1977年、多くのCMなどに出演するトップモデルから映画『空手バカ一代』(山口和彦監督)で女優に転身した夏樹陽子さん。
殴られ蹴られ、ロープに吊るされてリンチされ、挙句の果てにゴミの山に捨てられるという過酷なシーンにも果敢に挑み、体当たりの演技と華やかな美貌が話題に。同年、主演映画『新・女囚さそり 特殊房X』(小平裕監督)、『トラック野郎・度胸一番星』(鈴木則文監督)に立て続けに出演。女優デビューと同時に歌手としても活動。『暴れん坊将軍』シリーズ(テレビ朝日系)に御庭番・おその役で約5年間レギュラー出演することに。
◆初主演映画でも殴られ蹴られ吊るされて…
『空手バカ一代』の後、すぐに主演映画『新・女囚さそり 特殊房X』の撮影がはじまったという。
夏樹さんが演じた主人公・松島ナミは、恋人を政界の争いの中で殺害され、自らも暴行を受け、刑務所に収監されてしまう。ナミは黒幕に復讐するために脱走するが失敗。再び収監されたナミは、囚人仲間だけでなく、刑務所職員からも憎悪されることになり、激しい暴行を受けることに…。
-主任看守役の地井武男さんと手錠で繋がれたまま逃亡するシーンも大変そうでしたね-
「あのシーンは、足尾銅山(栃木県)で撮影したんですけど、砂が目に入って、ものもらいができちゃったんです。それで顔のアップが撮れないからということで、2日間撮影が休みになっちゃったんです。その間に治すということだったんですけど、現場に行きたくてたまらなかったです」
-痛みはどうだったのですか-
「痛みはないけれども、目が腫れているから撮れないんです。それで3日目にやっと現場に行けたんですけど、またリンチシーンですよ(笑)。それでも撮影がまたできたということがうれしかったですね」
-ナミが脱走したことで連帯責任を取らされた囚人仲間たちからのリンチシーンも壮絶でした-
「本当にすごかったです。からだ中アザと傷だらけでした(笑)」
-続いて出演された『トラック野郎・度胸一番星』では、また千葉真一さんの相手役に-
「そうです。東映の映画というのは、あの頃だいたい俳優さんも決まっていましたからね。キンキン(愛川欽也)に惚れられる役でおもしろかったですよ」
-夏樹さん演じる江波マヤが譲治(千葉真一)と恋人同士だと知ってしまったときの愛川さんの表情が印象的でした-
「そう。ガックリというときの愛川さんの表情がね(笑)。あの作品には、八代亜紀さんも初めて女トラック野郎として出ていて一緒だったんですけど、今でも八代さんとたまに会うと、『陽子ちゃん、元気!?』って言ってくれて懐かしいです。トラック野郎のときの話が出ますよ。映画もヒットしましたし、良かったです。『トラック野郎』シリーズは人気でドル箱でしたからね」
-立て続けにいろいろな作品に出演されてエランドール新人賞も受賞されました-
「はるか昔のことですが、東映さんのおかげだと思います。立て続けに映画に出られて、それもずっとヒロインでしたから」
◆撮影で通勤していた新幹線で長嶋茂雄さんと隣席に
1978年、夏樹さんは『暴れん坊将軍』(テレビ朝日系)に御庭番・おその役でレギュラー出演することに。
「女優デビュー2年目で『暴れん坊将軍』のレギュラーになって、それで親にもやっと喜んでもらえました。毎週見てもらえたし評判も良くて、延長延長になって長く続きましたからね」
-立ち回りのシーンもありました-
「最初はうまくいかなくて、皆さんに迷惑をかけたんですよ。立ち回りが難しくて。覚えれば早いんですけど、はじめの1年くらいは本当に苦労しました。仕込み三味線になっていて、サッと抜いて立ち回りをやるんですけど、たまに太鼓の部分でボンでぶつけるんですよね。
あるとき相手役をしてくれる男性の大事な部分に当てちゃったことがあって(笑)。飛び上がって、『なっちゃん、痛いよ』って言われて、それから私はもう顔が真っ赤になっちゃって『ごめんなさーい』って謝ったんですけど、それからしばらくは、その人と朝『おはようございます』って会うと『ごめんなさい』って言っていました。純情なりし頃ですよ(笑)。そんな失敗もたくさんあります。
『5万回斬られた男』の異名をもつ福本(清三)さん、昨年亡くなられましたけど、福ちゃんともずいぶんたくさんやりましたね。彼は本当に斬られ方がうまくて、斬るほうの私が、うまく見えるんです。ああいう方たちに支えられてという感じでした」
-週に半分ぐらいは京都だったのですか-
「もっとです。ずっと行っていましたね。3年間ぐらいは『ザ・ハングマン』(テレビ朝日系)と重なっていたので、新幹線で通っていました。
一番忙しかったときで、『暴れん坊将軍』と『ハングマン』、それぞれが2冊ずつ台本があるんですよ。そこに2時間ドラマのゲストがあったので、いつもだいたい5冊くらい台本を持っていて、新幹線の中で時代劇から現代劇、現代劇から時代劇に変わるという感じでした。
朝1番の新幹線で出発すると、まだ暗いんですよ。新幹線に乗って、だんだん日が昇って明るくなっていって、アナウンスが流れるまでは、『私は東京に戻ったのかしら?それとも京都に来たのかしら?どっちかしら?まあいいや、寝てれば何かアナウンスあるだろう』という感じでしたね。新幹線では本当にもうひたすら寝ていました。
新幹線では印象的な楽しい思い出があって。その頃グリーン車に乗っていたんですけど、あるとき1番前の窓際の席で、隣に荷物を置いて毛布を被って足を投げ出して寝ていたんですよ。そうしたら『隣空いていますか?』という声が聞こえたので、『人が来ちゃった、せっかくゆっくり寝ようと思ったのに』って思いながらも『はい』って荷物をどかしてまた寝ていたんですよ。
しばらくして『サインしてもらえますか』って声が聞こえて、『サインしたほうがいいかな、どうしよう』って一瞬迷ったんですよ。
そうしたら、またその人が『サインいただけますか、長嶋さん』って言ったんです。『えっ?長嶋さんて、私は夏樹だけど。まさかあの長嶋茂雄さん?』って思って、毛布の隙間からのぞいたら長嶋さんで、もう心臓がバクバク。これは私もサインをもらわなくてはと思って、投げ出していた足をいっぺんに引くと目立つから、ちょっとずつちょっとずつ引いたりして(笑)。
長嶋さんは飛び乗ったみたいで、車掌さんに名古屋までといって切符を買ってらしたので、名古屋で降りるまでには何とかサインをもらわなきゃと思って、『名古屋まであと7分』というインフォメーションが入ったとき、名乗って『サインをいただけますか』ってお願いしたら『いいですよ』って、長嶋さん独特の、あのノリですよ。
『どちらまでですか?』ってとても優しく聞いてくださったので、『京都までなんです。まだ新人女優なんですけど』って言ったら『そうですか。お仕事頑張ってください』って言ってくれました。もううれしくて。
それで『じゃあ』って名古屋で降りていかれたんですよね。そのとき、サッと、羽織ったコートがサンヨーコート。長嶋さんがコマーシャルに出ていたのがサンヨーコート、オチがあるんですよ(笑)。
それで、長嶋さんが隣の席にゴルフの雑誌を置いて行かれたんですよね。私はそれをもらっちゃって、その日はずっと抱きしめていました。『見て、これ。長嶋さんが隣の席に座って、置いていったゴルフの雑誌なの』って(笑)」
-夏樹さんはクールなイメージですけど、そういうところもあったのですね-
「夢見る乙女ですよ(笑)。あのすばらしい3番の長嶋茂雄さんですもの。通信簿で『3』はなじみのある数字ですしね(笑)。
あれは鮮明に覚えていますよ。長嶋さんは背がスラッと高くてとてもすてきだったし、すごく感じが良かったんです。一人で乗ってらして、降りたらお迎えが3、4人いらしたんだけど、本当にすてきでした。今もかっこいいですしね。そんなすてきな思い出がありますよ、京都まで通う間に」
-乗り過ごしたりしたことは?-
「ありました。気がついたら桂川が後ろに行くんですよ。新大阪で慌ててUターンして京都に電話をして。
すぐに差し入れの飲み物を買って、『ごめんなさい』ってみんなに配って、京都の太秦撮影所は早めにきちんと謝って対処すると、みんなしょうがないなあっていう感じで許してくれました」
-かつらもとてもよく似合っていましたけど、長時間の撮影で痛くなったりすることはありませんでした?-
「それはありました。もちろん合わせて作ってくれるんですけど、むち打ちをやった後だったので、首が痛くてすごくつらいときもありました。
昔は怖い結髪さんがいて、ロケ先で付けてくれないんです。撮影所でつけて移動するんだけど、動いちゃいけないので首に負担がかかってつらくてね。それを言ったら『山田五十鈴でも撮影所でつけて行った』って言われるんですよ。山田五十鈴さんって言われちゃったら、もうどうしようもないですよね、こっちは新人だし」
-昔は東京から行くと結構有名な人でもいろいろ洗礼を受けたという話を聞きました-
「『あいさつしないと照明が落ちてくるよ』とか、『着物に針が入ってるよ』とか色々言われましたけど、一回懐に入ればとことんみんな面倒をみてくれる人たちなんですよね。昔は怖い人もいましたけど」
-結局、現場でかつらをつけてもらえることになったのですか-
「プロデューサーと一緒に菓子折りを持っていって頼んでもらいました。『彼女はむち打ちをやっていて、お医者さんの診断書もあるんだけど、首が大変なんで、悪いけど現場でかつらをつけてあげてもらえないかな』って。それで現場でつけてもらえるようになりましたけど、そういう感じでしたね。今はもう現場の雰囲気はずいぶん変わったようですが」
-『暴れん坊将軍』でファン層が広がったのでは?-
「そうですね。年配の方たちも時代劇が好きな方は、今でも『おそのさん』って言ってくれます。ときどき再放送されていたりするので、『おそのさん、三味線抱えて走っていたよ』とかって(笑)」
◆『ザ・ハングマン』でも正義の味方、そして2時間ドラマの女王に
1981年から夏樹さんは『ザ・ハングマン』に出演。これは法の目をかいくぐり暗躍する悪人たちにコードネームを持った「ハングマン」が制裁を加える様を描いたもの。夏樹さんはハングマン第8号・タミー(桑野多美子)を演じた。
-現代版『必殺仕置人』みたいでカッコ良かったですね-
「おもしろいですよね。あれは今見ても結構おもしろい。撮影はめちゃくちゃ楽しみました」
-アクションシーンもありましたけど、ものすごくキレが良くて-
「はい。運動神経は悪いほうではないので。運転も結構やりますし、運動神経を試されるようなことがすごく多かったですよね。車の運転はほとんど吹き替えなしでやりました。
大きなお屋敷の鉄扉があって、その向こうの隙間からカメラが狙っているということがあって、その隙間のところにスッと顔が入らないとカメラがアップを撮れないんです。
それで運転してきて自分の勘で車を止めて、フッと見たら隙間からちょうど顔が見えて、一発でOKでした。だからそういう勘は悪くないんですよね。運転はとくに好きだったし、今でも好きですけどね。
『ハングマン』ではコメディーっぽいこともできたのでおもしろかったですよ。いろいろ変装できるから、変装した中で遊びをやらせてもらえたので楽しかったですね」
-夏樹さんは、土曜ワイド劇場の江戸川乱歩シリーズなど2時間ドラマの出演も多く、「2時間ドラマの女王」と称されていましたね-
「いっときはね。『江戸川乱歩』シリーズは多かったですね。3本出ました。天知(茂)さんで2回、北大路欣也さんになって第1回が私でした。
佐々木孟さんというプロデューサーの方がいらして『何で今回私を選んでくれたんですか?私は北大路さん大好きですが』って言ったら、『陽子ちゃんが出たときは視聴率がいいんだよ』って言われたんです。すごくそれがうれしくて。視聴率が良かったって言われたら女優としてはうれしいですよね」
-本当に2時間ドラマも多かったですね-
「そうですね。大体私が出てくると、『犯人かな?どうかな?』って思うんですって(笑)。私は井上梅次監督に鍛えられたんです。井上監督は『陽子ちゃん、このアップの次コマーシャルだよ。チャンネルを変えられないように頑張ろう』みたいなことを必ず言われたのですよ。
今はそんなことを言う人は誰もいないと思うんだけど、『ここでコマーシャル入ります』って言われたら、そうかと思うじゃないですか。多分目に力が入るんだと思う。『チャンネル変えないでね』というオーラみたいなのが出ていたんじゃないかな(笑)」
夏樹さんは、数々の映画、ドラマ、舞台に出演しながら歌手、ジュエリーデザイナーとしても活動。さらに国際C級ライセンスを取得してレースにも出場するなどマルチな才能を発揮していく。
次回後編では、連続テレビ小説『マッサン』の撮影エピソード、カーレース、愛車フェラーリ、YouTubeなども紹介。(津島令子)