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悲しき兄弟格差!! カローラとスプリンターの明と暗

 カローラといえばトヨタを代表するモデルのひとつ。そんなカローラよりもスポーティなイメージを持った姉妹車がスプリンターだ。一時期は若者から支持を受けたものの、カローラの陰の存在というイメージは拭えず……。そして、時代の移り変わりとともにその人気は衰退し、姿を消してしまった。今回は、そんなスプリンターの盛隆から衰退までの歴史を振り返ってみよう。

文/入江凱、写真/トヨタ、FavCars.com

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カローラのスポーティバージョン、カローラ スプリンターの誕生

悲しき兄弟格差!! カローラとスプリンターの明と暗
「カローラ」の発売から約1年半後の1968年5月に発売されたカローラスプリンター。日産のダットサンサニー クーペと販売台数を競い合った

 初代カローラが誕生したのは1966年。国民的大衆車として幅広い層に受け入れられ人気を博した。

 カローラのヒットのおかげでクルマが庶民にとって手の届く存在になり、それとともに、ユーザーのニーズも多様化。それに応えるかのように1968年に登場したのが、ファストバックスタイルを採用したスポーティな姉妹車、カローラ スプリンターだ。

 ベースとなるカローラよりも全高を35㎜低くし、グレード別設定にはなるものの木目調の3本スポークステアリングホイールやシフトノブが採用された”ホンモノ”志向の強いユーザーに向けたモデルだった。

 グレードは標準となるスプリンター、デラックス、SLの3種類が用意され、トランスミッションは4速フロアシフト、コラムシフト、トヨグライドと呼ばれる2速半自動ATの3種類から選ぶことができた。

 当時のライバル車であったサニーよりも100㏄多い1100㏄の排気量のエンジンや、日本製乗用車で初となるマクファーソンストラット式フロントサスペンションを採用した初代カローラのアイデンティティを活かしつつ、異なる個性を持ったクルマとしてカローラ スプリンターは注目を集めた。

 また、発売に合わせて設立されたトヨタオート店という新たな販売チャンネルでの専売とするなど、カローラとの差別化が図られた。

カローラ スプリンターから「スプリンター」へ

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1970年のフルモデルチェンジにともない「カローラ」の名が外され「トヨタ スプリンター」シリーズとして独立を果たした2代目スプリンター。当初は排気量1200㏄のみの設定だったが、後のマイナーチェンジで1400、1600㏄も追加された

 1965年に名神高速道路が、1969年には東名高速道路が開通するなど、高速道路の整備も進み、ドライブが一大レジャーに。そういった社会事情を背景にして、高速安定性があり、かつファッショナブルなクーペタイプのスポーティなクルマの需要は増していった。

 時代に後押しされるかたちで好調な販売を続けたカローラ スプリンターは1970年のフルモデルチェンジで2代目へ。それにともない、名称が「トヨタ スプリンター」へ変更された。

 同時にカローラにもクーペモデルが設定され、スプリンターにもマイナーチェンジで4ドアセダンが追加されたことで、カローラとスプリンターはともに4ドアセダンと2ドアクーペモデルを持つことに。内外観に若干の違いはあったものの、エンジンラインナップもほぼ同じで、ユーザーにとっては違いがイマイチわからないといった状況になった。

スプリンター トレノが誕生! 通好みの一台だったが……

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スプリンターシリーズとして最後のFR車となってしまったAE86型スプリンタートレノ。姉妹車の「カローラ レビン」が固定式ヘッドライトだったのに対してスポーティなリトラクタブルライトを採用。ドアミラーが採用されたのもこのモデルからとなる

 カローラの陰に隠れ、いまひとつパッとしない印象だったスプリンターだったが、そのイメージが一変することに。それが1983年にセリカの1.6リッターDOHCエンジンを搭載したグレードのひとつとして登場した5代目のスプリンター トレノ、通称”ハチロク”だ。

 ハチロク以外はカローラとともにスプリンターは5代目からセダン系統のモデルは駆動方式を従来のFR方式からFF方式に一斉に変更された。しかし、トレノはスポーティな走行特性を重視するクルマとして引き続き、FR方式を採用。

 ちなみに、それまでDOHCエンジン搭載車だけに用いてきた「レビン」「トレノ」という名称をクーペ系全車のものとし、代わりにDOHCエンジン搭載車には「GT」バッジを装着するなどシリーズ車種の整理が行われた。

 姉妹車であるカローラはレビンという名称で販売されたが、レビンが固定式ヘッドライトだったのに対し、トレノにはリトラクタブル式が採用されることでレビンよりもスポーティな印象に。

 しかし、当初はレビンのほうが圧倒的な人気を博し、トレノは陰の存在となっていた。しかし、人気コミック「頭文字D」の影響でトレノは走り重視派たちから熱狂的な支持を受けることとなり、一躍、日向の存在となった。

 とはいえ、注目を浴びたのは登場から約10年後、すでにスプリンターは7代目に移行していた……。

機を逸した!? 高級路線に舵を切ったことが仇に……

悲しき兄弟格差!! カローラとスプリンターの明と暗
設計はバブル期、発売は崩壊後と厳しいタイミングで世に出たAE100 /101型スプリンタートレノ

 1987年にはフルモデルチェンジが行われ、トレノもセダン同様にFR方式からFF方式に転換された。

 エンジンは1.6リッターDOHC16バルブの自然吸気と併せて145psの最高出力を誇るスーパーチャージャー仕様も用意、電子制御式サスペンションTEMS(TOYOTA ELECTRONIC MODULATED SUSPENSION)も採用するなど、スペックを向上。バブル景気の中にあって高級クーペ、ソアラよりも手が届きやすいモデルとして好評だった。

 同年には5ドアセダンタイプのスプリンター リフトバックの後継となるシエロが、翌年にはスプリンターをベースにしたステーションワゴンであるカリブの2代目や、スプリンターシリーズで初となるバンが登場するなど、シリーズの好調ぶりが続いた。

 1991年には高級路線に舵を切ったスプリンターはホイールベース、全長、全幅を拡大し大型化。AE101系のレビン/トレノが発売された一方で、5ドアのシエロが廃止、また翌年には4ドアハードトップのマリノが登場するものの苦戦するなど、拡大傾向にあったスプリンターの派生モデルに影が差しはじめた。

 1995年にはスーパーチャージャー仕様のグレードは廃止され、NAながら最高出力165psを発揮する4A-GE型エンジンを搭載したAE111系のトレノが販売開始。旧モデルから70㎏もの軽量化を図るなど、話題性の高いモデルだった。

 しかし、クーペ、スペシャルティカーの市場縮小に伴い、カリブなど一部の派生モデルを除き2000年にスプリンター トレノやセダンの生産が終了、2002年にはすべてのスプリンターシリーズの生産が終了。約34年の歴史に幕を下ろした。

 このスプリンターの凋落を尻目に、カローラはそれまでの主要ユーザーであった中高年に向けたデザインを転換するなど、時流、環境に合わせたクルマづくりを展開して好調ぶりをキープ。2021年にはシリーズ全体でグローバル累計販売台数が5000万台を突破するなど、いまだトヨタの基幹車種として存在感を放ち続けている。

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