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1882年6月、朝鮮の軍士らが宮廷に乱入した直後、日本と清は出兵する。日本は軍艦と300人の兵力を済物浦(チェムルポ)に派遣し、清は広東駐留軍を中心に3000人の兵力を南陽(ナムヤン)湾に上陸させる。一触即発の危機の中で両国の交渉が始まり、清軍は軍乱の背後にいた大院君(テウォングン)を天津で…