2005年のBARホンダの失格騒動を覚えているだろうか。BARホンダの秘密の燃料タンクは、給油前では他のマシンよりも10kg以上も重量を軽くすることができた。しかし、この秘密の燃料タンクは重量規定違反となり失格となった。対照的に、2009年のBGP001(ブラウングランプリ001)に搭載されていたダブルディフューザーは違反と判断されてもおかしくはなかったが、FIAは違反とは判断しなかった。この差はいったい何なのか? 元F1メカニックの津川哲夫に解説していただいた。
文/津川哲夫
写真/津川哲夫、Mark McArdle from Canada – Button Canada 2005
2022年のレギュレーションは抜け穴を見つけられない!?
「2022年の新レギュレーションは、2009年にブラウングランプリ(ロス・ブラウン自身がオーナーを勤めて2009年のたった一年だけ存在したチーム。現在のメルセデスチームの前身)が行ったダブルディフューザーのような抜け穴をつくらないために熟慮した」とF1のトップ、ロス・ブラウンが語っている。
2009年のBGP001(ブラウングランプリ001)は、前年までこのチームの前身であったホンダF1で開発されたマシンであり、これにメルセデスV10エンジンを換装した車両。特筆すべきはこのマシンに搭載されたダブルディフューザーだ。
本来ステップドフロアーとディフューザーによる床下形状は厳しく規制されていたのだが、その規制文章の中のサスペンションアームのカバー規制部分等を都合よく解釈し、まさに規則の抜け穴を見つけ、そこに空気の抜け穴を作り出し、これを二重に作ったディフューザーで大きなダウンフォースを得たのだ。
この方式を許すとディフューザーの規則そのものに意味がなくなってしまい、これは規則の本分を無視したものとなる。規則の網の目を潜って巧みに抜け穴を見つけ、アドバンテージを得ることはエンジニアリングの醍醐味ではあるが、ダブルディフューザーは規則の存在自体を否定することに近く、F1開発へのアウトレイジといっても良いものであった。
これは本来明らかに規制されるべき手法で、現在ならばFIA側から強権発動もありえ、その場で否定されるか規則変更(2021年には結構規則変更があったのだから)さえ行われかねないものであった。
ダブルディフューザーに特化して開発されたBGP001は開幕戦から圧倒的な速さだった
しかし、当時の政治的状況はブラウングランプリに圧倒的に有利に働き、このダブルディフューザーは許され、シーズンがスタートしてしまった。ブラウングランプリだけではなく、ウィリアムズもトヨタもブラウングランプリを真似てこのダブルディフューザーを搭載したが、開幕戦で違反扱いになる可能性が高いと判断して、マシン自体はすぐにスタンダードに変更可能な中途半端なものだった。ところがブラウングランプリは、マシン自体をダブルディフューザーに特化して開発してきたのだ。もちろんこの裏には違反にならないという強い自信があったからだ。
チームのその自信は規則の抜け穴を探り当てていたことと、政治的にも違反にされないという保証があったのかもしれない……。このチームは無償でブラウンがホンダから受け取り、一年後に160億ともいわれる額でメルセデスに売却している。当時のF1はメルセデスワークスの参入を懇願していたのだ。
このチームの根源は旧ティレルをBARが購入し、出だしはメカクローム/ルノーエンジンでのスタートだったが、すぐにホンダエンジンに載せ変え、さらにホンダによる協同経営、そしてホンダによる100%買い取りと発展してきたチームだ。
そして、このチームは常に投資家によるギャンブル的な要素をはらんできた。これはマーケッティングだけではなく、マシン開発にもいえることだった。巧みに規則の抜け穴を見つけてはそれをアドバンテージにしながら、チームのクレバーさを誇示してきた。これがこのチームの骨格をなす哲学なのだ。
しかし、抜け穴は時には行き止まりも存在する。このチームの誇ったずば抜けた抜け穴探しの戦略に足をすくわれ、大きく転倒したこともあるのだ。
初期にはフレキシブルリアウイングを採用してトップスピードを稼いでいたのだが、これが表面化したところでFIAが新しい車検法を導入、これでアドバンテージは消えてしまった。
秘密の燃料タンク発覚でBAR ホンダ失格騒動
抜け穴キングの奢りがハッキリと現れたのが2005年のBAR時代、サンマリノグランプリでの重量違反の裁定が下されたときだ。本来車体の最低重量は燃料タンクを空にして計測する、これはレギュレーションで規定されている。レース後の車検では燃料を完全に抜き去って重量測定されるのだが……。車検で燃料を抜くのはチームスタッフの仕事だ。ここでチームメカニックは抜き取り用のポンプを使い、完全に抜き取った事をFIAの係官に報告。しかしこのとき係官は燃料タンクの蓋を開けさせ、内部を検証した結果大量の燃料がタンクの中に残留していた。この残留燃料を完全に抜き取ると最低重量を大きく割っていたのだ。
当時はレース中の燃料補給があったのだが、このチームのレース中の最後の給油時間がレースの残り周回数からすると明らかに長いと、疑問視されていた。つまり最後の給油で最低重量規定に見合うように給油を増量していたのだ。したがって最終給油以前では、他のマシンよりも10kg以上も軽い状態で走らせていたのだ。
問題はこの違反そのことではなく、レギュレーションの抜け穴を探すことに夢中になり、F1現場の空気とF1を取り巻く環境を無視したことが問題なのだ。実はこの燃料タンクの問題は前年からピットレーンでは話題になっていた。
当時の給油は給油速度が規制されていて、給油器も全チーム同じでFIAが給油器検査もしていた。したがって給油時間で燃料補給量は一目瞭然。前年からこのチームの最終スティント給油時間が注視されていたのだ。
不正は見つからない……奢りはここにあった
問題のサンマリノグランプリ前のレースでFIAはレース後車検で燃料タンク内の検査をやっていたが、何の通達もなく終わっていた。面白いのはこの検査後、他の3チーム程が燃料タンクの改造を行ったこと。つまり似たような抜け穴を他チームも使っていた可能性が高いのだ。そしてどのチームも澄まし顔でサンマリノグランプリに挑んだ、BARホンダを除いて。
BARホンダは抜け穴を見つけることがアドバンテージを得る最良の方法と考え、そして不正は見つからない……実にクレバーであるという奢りがあったのだ。その結果、ポイント剥奪や出場停止という惨めな結果を招いてしまった。
抜け穴を見つけるには二つの道がある。正規の技術進歩かインチキか。もちろん現在でも多くの抜け穴探しが横行しているが、元BARのその哲学は今でも強く残っている、ただし技術進歩の側で。
さて、2022年はどんな抜け穴をF1エンジニアリングは見せてくれるのだろうか。
【画像ギャラリー】レギュレーションを上手く解釈しダブルディフューザーを生み出したブラウンGP。圧倒的すぎた速さを写真で振り返る(5枚)画像ギャラリー津川哲夫
1949年生まれ、東京都出身。1976年に日本初開催となった富士スピードウェイでのF1を観戦。そして、F1メカニックを志し、単身渡英。
1978年にはサーティスのメカニックとなり、以後数々のチームを渡り歩いた。ベネトン在籍時代の1990年をもってF1メカニックを引退。日本人F1メカニックのパイオニアとして道を切り開いた。
F1メカニック引退後は、F1ジャーナリストに転身。各種メディアを通じてF1の魅力を発信している。ブログ「哲じいの車輪くらぶ」、 YouTubeチャンネル「津川哲夫のF1グランプリボーイズ」などがある。
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投稿 F1規制の抜け穴。ブラウンGPのダブルディフューザーはOKで、 なぜBAR ホンダの燃料タンクは不正となったのか? は 自動車情報誌「ベストカー」 に最初に表示されました。