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就隆は10歳の頃、徳川家康と秀忠に御目見(おめみえ)をしています。この時輝元は59歳であり、証人として江戸詰の長男秀就の身代わりとして就隆を差し出すのが目的でした。 1617(元和3)年、就隆16歳の時に3万石の下松藩が成立します。しかし4年後には就隆は領地の半分程度の替地(かえち)をしろと駄…