豊田章男社長から、WECのチーム代表就任を打診されるほど、小林可夢偉のチーム・ビルディングには定評がある。マシンのセットアップを主導するだけでなく、ドライバーやスタッフを含め、組織をまとめ上げられるのが可夢偉の魅力であり、戦い方だ。
そんな可夢偉にとって、コロナ禍でのWECとスーパーフォーミュラの同時参戦は、もどかしいものだったことだろう。2021年のスーパーフォーミュラ出場は1戦のみ。KCMGでの可夢偉のチーム・ビルディングは、昨年はほぼ停滞していたと言える。
2022年第2戦富士、可夢偉はスーパーフォーミュラで久々の躍動を見せた。予選では6番手と上位に食い込み、決勝ではピット作業を終えたあとに後続車列を待つ必要があり順位を下げたが、後半には笹原右京(TEAM MUGEN)と印象的なバトルも展開した。
9位で決勝を終えた可夢偉は、「チームにとって良かった」という趣旨のコメントを繰り返した。スタートから3つポジションは落としたものの、価値ある“2ポイント”を持ち帰ることができたから、である。
オフのテストでも可夢偉は苦戦を強いられており、トップとの約1秒の差を埋めるべくトライを繰り返していた。
迎えた富士での第1戦、土曜日朝からマシンのフィーリングに可夢偉は違和感を感じていたという。Q1・B組では首位通過のサッシャ・フェネストラズ(KONDO RACING)から1秒の遅れをとり、通過ならず。第1戦決勝でもいいところなく、レースを終えていた。
原因を突き止めるため、可夢偉は夜9時頃までサーキットでミーティングをしていたというが、「それでも分からなくて、もう1回データを確認してもらって、それを(夜のうちに)送ってもらった」と可夢偉。
「でも、それでも納得行かなかったから、(日曜の)朝来て、『サスペンション変えましょう』ってダンパーを外したら、壊れていたんです」
不調の原因は取り除くことができたものの、とくにセットアップを詰める時間もないまま、第2戦予選に臨んだ可夢偉。それでもトップからコンマ5秒差でQ1・B組を突破し、Q2ではコンマ3秒差の6番手につけた。可夢偉自身、一夜にして0.9秒のゲインを得た形となった。
「とりあえず、普通のクルマに乗れればあそこらへんまでは行ける、っていう。トラブル続きでまともに走れていなかったから、もうちょっと(セットアップを)詰めることができていたら、もう少し前に行けたかなと思う反面、レースではまだまだポテンシャルを上げなければいけない。まだまだ課題は残っているなと思います」
可夢偉は直線スピードを補うためにレスダウンフォースで決勝に挑んでいた。その状態で笹原を封じ込められたのは、「意地」だったという。
「(笹原選手の)後ろがダンゴ状態だったので、あそこで抜かれてしまったらズバズバと行かれてしまう。そうすると、ノーポイントになってしまう。それが分かっていたから、あそこは意地で、なんとか抑えるしかなかった」
たびたびストレートで演じられたバトルのなかでは、サイド・バイ・サイドのなかで接触を受けるシーンが印象的だったが、「あのときは正直、イラっとした」と可夢偉。
だがレース終了後、多くの人からそのバトルについて声をかけられたことで、「みんながそれを楽しんでくれたなら、良かった」と思えたという。
「僕がそんなに速くなかったから、右京もストレスが溜まっていたと思う。そこは、心理的には分からなくはない」
「でも紙一重ですよね、正直。クラッシュする可能性もあったし、飛んでいく可能性もあった。必要ではないリスクだったのではないかと、個人的には思います」
当人同士もレース後のミックスゾーンで話し合い、ふたりそろって公式映像のインタビューに答えていることから、わだかまりのようなものはなさそうだ。
第2戦予選で見せたパフォーマンス、そして決勝で手にした2ポイントが、「チームにとっては安心した部分はあると思う」と可夢偉は言う。
「でも、狙っているところはそこじゃないんで。ちゃんと優勝争いできるクルマを作って、もっと上位に行って(戦いたい)」
「純粋にまず、パフォーマンスを上げること。そしてチームとしてもっと強くなるためには、ひとつひとつの経験をレビューして、良くしていくしかない」
そう語る可夢偉の表情は、チーム全体を俯瞰しているように見えた。日曜日のレース後も、チームのミーティングは遅くまで続いていた。