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 MotoGP第3戦アルゼンチンGPではアレイシ・エスパルガロ(アプリリア・レーシング)がついに初優勝を飾った。アプリリアの進化の鍵となったものは何か。そしてまた、ロードレース世界選手権で長いキャリアを持つエスパルガロを支えるものは何だろうか。

 予感はあった、と言っていいだろう。2022年シーズン、アプリリアのエスパルガロが表彰台の頂点に立つだろう。そういう予感だ。2021年には1度のフロントロウ(ドイツGP)、1度の3位(イギリスGP)を獲得しており、上位でフィニッシュするレースが増えていった。マレーシアのセパンとインドネシアのマンダリカで行われた開幕前の5日間のテストで、エスパルガロは各日、ほぼトップ5以内で終えていた。アプリリアがじわじわと、そして確実にポテンシャルを上げていることが明らかだった。エスパルガロの、そしてアプリリアのMotoGPクラス初優勝は、第3戦アルゼンチンGPで成し遂げられた。
 
 アルゼンチンGPは輸送機の問題によってレースウイークが通常の3日から2日に短縮されて開催された。土曜日にはフリー走行1回目と2回目、そして予選がスケジュールされ、この予選でエスパルガロはポールポジションを獲得する。アプリリアにとって、2002年から始まったMotoGPクラスにおける初のポールポジションだった。
 
 決勝レースでは好スタートを切るも、2番グリッドスタートのホルヘ・マルティン(プラマック・レーシング)がホールショットを奪う。しかしエスパルガロはレースをリードするマルティンの独走を許さなかった。0.5秒以内の差をキープしながらマルティンを追い、終盤に入るとオーバーテイクを仕掛ける。そしてついに残り5周5コーナーのハードブレーキングでマルティンをかわした。これが勝利を決めるオーバーテイクとなったのだった。
 
 クールダウンラップでランオフエリアにバイクを止め、エスパルガロはタンクの上に突っ伏した。そのエスパルガロの側に、2位でフィニッシュしたマルティンやチームメイトのマーベリック・ビニャーレス(アプリリア・レーシング)、ファビオ・クアルタラロ(モンスターエナジー・ヤマハMotoGP)などがバイクを寄せ、肩や背中を叩いて快挙を称えた。

「ライトが消えるとホルヘはすっ飛んでいって、彼を追いかけていくのは大変だった。ちょっとミスもしちゃったしね。それからギャップを詰めていったんだ。電子制御やエンジンブレーキ、トラクションコントロールをうまく使って、最後の数周にタイヤをできるだけ温存した」とエスパルガロはレースを振り返り、マルティンについても「すごく勇気があったと思う。今日のコースコンディションはとても難しかったのだけど、最も難しいレースの時間帯をリードし、ペースを発揮していた」と認めていた。

 エスパルガロと優勝争いを展開したマルティンは「アレイシは僕のすごくいい友達だから、(彼の優勝は)僕としてもうれしい」と、エスパルガロの優勝を称えた。
 
「スクリーンで確認していたから、アレイシが迫っているのはわかっていたよ。毎周、5コーナーでは彼が接近してくるのを知っていた。アレイシのバイクの音が聞こえていたんだ。間もなく僕をかわすだろうとわかった。ちょっと苦戦していたみたいだけどね。僕は5コーナーでかなりハードにブレーキングしていたから。僕はプッシュして、ミスするように仕向けたんだけど、彼はミスしなかった。今日のアレイシは見事な走りだった」

■ターニング・ポイントは2019年

 2015年、アプリリアはファクトリーチームとして最高峰クラスに復帰した。しかし、すでにMotoGPでの経験を蓄積してきたマニュファクチャラーに対抗するのは容易なことではなかった。MotoGPにはシーズン中のエンジン開発やエンジンの使用可能基数、テストの制限などが緩やかになるコンセッションという優遇措置があり、アプリリアは今季、この優遇措置を受ける唯一のマニュファクチャラーとなっている。

 しかし、上述のように、特に2021年シーズンから成績をともなう改善を見せていたことは確かだった。今季のアプリリアRS-GP22について、エスパルガロは開幕前のテストで「昨年からバイクが大きく変わったということではなく、全体的に少しずつよくなっている」と語っていた。

 こうした上昇のきっかけは、2019年にあった。2019年、F1で長い経験を持つマッシモ・リボラ氏がアプリリア・レーシングのCEOに就任したのだ。エスパルガロはこう説明している。

「僕が6年前にアプリリアに来てから、たくさんのことが変わった。でも3年前にマッシモ(・リボラ)がアプリリア・レーシングに来てから、組織が大きく変わったと思う。以前はロマーノ(・アルベジアーノ)がほとんどすべてを担っていた。マッシモは少しずつノアーレでの組織を変え、やり方を変えていった。ロマーノはバイクの開発にさらに集中するようになったんだ。ロマーノはすごくいいエンジニアだけど、仕事にしっかり集中することが必要なこともある。RS-GP22は、今や世界の中でも最高のバイクの一つになった。だから、僕としてはマッシモのそういう組織編制がカギになっていると思う」

「ポテンシャルはある。リソースも増えている。エンジニアがさらに増えたんだ。それに、このプロジェクトを始めた人たちもまだ、ノアーレで仕事をしている。そういうことがとってもハッピーだし、同時に、誇りに思うんだ」

 2017年にスズキからアプリリアに移籍し、共に苦しい時間を過ごしてきたエスパルガロは、その時間をこうも振り返る。

「マーベリックとスズキで戦っていたときのことをよく覚えているよ。それから僕はスズキを去った。あまり結果を出すことができなかったから。そして、アプリリアが僕を呼んでくれた。速いライダーはアプリリアに行こうとしなかった。誰もそのプロジェクトを信じていなかったからだ。初日、僕は言ったんだ。『このバイクをトップにする』って。こんなに長くかかるとは思わなかったけどね……」とエスパルガロは少し笑って、「でも、成し遂げたんだ」と言った。

「3年前でさえ、若いMoto2ライダーを獲得しようと説得して『ほかのバイクを待つ方がいい』と言われたよ。これが僕の心に火をつけた。『わかった。きみはこの日を人生の過ちとして記憶することになるだろう。アプリリアに“ノー”と言った日として』ってね」

「今、僕はハッピーだ。昨日もすごくハッピーだった。サム・ロウズ、スコット・レディング、(アンドレア・)イアンノーネといった僕とレースをしたライダーたちがメッセージをくれて、僕とアプリリアのためにとても喜んでくれた。彼らはどれだけ大変だったのか、過去のバイクがどれだけ(今の場所から)遠いところにあったのか、知っているからなんだ」

 そうしたエスパルガロへの称賛は、もちろんこの日ともに表彰台に立ったマルティン、アレックス・リンス(チーム・スズキ・エクスター)も送っていた。彼らの言葉は、アプリリアで過ごした時間のみならず、おそらくはエスパルガロ自身のこれまでの時間を推し量ってのこともあるのだろう。

■エスパルガロにとっての家族の存在

 32歳のエスパルガロは、現在のMotoGPクラスにおいて、ロードレース世界選手権の参戦歴がアンドレア・ドヴィツィオーゾ(WithU・ヤマハ・RNF・MotoGPチーム)に次いで長い。スタートは2004年バレンシアGPの125ccクラス参戦で、MotoGPクラスではこれまでにCRT(量産車ベースのエンジンをオリジナルのフレームに搭載したマシンで争うチーム)で戦い、その後はチーム・スズキ・エクスター、そして現在のアプリリア・レーシングに移籍した。アルゼンチンGPでMotoGPクラス参戦通算200戦目を迎えたベテランだ。今回の優勝は125ccクラス、250ccクラス、Moto2クラス、MotoGPクラスを通じて初。まさに悲願の優勝だったのだ。
 
 ちなみに、エスパルガロの双子の息子であるマックス君には、アルゼンチンGP前におねだりをされていたのだとか。

「レース前、マックスと話をしたんだけど、『カタールのレース前、僕は強いから、トロフィーを持って帰ってきてあげるよって言ったのにくれなかったじゃないか。だから、今回はトロフィーを持って帰ってきてよ』って言うんだ。『わかったよ、がんばってみる』って答えたよ」

 そんな“苦労人”エスパルガロは自身のモチベーションについて、家族の存在が大きいと語っていた。

「チェッカーを受けたとき、まず頭に浮かんだのが子どもたちと(妻の)ラウラのことだった。ライダーによっては自分の側に友人が必要だったり、プロフェッショナルなチームが必要だったりする。僕の中では、妻と二人の子どもが一番大事なんだ。自分にとっては彼らが必要な全てだ。僕の力になる。今日、ここにいてほしかったよ」

「すごくきつい時期は何度かあった。でも、僕の妻、ラウラは僕のベスト・ヘルパーなんだ。彼女は本当に大変なことをやっている。僕が家に帰ると、どういうときでもいろいろとサポートしてくれるんだ。以前は家に戻っても、日曜日のうまくいかなかったレースについてどうしても考えてしまっていた」

「でもこの3、4年は彼女や子どもたちと一緒にいることが僕の力になっていたんだ。彼らは僕に、ほんとに前向きな力を与えてくれる。だって、僕のライディングは変わっていない。3年前から、自分はいいライディングをしていると思っていた。でも今は、前向きな気持ちを得た。それからいいバイクが間違いなく僕に力を貸してくれている。それがキーになっているんだ」

 アルゼンチンGPの優勝は、今季のアプリリア、そしてエスパルガロ自身のポテンシャルを証明した。今季はこれまでに3人のウイナーが生まれ、3戦で異なる9人のライダーが表彰台を獲得している。そしてヤマハ、スズキ、ホンダといった日本の3メーカーは未勝利という状況だ。このまま混戦が続くのだろうか、それとも。