかというと、経験がない人には誰も(学位を生かせるような)仕事を与えてくれないからです」。アーティストとしてどれだけ賞賛を受け、動画がネットで拡散されても、メーガンは労働市場で弱い立場に置かれがちな黒人女性たちに心を砕く。もちろん、ただ心配するだけでなく、彼女には具体的な計画もある。若者に経験と雇用を、そして高齢者には家族的なケアを提供する介護付き住宅をオープンするつもりなのだ。“ビッグ・ママ”は、こうしたケアを亡くなるまでメーガンや彼女の母親、祖母から受けていた。歴史的黒人大学を卒業した女性たちに対しては、「ぜひこの施設に来て、経験を得てほしい」とのメッセージを送りたいという。そして彼女たちの親や祖父母世代に対して提供するサービスについても、そのヴィジョンは明確だ。「複数の世代で、複数の世代のケアをする。そうすれば、施設に入った人も、まるで自分の家で家族と一緒にいるような感覚を味わえるはずです」 この介護施設のアイデアは、メーガンが子どものころに、キャンディ・ストライプ・アカデミーの女性教師たちから学んだことの具現化と言える。このアカデミーは1968年に始まった幼児教育プログラムで、創設者のジュディ・メイフィールド=スコットは、自身の幼い子どもたちに与えられた教育の選択肢に不満を覚え、自ら独自のプログラムを立ち上げている。「彼女が話すのを聞いて、私は『うん、私もこれくらい頭が良い人になりたい』という志を持ちました」とメーガンは振り返る。ジュディは「もっとうまくなりたいなら、誰とも違うことをしないといけません」と子どもたちに説いたことでも知られている。 ジュディの娘、ニッキー・メイフィールド=フレノイとジュディ・メイフィールド=ジャクソンは、母親の提唱したプログラムで学び、その後それぞれがアカデミーの教師やスタッフとなった。彼女たちにとっても、メーガンは意欲の高さで強い印象を残す子どもだった。「一番になりたいと願っていました。強い向上心があったのです」と、1年生の時にメーガンを受け持った、教師でダンスインストラクターのニッキー・メイフィールド=フレノイは振り返る。「この子には物書きの才能がある」と見抜いたニッキーは、メーガンが授業で書いた手紙を保管していたという。そこにはひとつ残らず、「愛をこめて、メーガン・ピート」との署名があった。「成長の過程で、彼女は自信が持てずに悩んだ時期もありました」とジュディ・メイフィールド=ジャクソンは振り返る。「それでも、お母さんや私たち、そしておばあさんの支えを受けて、自信をつけていきました。最初から自信満々だったわけではありません。成長の中でつかんだものなんです」。亡くなるまで彼女のマネージャーを務めていた母親のホリー・トーマスは、自らも「ホリー・ウッド」のステージネームで活躍するヒップホップ・アーティストだった。彼女は娘を言語表現、パフォーマンス、ビジネスの世界に導き、作品を最優先にする姿勢、スタジオでのふるまい方、プライベートと仕事を両立する方法など、現実的で役立つノウハウを授けた(メーガンの父親は、彼女が10代のころに亡くなっている)。さらに祖母は、メーガンが家で学校のいじめっ子について打ち明けたときに、「自分を守るべきだ」とのアドバイスをくれた。これで彼女は吹っ切れたという。 「以前の私は、誰にでもいい顔をする子でした。それは、みんなにハッピーになってほしいと、心から願っていたからです」とメーガンは振り返る。「私の周りに集まる人がみんないい気分になれるように、常に気を配っていました。大きくなるまで、親の言うことすべてに従い、親を喜ばせるように行動していました。学校でも、『この子たちが私をいじめるのをどうやったらやめさせられるだろう?』と考えるのが常でした。でも大人の入り口に立ったところで、わかってきたんです。ただ言いつけられたことをやっていても、自分はハッピーになれないということが」「私にはすべての人を満足させることはできないようだ、と悟りました。そこで、『じゃあ、自分が本当に好きなものって何?』と考え始めたんです。私はひとりっ子だったので、誰にも邪魔されずに考える時間はたくさんありました。一日中、『さあ何をする、メーガン?』と語りかけていました。そうして、自分が心から楽しめるのは音楽を作ること、物語を綴ることだという結論にたどり着きました。そこから、自分のための人生を生き始めたんです」 この貴重な自問自答の時間を経て、2013年にメーガンはプレーリー・ビューA&M大学に進学する。ここで彼女はメーガン・ジー・スタリオンとして生まれ変わる。自らが望む扱いを受けるために、大胆なイメージチェンジに乗り出したのだ。「私が与える印象によって、人の扱いも変わってきます」と彼女は言う。「私がリスペクトされるとしたら、それは私がそう要求したからです。自信満々の態度を示せば、相手もこちらを尊重せざるを得なくなります」 こうして自信をつけたメーガンは、アグレッシブにアメリカ人の意識に斬り込み、すべての黒人女性が無視されることなく敬意を払われ、声を聞かれ、守られるべきだと訴えてきた。「今の私は、どこにでも行けますし、自分がやりたいことを何でもできます。こうなるまではいろいろありました。でも今は自分の行動に対して、人がどう思おうと気になりません。あれこれ言う人たちといつも一緒にいるわけではないからです。朝起きて見るのも、そういう人の顔ではありません。鏡に映るのは自分の顔。自分が心からいい気分になれることをやるしかないですから」 その原点にあるのは、自分が強い南部の気質を持ち(「これ以外のスタイルを身につける方法すらわかりません」と彼女は言う)、ほかの誰にもない個性を持っているという自己認識だ。並外れたヒップホップIQを誇る彼女が惹かれたのは、リル・キムやスリー・6・マフィア、イージーE、ピンプCといったアーティストだった。実は彼女がメタファーの腕を磨くことができたのは、前述のキャンディ・ストライプ・アカデミーの教師たちのおかげだという。あるとき、共通テストにある「頭に思い描いたことが、読み手にわかるような描写を行う」という課題をテーマに、作文の授業が行われた。そのときに得た問題意識を、彼女は今も持ち続けている。「『自分が書く言葉に、紙から飛び出てくるような現実感を持たせるにはどうしたらいいだろう?』ということです。(音楽でも)私の声を最初に聞いた人にも、何が起きているのか、イメージが湧くようにしたい。私の言っていることを感じてもらわなければ意味がありません」。そう語る彼女のラップとボディランゲージは実に雄弁だ。そして、ニューオーリンズのトゥワーク(低くしゃがんで腰を激しく振るダンス)クイーン、ビッグ・フリーディアのように、このふたつを巧みに融合し、ライムと肉体を自在に操ってみせる。 毎日学び、成長し、進化するラッパーを超えた存在へ。 メーガンは、2021年8月にリリースされたBTSの「Butter」リミックスバージョンにフィーチャリング参加。昨年11月にロサンゼルスのSoFiスタジアムで行われた「BTS PERMISSION TO DANCE ON STAGE – LA」のコンサートにサプライズ登場し、会場内は大歓声に包まれた。Photo: BIGHIT MUSIC この1年、女性アーティストのキャリアの中でとても貴重な、期待が集まる時期に、彼女は「やりたいことをやる」方向へと大きく舵を切った。メーガン・ジー・スタリオンは今、物語を語り、文章を書き、権利を擁護する者として、満ち足りた状態にある。その自信はますます確かなものになり、彼女の一部になって、さらに他の人にも伝わっていった。音楽での成功により、他のジャンルに進出し、自身のこれまでの境界線を越えようとする余裕が生まれたのだ。「メーガン・ジー・スタリオンは単なるラッパーではありません」と彼女は断言する。これは私たち、そしてメーガン自身に対する宣言、いわば魔法の呪文だ。「私はなりたいものに何でもなれます。この旅を続ける準備はできています」 今のメーガンが本当にラッパーを超えた存在かどうかは、客観的に見れば明らかだろう。それでも、自分の創造性のおもむくままに進もうとする、意欲ある女性に非常に厳しいこのジャンルにおいて、これがアーティストとしての力強い宣言であることは間違いない。「私は毎日学び、成長し、進化しています。それは、私がこれまでと違う経験をしているからです」と彼女は言う。「私は新しいものを学び、新しい場所を見て、新しい人と会っています。人の創造性は周りの環境に影響を受けるものだと感じます。常に移動しているので、今はアメリカ南部や東海岸以外の場所のことも学んでいるところです。だから今、曲を書くとき、ネタを考えるときは、自分がよく知っている場所以外のことを考えているんです」。子ども時代の教師に加えて、音楽や政治の世界の女性で、人格形成の上で影響を受けた人がいますか? と尋ねると、彼女は母親のホリーが愛したアーティストの名を挙げた。「クイーン・ラティファは最高です。何でもできる人で、私も尊敬しています。音楽以外の分野でも活躍したからです。まさにオールラウンドのビジネスウーマンで、『ひとつのことに集中しなくていい』『ふたつ以上のことを追求してもいい』と教えてくれました」 彼女はほかにも、南部出身のパイオニア的な女性ヒップホップ・アーティストから多くのインスピレーションを得ている。メーガンが多感な時期を送ったころには、バージニア出身のミッシー・エリオット、マイアミのトリーナ、ニューオーリンズのミアX、メンフィスのギャングスタ・ブーなど、南部の街を代表するアーティストが次々と登場し、メインストリームのヒップホップ界で、この地域の存在感を不動のものとした。なかでも女性アーティストたちは、このジャンルに新しい伝統を創り上げた点で特筆に値する。東海岸と西海岸のシーンにばかり注目が集まっていたうえに、男性が圧倒的に優位なジャンルだったことから、南部の女性アーティストは当時のヒップホップ界で二重の意味でのアウトサイダーだった。「当時、この世界でのし上がっていくのは本当にキツかった」と、スリー・6・マフィア初の女性メンバーだったギャングスタ・ブーは振り返る。一方、東海岸の古参男性ラッパーたちは彼女たちのダンスをけなし、南部のギャングスタラップや女性ギャングスタラッパーをあざけっていた。 その後月日は流れ、2020年代に入った今では、世界各地のラッパーが南部のヒップホップスタイルに憧れ、サンプリングし、サウンドを真似するようになった。南部特有のリズムやビートは、もはやメンフィスやアトランタのラッパーだけのものではなく、ニューヨークのクイーンズやロサンゼルスのコンプトン出身のアーティストが発信する作品に含まれることも珍しくなくなった。南部的なスタイルの人気が不動のものとなったことで、このジャンルはさらにオープンになり、活気がさらに増しているとギャングスタ・ブーは指摘する。彼女自身、新たに生まれた南部出身の女性ヒップホップ・アーティストに刺激を受け、活気がさらに増しているという。「彼女たちのダンスが大好きなんです。ビジネスについての判断もすばらしいですし、見ていて痛快ですね。成功を謳歌しているところがいいんです」 メーガンの快進撃はとどまるところを知らず、ヒップホップ・リスナーの間では、バラエティ豊かな彼女のオルター・エゴも広く知られるようになった。そのひとりが「ティナ・スノウ」だ。ティナは惜しくも2007年にこの世を去ったUGKのメンバーでラッパーのピンプCを完全コピーしている。そしてもちろん、「ホット・ガール・メグ」もよく知られるメーガンの別人格だ。 分身としてはさらにもうひとり、2020年リリースのEPと同名の「シュガ」も存在する。「私がシュガになっているときは、いつもより少し傷つきやすく、オープンな気分のときです」とメーガンは説明する。「傷つきやすい自分をさらすことがとても難しいこともあります。オープンになるのも難しい。特に自分の楽曲の中ではそうです。これでも、プライベートは見せないようにしているんです。でもスポットライトの当たるところにいる立場上、すべてを隠すというのは難しい。だから私は『わかった、みんな私のことなら何でも知ってる、って思っているんでしょう? それならもともとの情報源、私ことメーガン・ジー・スタリオンの口からお教えしましょう』ということにしたんです」。そしてこの言葉通り、彼女は直接の情報発信に努めてきた。付き合い始めてから1周年の記念日を10月に祝ったボーイフレンドのラッパー、パーディソン・フォンテーヌとの交際を明らかにしたのも、インスタグラムの生配信だった。 このようにティナ・スノウ、ホット・ガール・メグ、シュガと、複数の別人格を持つメーガンだが、この「3人」を合わせても、その旺盛な創作意欲は受け止めきれず、構想するストーリーを100%忠実に語ることもできないという。過去を振り返ると、あのビヨンセでさえ、サードアルバムでフィーチャーした別人格「サーシャ・フィアース」を葬り去った前例がある。ラップには多様な可能性があるとはいえ、メーガン・ジー・スタリオンを名乗っているときの彼女には、ラップの枠に収まりきらないものがある。そこで、いまだ全貌が明かされていない次のプロジェクトでは、多様な別人格を融合し、これまでより一層シャープに、決定版として、自身の真実を語り尽くすという。音楽を超えて、彼女はものを読み、書くという自らのルーツに立ち返り、その個性に満ちた声と視点を、フィルムやテレビで開花させようとしているのだ。 さらに言えば、彼女の音楽作品では見えにくいが、彼女のヴィジュアル表現には明確に表れている、名もなき別人格がいる。あえて名前をつけるなら「ホラー・ガール・メグ」とでも呼ぶべきダークサイドだ。ラップをこよなく愛し、低音のパートにふと姿を見せるこのオルター・エゴは、絶え間なく黒人女性を踏みにじり、軽視するこの世の中で感じる心の痛みや怒り、簡単には解消されない負の遺産に目を向けている。これまでのミュージックビデオには、『シザーハンズ』や『エルム街の悪夢』『不思議の国のアリス』などを引用したシーンが散見される。また、彼女はスティーヴン・キングのファンでもある。「ハラハラする気分が好きなんです。ゾッとするような感覚を味わいたいですね。背筋が寒くなるような作品が好みです」とのことだ。メーガンはユーチューブで「メーガン・ジー・スタリオン・イン・ホッティウィーン」という短編シリーズを制作しているが、こちらも彼女が私立探偵に扮し、吸血鬼「ファックボイス」から女性たちを守るというホラーストーリーだ。 影響力を持つ“声”で女性の権利を主張する。 2021年のMETガラにて。Photo: Mike Coppola/Getty Images 彼女は、現実に起きた血も凍るような出来事についても、意見を表明している。</p>