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<テレビ朝日・本間智恵アナウンサーコラム「自虐からの脱却」>

ひとから褒められたとき、あなたはどう答えるだろうか。

素直に受け取って感謝の言葉を返すべきか、謙遜してやんわり否定すべきか。

そもそも相手の言葉は本心からのものなのか、ただの社交辞令なのか……。

婉曲表現に溢れ、行間を読む必要のあるこの国では、とても悩ましい問題だ。

悩んだ結果、謙遜が行き過ぎて卑下、自虐し、妙な空気を醸成してしまうことも。

かく言う私も、かつては自虐に自虐を重ねるタイプの人間だった。

◆“謙遜”が積み重なってしまうと…

幼い頃から、自分は怠け者で努力が足りない性格だと思ってきた。おっちょこちょいで集中力が続かず、ときに上手くいくこともあるがそれは実力ではなく「まぐれ」である。

……こんな風に思って生きてきたので、何かを褒めてもらえたとしても「いやいやいやいや~!私なんて〇〇なんで!全然そんなことないんで!!」と、早口で前のめりに否定してきた。

そうするのが正解だと思っていたし、素直に受け取るなんて烏滸がましい、調子に乗っていると思われるのではないかと怯えていた。

自信を持つのは大事と言われるが、顕示すると偉そうだと言われ、「出る杭は打たれる」こともある。自信と謙遜は表裏一体で、その塩梅を誰も教えてくれない。

「つまらないものですが」と言って差し出される、きちんと考えて選ばれたはずの手土産。「うちの子なんて●●ちゃんに比べたら全然だめよ~」などという、子が可愛いはずの親同士の立ち話。

礼儀作法だとしても、謙遜して自分自身や自分の身内、自分の行為などに対して実際よりも低く表現される評価が“現実”のものになってしまわないか。

「私は大したことのない人間です」という謙遜が積み重なって、いわゆる「自己肯定感の低い人」が育っていくのではないか。

◆目から鱗が落ちた“提案”

30歳を過ぎた頃だっただろうか。上手くいかないことが続いて誰かに当たってしまったり、それで一層自己嫌悪してしまったり、他人と自分を比較して落ち込んでしまったりと、精神的に不安定な時期があった。

「私はこんなに駄目な人間なのだから、上手く行かなくて当然だ」と負の連鎖に陥っていた。そんな中、ある人に話を聞いてもらう機会があり、“駄目っぷり”を自己開示していると、「あなたはできなかったことにばかり目を向けていますね」と言われた。

だって、そうなのだもの。休日に昼まで寝てしまった、読まなくてはいけない本があったのにSNSを漫然と眺めて時間を浪費した、運動しなきゃと思っていたのにむしろお菓子を食べてしまった…。

すると、「反対に考えてみませんか?」と提案された。

「疲れていたんでしょうね、休日は思いっきり体を休めることができましたね。SNSから得た情報で、面白いものを見つけたよと誰かと会話が弾むかもしれませんね。今日は寒かったから、家で好きなものを食べて幸せに過ごせたんですね」

そして言われた、「これからは、できなかったことよりできたことを、持っていないものより持っているものを数えてみませんか?」という一言。

目から鱗が落ちた。

もちろん、できなかったことから目を背けて、やらなくてはならないことを投げ出し続けていては、トラブルが起きるかもしれない。責任を持って奮起することや、反省を次に生かすことが必要なときもある。

そのうえで、できなかったことや自分の嫌な面ばかりに目が向いてしまっているときは、だいたい休息が必要なのではないかと思うのだ。

そしてそんなときは、誰かが前向きなことを言ってくれたり褒めてくれたりしても、聞く耳を持てなくなりがち。しかしそこは、素直に受け取ることを勧めたい。その誰かは、私の「できたこと」「持っているもの」を一緒に数えてくれた大事な人だからだ。

自虐は、せっかくの厚意を無下にすることになる。また、似た境遇・似た属性の人を「他虐」することにもなりかねない。

まっすぐ受け止めて、「ありがとう」「嬉しい」と伝えれば、褒めた人、褒められた人、似たような人、みんなが幸せになれる。そして、そう褒めてくれた人のすてきな面を、こちらからも伝えて、幸せを連鎖させていきたい。

ちなみに、「きれいだね」という言葉に「ありがとうございます!」と返した場合に、「へぇ~自分でも自分のこときれいだと思ってるわけね~?」などと言ってくる人のことは無視して良い。そういう人は、もし否定しても「またまた~本当は自分でもそう思ってるんでしょ~?」と結局同じ返しをしてくるだろうし、誰のことも幸せにしない。

◆自虐からの脱却

最初は、褒められた言葉をそのまま受け取るのはむず痒いかもしれない。でも、せっかく褒めてもらえたのだから、自信を持って良いのだ。

「根拠のない自信」という言葉もあるが、そもそも何かの価値を信じるとき、根拠がないことも多いはず。すてきだなぁ、好きだなぁと心が動いたとき、根拠をきっちり説明できるものばかりではないはずだ。

自虐から脱却するためにおすすめしたい方法がある。家族や友人といった身近な人と、意識的に「褒め合ってみる」ことだ。以前私の友人が、とあるコミュニティをSNS上に作ってくれたことがある。

「朝早く起きられた」「えらい!」、「出社した」「がんばった!」、「顔を洗ってお風呂に入った」「そんな誰もが面倒臭がることを…すごすぎる!天才!!」…という具合で、どんな些細なことでも褒め合うルールだった。

すると、誰かを褒めたくてたまらなくなってくるし、自身が褒められることも受け入れやすくなる。なんて素晴らしい、優しい世界。

そんなこんなで、今では私も自分を信じられるようになってきた。すると、やる気も出てくるもの。もちろん自分が嫌になったり、卑屈になりかけたりするときもあるが、いかんいかんと首を振る。ときには「息を吸っているだけでえらい!」と甘やかしてみても良い。

今夜、あなたが眠りにつくとき、どんな一日を過ごしたと振り返るだろうか。ぜひ、できたこと、あなたが持っているものを数えてみてほしい。

(ちなみに、このコラムに辿り着いて読んでくれたあなたは素晴らしくて最高なので、ぜひ今日の「できたこと」にカウントを。)

<文/本間智恵、撮影/矢島悠子