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先日亡くなられた石原慎太郎氏の珠玉の失言(?)の一つに、「女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です」というのがありましたが、駆け出し大学教員だった私は大笑いしながら聞いた記憶があります。生殖するだけなら、生まれた男性の90%以上が「無駄で罪」ということになるからです。

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フランスは少子化問題をクリアしたのか?

必要な10%の男を学力で選ぶなら、センター試験(当時)の偏差値60以下の男子は即処分。生かしておく「エリート」も、人工授精50回分ぐらいの精子を採集できれば用済みです。養鶏や牧畜の世界では当然のことで、種付けの終わった廃用鶏や廃用牛はかたいフライドチキンやくさい牛丼などなどになります。どのブランドかは知りませんが…

ですから、偏差値エリート君達もセンター試験後2~3か月間、専門の女性にたっぷり絞り取られたあと、散りゆく桜の下で名誉の自決ということになり、毎年、花見の席で、今年もまた廃用の季節になったと言われるようになります。

国民的大作家の思い出にふけっていると、例の先輩女子からまたクレームが来ました。「ボンジュール。ムッシュくそじじい、村山君。この前、『少子化でキリスト教文化圏が滅ぶ』なんて書いていたけど、フランスではこの問題は解決済みよ。いくら老眼でも、アゴラぐらいチェックしときなさい。最近ドンピシャの記事(注・衛藤幹子氏『少子化問題を考える② 出生率上昇の鍵は「ポストモダン」家族の受容』)があったじゃないの。ぼんやり生活してて、それ以上痴呆が進むと君の人格は消滅するわよ」と、我々廃用族に優しい言葉をかけてくれました。

「いえいえ、サキシルもよろしくお願いします」と答えながら、記事を読んでみると……あれっ、フランスの出生率は1.88……人口置換水準の2.1に及ばないじゃないですか

ご存じのように、ここで言う出生率(厳密には合計特殊出生率)とは、ある年の15歳から49歳まで各年齢の女性の出生率を合計したものです。たとえば、2021年に15歳だったの女性のうち出産した女性(ただし双子は2人分と数える。三つ子は……以下同文……)の率、16歳だった女性の……以下同文……、17歳だった……以下同文……、、、、49歳だった……を全部合計した数字です。

わかりやすく言えば、15歳から49歳までコロナ禍の2021年の日本で過ごした女性(緊急事態宣言のもと素面でバッハ会長の開会スピーチの中継を、ライブで35回も聞ける「ラッキー」なひと)たちを仮想的に考えて、平均何人の子供を産むのかという数です。ですから、人口ピラミッドの形の影響(対象人数の大小)がないかわりに、丙午や景気などその年々の状況が大きく反映されるわけで、当然2021年はトンデモない数字が出そうです。

フランスの少子化克服に異議?(encrier /iStock)

フェミニズムは「ご都合主義」だったのか?

一方、人口置換水準とは「1人の女性が何人産めば、人口が減少も増加もしないか」という理論上の数字で、いわば少子化防止のための出生率のノルマです。なぜ、きっちり2ではないかというと、生まれつき卵巣も子宮もない出来そこないの個体(生物学者はオスと呼び、社会学者は男性と呼び、ある種のフェミニストはオトコと呼びます)が2分の1以上の確率で生まれることと、生殖年齢を全うする前に亡くなってしまわれる気の毒な女性の分を差し引くからです。

だから、世界標準の2.10とは別に国や地域の値もあり、乳幼児死亡率が世界一低い日本では2.07ぐらいになります(おそらくこれが、「まともな方法」で下げられる下限の数字でしょう)。

また、ある東アジアの国(名前を出すと差し障りがあるかもしれませんから匿名にしますが、少数民族迫害とパンダで有名な大国です)では、政府の公式発表で計算しても、おそらく2.2を超えているようです。理由は胎児の段階で多くの女児が中絶されるからです。

フェミニストのみなさん。こういうの許しておいていいのですか。「中絶はオンナの権利で胎児に人権はない」と言うにしても、性別で胎児を選抜するのであれば、フェミニズムとは「今いる女性の既得権を守るためだけのご都合主義」なのでしょうか。「女性としてこの世に生まれてこない権利」をまもることなのでしょうか。違うぞと言いたいのなら、抗議文を持って現地まで行きませんか。今(2022年2月)ならオリンピックも終わったばかり、コロナで観光地もすいてますよ。

この例とは逆に、男児を優先的に中絶するのなら、ノルマである人口置換水準を2.0より大きく下げることも可能です。こういう、「まともでない方法」なら下限は1.1ぐらいまで行くでしょう。少子化阻止のハードルは大幅に下がります。

さらに、多くの女性は、どうせなら優秀な遺伝子が欲しいでしょうから、選抜は胎児の段階ではなく、しばらく育ててデキを見てからということになり、冒頭で述べた廃用の季節の到来となるわけです。某国も、どうせ「一人っ子政策」をするなら、こうしておくべきだったと思います。

フランスは本当に“優等生”なのか?

話を北京からパリに戻しましょう。少子化の話で、出生率1.88のフランスを手本とせよというのは、合格点60点のテストで58点だったやつを優等生扱いするようなものです。しかもこの優等生君。少なくともここ数年、じわじわと成績が低下して合格圏から遠ざかってるではないですか。おまけに世界ランキングは129位。対象国および地域数が違うとは言え、国辱もの扱いされている、我が国の男女格差指数とやらの順位120と似たりよったりです。

ちなみに、この男女格差指数。「ジェンダーギャップ指数」という表記の方が有名ですが、LGBTに関係のあるような話でもなく単純に男女だけの比較なので「男女格差指数」とします。注意を要するのは、「格差指数」と言いながら、格差が小さい(とされてる)ほど数値が大きくなっている点です。

政治・教育・健康などいろいろな分野のデータを適当に寄せ集めたもので集計方法によってどんな数字でも出せるような、いい加減な代物だと私は思っていましたが、この記事のために調査をしてみて、結構よく出来ているのではないかと考えるようになりました。出生率とかなり良い相関があるからです。ただし、負の相関ですが。

男女格差指数(2021)が発表されている全156カ国について、指数と出生率(2019)との関係を示したのが図1で相関係数は-0.46でギリギリ有意(-0.5以下)とまでは言えませんが、結構な負の相関を示しています。

ここから、多産多死の傾向の強いアフリカ諸国を除くだけで、相関係数は(-0.59)となり有意水準に達します。さらに、ユーラシア大陸と周辺の島国(つまり、アジア+ヨーロッパ)では、相関係数は(-0.63)になります。また、アジア+ヨーロッパ+北米(ほぼ北半球と一致)で調べると、-0.61となります。

原因はもちろん不明ですが、主観的には、古い伝統が現代につながっているタイプの国々の場合、それが尊重される(たいていの場合、男女格差を容認する)ほど、出生率が上がるように見えます。

上野千鶴子先生に期待すること

上野千鶴子氏(2010年撮影:写真:山田勉/アフロ)

これらの結果から、少なくとも国別男女格差指数と出生率に正の相関があるとは思えません。なので、「フランスのようにジェンダー平等を進めれば、日本の少子化は解決する」というのは、無理のある議論です。実際、本家のフランス自体が少子化対策に成功しているとは言いがたいわけですから。

どうせ外国を手本にするのなら、同じアジアのブータン(出生率1.95)やネパール(1.88)あたりがよいのではないでしょうか。まあ、北朝鮮(1.90)は論外としますが。上記の2カ国は、よく知られているように仏教の影響の強い国です。この例だけでなく、少子化対策に比較的成功しているのは宗教色の強い国が多いようです

宗教の視点をジェンダーのあり方に組み入れていくことは、少子化による消滅を覚悟している国は別として、今後は避けられない方向性になると思われます。困難な課題ですが、私は上野千鶴子氏に期待しています。

近年、女性学学者はあらゆる方向からの攻撃を受け、自分たちの価値観や視点を予め共有する身内としか議論しない傾向が強くなっています。これでは、象牙の塔どころか、廃用の塔じゃないですか。レジェンドであり同時にトリックスターを演じられるだけの思想的柔軟性をお持ちの上野氏はまだまだ引退などできないと思いますが、いかがでしょうか。