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<p>表現者・羽生結弦 世界的ピアニスト・反田恭平さんが語る世界観 | 毎日新聞</p><p>反田恭平さんが語る「表現者・羽生結弦」の世界観 羽生結弦選手と同じ1994年生まれの反田さんに「表現者・羽生結弦」の印象、音楽と調和する世界観を語ってもらいました。</p><p>北京冬季オリンピックのフィギュアスケート男子で94年ぶりの五輪3連覇に挑む羽生結弦選手(27)=ANA=が今季のショートプログラム(SP)で演じるのは「序奏とロンド・カプリチオーソ」だ。サンサーンスの曲をピアノ風にアレンジし、その音の中を、繊細かつ大胆に駆け抜ける。</p><p>羽生選手と同じ1994年生まれで、昨秋のショパン国際ピアノコンクールで日本人の過去最高成績に並ぶ2位となったピアニスト、反田(そりた)恭平さん(27)に、この曲を通して「表現者・羽生結弦」の印象、音楽と調和する世界観を語ってもらった。【聞き手・倉沢仁志】 「表現者は不安、怖さが常にある」 ――羽生選手が2014年のソチ五輪で金メダルを獲得した時は、ロシアに留学中でした。 ◆ロシアでは「またか」というくらい羽生選手の名前を聞きました。「彼の調子はどうなんだ」とか。「僕、全然知り合いじゃないのに……」と思っていました(笑い)。ロシアでは、多くの人がバレエやフィギュアスケートに関心があります。フィギュアスケートの映像を見て、話すロシア語の授業もありました。「結弦」と言っただけで街の人たちは全員が分かるようなレベル。もう、アイコンみたいな感じでした。 ――同年代として活躍する姿を、どう感じましたか。 ◆羽生選手がどんどん活躍するようになった約10年前は、(スポーツ界で活躍する)94年生まれの選手はそこまでいませんでした。その中でも羽生選手は第一線で活躍していて、すごいなと思いました。音楽界はスポーツ界に比べ、あまり目を向けられていないという悔しさはありました。 ――今回、国際的なコンクールで日本のピアニストでは70年の内田光子さんに並ぶ最高成績を収められました。コンクールまでの準備に相当な時間を費やしたと聞きました。 ◆コンクールというのは1回優勝すると、もう出られないことも多いです。だから、僕らの中に「連覇」という概念はありません。第一に、世界に知ってもらうきっかけになる場なのです。ショパン国際ピアノコンクールは5年に1回の開催で、今回はさらに新型コロナウイルスの影響で前回から6年後に行われました。6年というのは、一つの時代くらい長い。自分との闘いです。これは、4年に1回という五輪にも通じるものがあるかと思います。 僕は無名の学生ではなかったので、プロの立場で期待に応えないといけませんでした。コンクールに出ることで、何らかの壁にぶち当たるだろうなと。例えば優勝したとしても、その十字架を背負って生きていかなければいけない覚悟が必要でした。 入賞すれば自分のピアニストとしての技術を維持していくことが求められます。はたまた落ちてしまった場合は、好きな作曲家のコンクールから否定されることになります。エントリーをやめようかなと思ったこともありました。僕らでいう1次予選後は、フィギュアのSP後のイメージでしょうか。結果は悪くないけど自分のプレッシャーに勝てなくて、棄権を考えたこともありました。 ――覚悟という面では、羽生選手も3連覇を目指す際に「2連覇を失いたくない」と言いました。決めれば世界初となるクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)の成功を目指す中で何度も壁に当たったことも明らかにしています。共通点を感じる部分はありますか。 ◆僕の場合は(五輪のように)3度目を経験していないので、羽生選手の気持ちを100%理解することはできませんが、ファンがいるという点では一緒だと感じます。羽生選手はプレッシャーがすごいと思います。例えば、表現者として生きる場合、自分のパフォーマンスが審査員にどれだけ理解してもらえる… この記事は有料記事です。</p>