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19歳の広瀬旭荘(きょくそう)は1825(文政8)年の4月から6月にかけて、淡窓と交遊のある筑後久留米藩の儒学者樺島石梁(せきりょう)を訪ねて学んでいる。72歳だった石梁が、旭荘の才能を人々に称揚したと、淡窓は述べている。 ところがこの年の冬になって、44歳の淡窓は大病を患って病床についた。そ…