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岩倉遣外使節団に6歳の女の子が参加していた。日本の親元を離れ、そのままアメリカに滞在し、官費留学生として11年間学んだ。彼女の名は津田梅子、言わずと知れた津田塾大学の創始者だ。けれど梅子がふたたび渡米し、生物学の研究で成果をあげていた事実はほとんど知られていない。将来を嘱望されなが…